宗教、宗派を超えた宗教者の連絡組織として、被災者や避難者の助けとなることを目指す宗教者災害支援連絡会(宗援連)の情報交換会が1日、東京大学本郷キャンパスで開催された。26回目となる集会では、キリスト教会から神戸国際支縁機構代表で神戸国際キリスト教会牧師の岩村義雄氏が「キリスト教とボランティア道―水平の〈運動〉から、垂直の〈活動〉に―」と題して講演を行った。
岩村氏が代表を務める神戸国際支縁機構は2001年に設立され、11年に一般社団法人として登録。それと同時に名称の「支援」を「支縁」に変更した。東日本大震災以降、毎月ボランティアで被災地に向かい、訪問数は63回を超える。また同時に、国内外で災害に襲われた地域でもボランティア活動を行っている。熊本にも4月17日に現地に入り、約700人分の炊き出しを行ってきたところだ。
登壇した岩村氏は冒頭、「ようやくチャンスが巡ってきたとき、目の前に困っている人がいたら、そのチャンスを逃してまでもその人を助けることができますか?」と問い掛けた。そして、99匹の羊を置いてでも1匹の羊を探し出してくださるイエス・キリストの話を伝え、「これまで積み重ねてきたこと、生きがい、名誉を捨て、中傷や非難も甘受することがボランティアの真理契機」だと話し、その上で、「今日は、災害支援において自分たちに欠けていたものは何かを考える機会にしたい」と語った。
岩村氏は、新鋭の社会学者である仁平典宏氏の著書『「ボランティア」の誕生と終焉 -〈贈与のパラドックス〉の知識社会学-』を「ボランティア道に関係する人ならば必読の書」と紹介。その上で、「終焉」という言葉でボランティアの限界を強く意識する仁平氏に対して、「水平の運動の次元で考えると終焉であるけれど、垂直の視線では違うのではないか」と提起した。
ボランティアを水平の「運動」ではなく、垂直の「活動」と捉える岩村氏は、ボランティア活動が市民運動や、社会運動および政治とは一線を画すというだけでなく、「ボランティア」と「奉仕」の違いも指摘する。また、善意の見返りを求めて、恩を売っておく行為はボランティア道から外れると話す。
「有償ボランティア」の普及により、「賃金労働」と「ボランティア」の違いが曖昧になってきていると述べる一方で、「公益的な運動をしているからとボランティア活動自体が税制上の優遇を受けるならば、官僚機構との癒着が始まり、ボランティア団体と役所の間に『見返り』を介する授受関係が出来上がる」と話した。
岩村氏は、ボランティアに要請される性格を、「主体性」「無償性」「公共性」だとし、「ボランティア活動は一貫して、『官』や『民』ができない行動をし、『官』からの下部組織ではない」と述べた。さらに「被災地でスコップを持ち、汗をかく行為を自発的に行い、いかなる人とも開かれた自由な話し合いの場を持っているならば、公共的と初めて評価できる」と語った。そして、行政や社会福祉協議会による管理、厚い支援、マニュアル化が、ボランティアに要請される三つの性格を喪失させてきた落とし穴を伝えた。
岩村氏が考える「垂直の活動」とは「われと汝(なんじ)」に基づく「活動」であり、「いただ(頂)きます」と頂戴する“頂点”につながる。この「垂直の活動」に仕えるのがボランティアだという。「被災地のボランティアセンターや社会福祉協議会からの委託ではなく、現場で自発的にボランティア活動に参加した人は、1人で被災者に接することになる」と述べ、実際に東北でボランテイア活動に参加した20歳の引きこもりだった男性を例に挙げた。
男性は、一人で倒壊した家のがれきを片付けていたところ、その家の人に「ありがとうな」と声を掛けられた。この男性にとって他人から感謝されるのは初めての体験で、その後は活動の常連になっているという。
岩村氏は「ボランティアは、能率・効率など関係のない人と人との触れ合いです。痛めつけられた人との出会い」と話し、「被災者を通して垂直の『活動』が『契機』となり、続けて現場に行く『関心』が芽生え、3年を経ても継続する『価値』を見いだします」と「垂直」のボランティア活動が持つ力を伝えた。
また、阪神・淡路大震災や東日本大震災における復興・再開発を見渡し、「不安・孤独に寄り添うには、管理されたマニュアル、水平の『運動(movement)』では、救済制度から漏れた人々には届きません」と話し、「他者の哀しみを自分の哀しみに感情移入できるのは、人間だけです。ボランティアは哀しみを入れる器です」とボランティアの重要な役割を話した。そして、聖書の善きサマリア人の話を伝え、「感性が研ぎ澄まされているなら、『助けてくれ』という叫び声を聞かなくても隣人になる」と力を込めた。
「お金があればできるのではない、それよりも家族、家、財を失った人と共にいること。被災地の現場では資格、経験を問いません。いつでも、だれでも、どこでもできる共生、共苦、苦縁の『活動(activity)』こそが今、必要です」
最後に岩村氏は、「『いる・いらない』という二元論で民衆が動いてしまうときに、宗教者は、自分の生き様を通して、一人一人に寄り添い、『いただきます』と一緒に共食するところが『神の国』です」と述べ、「今後も災害の現場にすぐさま出て行こう」と呼び掛けた。
集会を開いた宗援連は、東日本大震災直後、宗教者による被災者支援の情報を提供し合い、その働きを拡充する仕組みを作ったらどうかという声を受けて立ち上がった連絡組織。より強力にかつ柔軟にニーズに応じていくために、広い範囲での情報交換を目指す。
この日も、宗教界だけでなく、大学の研究者なども参加し、多様な試みや、支援活動について報告があった。特にこの日は、熊本地震における現状の報告や、今後の支援の在り方についても多くの意見が交わされた。
岩村氏も、熊本の地震で4月17日の深夜、東北の支援に同行しているメンバー10人で益城町に入り、18日から20日まで5回にわたり500~700人分の炊き出しを行ったことを報告した。
なかなか進まないボランティアの受け入れ、倒壊家屋の支援への不備、放置状態の支援物資の山などを実際に見てきた岩村氏。「行政の無策は、阪神(淡路大震災)の時と同じだ。余震が続く中、被災者の疲労は極限に達し、阪神大震災以上の状態だ」と訴えた。