教会に来た人の動機を分析すると、(1)友人に誘われてが80%、(2)チラシ、トラクトを読んでが10%、(3)通りがかりが10%だそうです。
アンケートの方法によって多少違いがあるかも知れませんが、共通して言えるのは「友人、知人に誘われて」というのが一番多いということではないでしょうか。伝道とは教会に人を連れてくることに帰着するでしょう。教会に一緒に行ってみない? この一点にどれだけ確信と熱心と祈りがあるかということが決め手です。
教会に連れてこられないということは、どこかに教会に対する信頼が薄く、自分自身、教会に確信が持てていないということがあるのかも知れません。また人から信用されていなければ教会に誘っても成功しないでしょう。
カルヴァンはアウグスティヌスの説教の一節を引用して語っています。
「良き名声をさげすむ者は心が浅ましいのである。私たちにとって、隣人から名声を得ることは神のみ前に正しい良心を持つことに劣らず必要なことである」。
信用を得、名声を与えられることにより、人を教会に導きやすくなるという視点は大切です。愛する人に自分の最も大切にしているものを紹介することは自然な行為でしょう。そして相手から信頼され、愛されているなら、その誘いに喜んで乗ずるはずです。かくして福音を伝えることは、その相手を真に愛することに通じます。そしてそれは教会に連れてくることに通じるのです。凡そ、愛なくして福音を語ることは出来ないのですから。
「慈しみとまことがあなたを離れないようにせよ。それらを首に結び、心の中の板に書き記すがよい。そうすれば、神と人の目に好意を得、成功するであろう」(箴言三章3―4)。
人を連れてこない、それって教会でエエカッコしている自分を見られたくない、二重人格を見破られたくないからではないですよね。
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山北宣久(やまきた・のぶひさ)
1941年4月1日東京生まれ。立教大学、東京神学大学大学院を卒業。1975年以降聖ヶ丘教会牧師をつとめる。現在日本基督教団総会議長。著書に『福音のタネ 笑いのネタ』、『おもしろキリスト教Q&A 77』、『愛の祭典』、『きょうは何の日?』、『福音と笑い これぞ福笑い』など。
このコラムで紹介する『それゆけ伝道』(教文館、02年)は、同氏が宣教論と伝道実践の間にある溝を埋めたいとの思いで発表した著書。「元気がない」と言われているキリスト教会の活性化を期して、「元気の出る」100のエッセイを書き上げた。