本当に、信仰のない人が見ると不思議だと思われるかも知れません。これは神様がおられ、しかも本当に生きておられるという、神様の御臨在を証しした、現在進行中の日記なのですから。前著『主イエスとともに』(福音出版社、二五八頁)では、「日記がこんなに面白いなんて!」と、感嘆して一気に読んで下さった方がいましたが、人が神にあれば、神ご自身がその人の行く道を相応しく彩って下さるのです(偶然などはあり得ない!)。この日記は神様との交わりの記録であって、期日、登場人物等、すべて真実の記録です。著者は、「み神を慕いつつ」日記を書いている内に、驚くべき事に、神様が積極的に日を進め導いて下さって、著者の生活が進行しつつある事に気づき、驚き、“神様が私に関与しておられる!”ことに圧倒され、かつ感謝しました。深く心に刻まれたのは、強く迫られる神の愛であって、私は感動に溢れ、この事を忘れない様にと、必死の悦びで綴った日記、それがこの『み神を慕いて』なのです。
時間にはクロノスの時間とカイロスの時間と呼ばれるものがあります。科学的な時間を言えば、それはクロノスの時間であって、変わりなく刻まれて行く事でしょう。然しもう一つの時間があって、それが私達の関心を引くのです。それは、カイロスの時間と呼ばれます。土砂降りの雨の中で、人を待つならば時間は長いが、愛する人と楽しく話し合う時間は、瞬く間に過ぎて短いと言われます。これが、去っては惜しまれるカイロスの時間というものです。−−人の一生はその出会いによって支配されると言われます。私は私の人生で、魅力ある一人のお方と出会いました。−−だから私は、私が愛するこの永遠のお方とともにより多くの時間を過ごしたいと願っています。できるならば、歩かないで走ってその方のもとに行って。そうして、瞬く間に過ぎて惜しまれる程の尊い時間、カイロス、それをその、心から愛する尊い方とともに過ごしたいと思います。−『イエス』− 芳しい香りは、光や愛の様に、目で見、手で触る事は出来ないけれど、身近におられる御臨在として感じられ、心は満たされて、満たされて、絶えず、み神を慕って止や"まないのです。かつて私に属していた小さな愛は、神の愛に比べられて形を失い、ただ、『生きるにも死ぬにも、わたしの身によって神(キリスト)があがめられる事』(聖書ピリピ書一・二〇)を求めて止まないのです。
第一部序 章
一九八九年三月のある日に(前著『主イエスとともに』より抜粋)
この五年間にわたる信仰の日記は、神様が示して下さった深い愛と恵みを記録する魂の記録です。今、私はこれを静かに読み返す時、言い様のないおののき、幸せに満たされます。
聖書によれば、人間は天地のすべてのものとともに、造り主である神様によって造られたものだから、たとえどの様に科学が進歩しようとも、それに関わりなく、私の心が、私自身を造って下さった神を、限りなくお慕いするのは、当然の事です。それにしても、この様に、神を慕う人の思いに応えて、その心を満たされる、篤い人格的な神、その様な神が果たしておられるだろうかと、無信仰の人が迷われるのは、まことに残念な事である。人々の迷いは(聖書にある様に)、神様が目に見えないからであろうが、その様な人格的な愛の神がおられるという事を、知ると知らないとでは、大変大きな違いが出て来る。それは、満たされた人生と、中途半端にしか思いが満たされない人生、生きる素晴らしさを知って生きる人生と、生き甲斐を絶えず求め続けなければならない人生との差である。−−私がこの日記を開くのは、私自身に、今雨あられと降り注がれるもの、それを私が限りなく愛する人々に伝えたいからに他ならない。自分で意識しているか、また意識していないかはあるにしても、神様から離れ、隔てられているままに、求める心が烈はげしければ、悩みもまた烈しい。まこと罪とは、神から離れ、隔てられているその状態の事に他ならない。
「灯会」と言う青年の交わりに入り、心底尊敬する先輩達の中で、幸せな青年時代を送り、20歳の時に洗礼を受けた。このクリスチャン青年会の交わりは、若い私の心に限りない影響を残しながら、やがて、それぞれの会員の、卒業就職とともに離散してしまった。
主","しゅ"の交わりとは、クリスチャン同士の交わりを通して、各自がイエス・キリストの愛の臨在を知る事であると思われるが、当時信仰の浅かった私は、この交わりが解散してしまった時、教会から離れ、心に神様を無くして、そうしていつの間にか、30年余の長い歳月が経ってしまった。東京の日本キリスト教団上富坂教会にクリスチャンとしての私の籍があるにはあったけれども、私はこの世の生活に泥なずんでしまって、最終的な救いについて思いを致す有様であった。教会に戻る事が、できればまた戻って、再びクリスチャンとなれるだろうか?(でもそれは絶望的の様である。)あるいはこのまま、無神的な人となって果ててしまうか? それはもう、最終的な問題となった。私は、聖書にある、「財産を使い果たした放蕩息子」の姿であった。
そんな私が、教会に戻りたいと強く思い出したのは、一九八四年一月に父が亡くなった時の事であった。葬儀場で、父の遺骨が、私の箸の中に挟まれてしまった時、この現実の、父のあまりの変わり果て様に驚き、絶句して、私は生まれて始めて、「お父さーん」と大声に声を挙げて泣いていた。涙がこみ上げ、こみ上げ、泣いて、泣いて、泣いて涙が枯れる様になってしまった時、−−雪が降って来た。不思議にこの年は正月の明るい空に、毎日、毎日、天から雪が降り続いて来た。私はそれを見上げながら、父が毎日、天の上へ上へと登って行く様な気がしていた。明るい天に雪が降り続いて、そうして、雪が降り止んだ時私は、「父は一体何処に行ったのだろう?」と、真剣に考え始めたのです。
それから色々な本を読みました。あの世を訪問したという有名なエマヌエル・スウェデンボルグの著作は勿論の事、アウト・オン・ア・リムとか、更にはまた、あの世と交信すると称する、おかしげな自動書記にも興味を持つ程でした。−−中途半端ではなくて、本当に具体的に、本当に神様とあの世を見せて欲しいと思っていたのですから(それは、難しい要求でした)。色々な宗教書を読み始めました(きっとその状態は、お腹の空いた熊が餌を求めて歩き回る様な哀れな姿だったと思います)。その時読んだ本は、キリスト教だけは抜いて(この事は、大変良い結果に導かれたと感謝しています)すでに二〇〇冊を越えていました。自己満足ではない、明確な、救いと真理を求めて。法然の一枚起請文、親鸞の『歎異抄』から、禅をめぐる書物、更に、色即是空を説く般若心経の幾つかの講解書、観音経の二つの講解、『生命の実相』四署矧ェと谷口雅春のその他、沢山の書物、今で言う幸福の科学の数10冊の書物、高橋信次(GLA)のすべての著作を読み、更に書店の店頭では神智学、天理教や創価学会の本まで、すべて宗教と名の付くものなら何でも立ち読みしていったのです。この頃「空海」という映画がありました。他の人々の様に娯楽が目的ではなくて、私の場合、魂の救いのために見に行きました。それが仏に通じる言葉だと書いてあるので、梵語の真言も唱えてみました。幾つか宗教の祝詞","のりと"の様なものも唱えてみました。でも、何という事でしょう。そうして真剣にのめりこんで行けば行く程、私にとって心は益々苦しみに満たされて行くばかり。何故か、どんどん、どんどん惨めになって行くのです。最後に行ったある宗教では、病の存在すら否定し、自己自身をまるで神様に取ってかわる程の高みまで上げようとする様で、もし本当の神様がおられたら、取り返しのつかない冒涜になるかも知れないと、私の良心は警鐘を鳴らしていました。−−そのうちそんな私に止めを刺す様に、私が最後に頼りにしていた妻が大腸ガンになってしまったのです。もはや、ピンチでした。妻に、もしもの事があれば、今は生きる希望の無い自分である事が、ハッキリと判ってしまったのです。妻のそばにいたいと思って、仕事を止める準備をしました。「お父さん、そんな顔でママの所にいたら、ママがガンだという事が判ってしまうよ」そう娘に注意されましたが、私は、すべてについて絶望し、心の底まで青ざめていたのです。
その時でした。そんな私を哀れに思って下さったのでしょうか、あの懐かしい神様が、私を救い上げに来て下さった−−「オイコドメオー(教会を建てよう!)」という一通の書簡が、思い掛けなくも、昔の松本頼仁牧師から舞い込んで来たのです。−−それは何と30数年振りでした(意識下では片時も忘れた事がなかったけれど)、それが、突如としてこみあげ、「ああ帰りたい、帰りたい!」の思いが胸一杯に溢れてしまった。この機会を逃がしたらもう帰れないと感じていました。そんな私の気持ちを知る事が出来るのか、その時、放送大学で女人仏教の歴史を学び、仏像を見るため日本の各地を歩いていたはずの妻啓子が、不思議に、私にキリスト教会に行くようにと、しきりに薦めてくれたのでした。−−そうして、日本基督教団鶴川教会落成式の、一番はじっこの席に座って、あの背にポケットのある懐かしい席にかけて、今は昔の、懐かしい賛美歌を歌った時、私の心は、心の底からこみ上げてくる涙を止められなくなってしまったのです。魂の奥底から、流れて、流れて、突き上げて流れて、止められなくなったのでしたが、何とそれは幸せな一時、神様との再会の、一時だった事でしょう! −−「神様は変わらなかった。悪いのは私だった」−−そうして立ち上がった時、あれ程深かった昨日までの悩みは、不思議に、跡形もなく消えて無くなっていたのです。30年もの長い間広がった間隙でした。それなのに、神様は、瞬時にそれを赦され、満たされ、愛して下さった。私はもう、他に何もいらなくなりました。 =つづく=
≪仲 嶋 正 一≫
【所属教会】
日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団 港南シオンキリスト教会(野川悦子牧師)
【略歴】
日本キリスト教団東京天城教会(松本頼仁牧師)にて受洗(1949)
旧制浦和高校理科卒業 (1949)
進駐軍総司令部民事検閲部翻訳 (1949)
東京大学医学部薬学科卒業 (1953)
エイザイ研究所初代研究員
米国コロンビア大学客員研究員 Research Associate (1966ー1969)
星薬科大学及び大学院薬化学教授 (1970−1995)
同大学評議員・学生部長・教務部長・植物園長・入試制度検討委員長
・入試広報担当・日本薬学会関東支部幹事・大会準備副委員長・日本植物園協会評議員
現在 同大学大学院名誉教授 薬学博士 (東京大学)
パキスタン首都イスラマバードQuaid-I-Azam大学化学部の指名によって、教授助教授資格審査員 Referee for the evaluation of applications for appointment of Professor and Associate Professor in the Departmeny of Chemistry
【著書】
主イエスとともに(福音出版社)仲嶋正一、啓子共著 1994年11月
キリストの証人として立てられる(百万人の福音1997年3月号、いのちのことば社)
ハーベストタイム TV 出演: 薬学博士・神に立ち返る(1997年6月29日、同 名作集1999年7月2日)
小牧者出版デボーション雑誌 「幸いな人」 コラム執筆担当(1996年11月〜現在まで)
小牧者出版デボーション雑誌 「シャイン」 執筆担当(2000年7月〜現在まで)
1996年〜1999年中央聖書学校聴講生
専門分野 (天然物国「化学と低温電気化学的合成反応)
国際的研究学術論文英語にて 95報告 専門著書 5冊
業績によって、アメリカ Marquis 社 Who's Who in the World 18th Edition、2001年版以降、Who’sWho in Science and Engineering、The Contemporary Who's Who ,に指名される。
◎ 英国 International Biographical Center, Cambridgeより、21st Century Award、International Medal of Honour, One thousand Great Asians, Lifetime of Scientific Achievement Award, Living Legends, International Scientist of the Year 2003, Advisors to International Bibliographical Centreに推薦される。
◎ 米国American Bibliographical Institute より、
World Medal of honour, American Medal of Honour, Great Minds of 21st Century、500 Diastinguished Professors, World Lifetime Achievement Award に推薦される。