第47回日本ケズィックコンベンションが19日、箱根ホテル小涌園(神奈川県箱根町)で開幕した。初日の「バイブル・リーディングI」では、英国ケズィック前委員長のジョナサン・ラム氏がヨハネの黙示録1章から講演し、神は、昔もいまも後の世でも永遠に変わることのない方であり、私たちを罪からあがなってくださる方、全能者であり私たち一人ひとりと共にいてかかわりを持たれる方、そして最後の敵である「死」にも打ち勝たれた勝利の主であることを明らかにした。
「黙示」とは、原義から転じて「隠されていたものが明らかにされる」という意味を持つ。ヨハネの黙示録は、キリストがどういう方であるのか、また神の御心がどのように実現されるのか、について書かれた重要な書物である。ヨハネはこれを激しい迫害下にあったアジアの7つの教会に送ったが、この書が「試練の中にあるクリスチャンへの激励」であり、21世紀にある教会に対しても同じく重要なメッセージを含んでいる。
黙示録1章は(I)挨拶、(II)筆者ヨハネについての記述、(III)キリストに関する幻、の3つの部分から構成されている。
ヨハネは始めの挨拶の部分から神の重要なご性質を証ししている。まず、「常にいまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者」(4,8)、つまり神は決して変わることのない方、歴史のすべての時点を支配しておられる方であることを示している。
人間には多くの不安がある。しかし、神はすべてが存在する前からすでに存在され、今も、そして世々永遠に変わることのない方である。ラム氏は、「日本にいるクリスチャンも同様、目を天に上げることが必要でしょう。だれがこの世界を支配しておられるのか、もう一度、神に対するビジョンをはっきりとさせなければなりません」と語った。
次にヨハネは挨拶で、神が私たちを罪からあがなってくださる方だと示した。「イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち」(5)とある。またイエスは、「私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である」(6)。神の恵みによって神の子とされた私たちの未来は、輝かしいものとして約束されている。「クリスチャンが苦しむということは、ただ苦しみで終わることではない。必ず悪が滅ぼされるときがくる」とラム氏は語った。
また「今の時代は、人間を尊重して神を低く見る時代」だと指摘し、「本当の力の源は神ご自身の中にある」「決して変わることのないお方、あがない主であり、全能の神である」と強調した。
9節から11節で著者ヨハネは自身について語っている。ここでもヨハネは迫害下にあるクリスチャンを励ましている。まず、彼自身も共に苦しみにあずかる者であったことを示している(9)。そして、それは「神のことばとイエスのあかしとのゆえ」(同)であったと書いている。ヨハネはこの書を手にする者たちと同じ境遇に立つ者であった。
ラム氏は、「御言葉を伝えるときに、迫害にあっても驚くべきことはない。私たちも苦難と御国と忍耐にあずかっている者、キリストのうちに生きているものだからです」と説いた。「忍耐をもって生きることは、キリストと共にあって初めて生きていける道です」
ヨハネは「御霊に感じ」(10)、つまり御霊のうちにいるときに主の幻を見た。この書には2つの世界が登場する。一つは、目で見ることができる現実の世界、もう一つは、目には見えない―しかし、信仰によって見える―非常に霊的な世界である。
信仰とは、目に見えない約束をつかんでいくことである。ラム氏は、「この世界を見ると同時に、すばらしい約束の世界を合わせて見なければならない」「見えるものによってでなく、信仰によって生きるのです」と説いた。
使徒パウロは、自らが牢に閉じ込められる絶望的な状況にあって「福音を前進させることになった」と証しした。しかし、彼は牢の中にいた。個人的には厳しいと思える状況の中にあっても、神は働かれるのだ。神は、どんなものにも妨げられることは決してない。実際にこのとき、獄中にいたパウロによって社会の上層部の人々にまで福音が伝えられていた。またパウロが不在の教会では、より熱心に伝道が展開されていた。
ラム氏は、「私たちも霊のうちにいるときに別の世界がある」「今も御心を行われる方は、状況を用いて働かれる」と説いた。
12節からはキリストに関する幻が描かれている。冒頭の幻は、キリストがご自分の民のうちにおられたことを示している。
「振り向くと、七つの金の燭台が見えた。それらの燭台の真中には、足までたれた衣を着て、胸に金の帯を締めた、人の子のような方が見えた」(12、13)
「七つの燭台」とは7つの教会を意味する(20)。キリストは教会のただ中におられる。ラム氏は、「キリストは今もご自分の民と共におられます」「絶望の中にあっても、キリストの威光と力と栄光をすべて見ていくときに、私たちの物の見方が変わっていきます」と説いた。
パウロは、仲間にまで見捨てられた絶望の中にあって「しかし、主は、私とともに立ち、私に力を与えてくださいました」(テモテII4:17)と告白した。
ラム氏は、「どんなことを経験しているとしても、阻害されていても、絶望的な状況でも私たちもパウロと同じことを告白できる」と語った。
「頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白く」「足までたれた衣」とある。「白髪は光栄の冠」(箴言16:31)、また長い衣ほど大きな権威を象徴したのであれば、キリストはどれほどの権威、偉大さを持っておられるのか。「その声は、大水の音のようであった」(15)
ラム氏は、「イエスの偉大さ、権威をしっかりと見なければならない。復活された主は、今も、この世界を支配しておられます」と強調した。
すでに私たちの人生に悪の力は働かない。それは、この主が私たちの人生を支配してくださるからである。イエスは、「七つの星」(16)つまり7つの教会に仕える御使いたち(20)をしっかりとその右手ににぎっておられる。
主の幻をみたヨハネは圧倒され、その足もとに倒れた(17)。しかし、全能者は右手をヨハネの上に置いてこう言われた。「恐れるな」
黙示録には「力」に関する記述が多い。主の力とは何か。核爆弾のような破壊の力ではない。主は私たち一人ひとりとかかわりを持ち、共におられる方、右の手で私たちを力強く握っておられる方である。
最後にラム氏は、何よりも主は、最後の闇の勢力である「死」をもことごとく滅ぼされた勝利の主であることを強調した。
会場は終始静まり返り、参加者らはみな熱心に御言葉の解き明かしに聴き入った。ある参加者は、「まるで神殿の幕が一つひとつはがされていくかのように、神の御姿が明らかにされていった」と感動を語った。