開拓時代のアメリカにジョニー・アップルシードという人がいました。彼は幌馬車で東部から太平洋沿岸を目指して西へ西へと移住した人々の一人だったのです。
彼は大量のリンゴの種を蒔きました。しかし移動しながらそうしつづけたため、種が成長し実がなることを見ることはなく、ましてや実を口にすることなどありえませんでした。しかし、何年か後に移住してきた人々は、木にたわわとつけたリンゴの実を食することができたという話を昔読みました。
でもこの話うまく出来すぎていると思いません? だってこの人の名前アップルシードって「リンゴの種」という意味でしょう。アップルシードさんがリンゴの種を蒔いて名を体としたなんて眉唾もの。
それはそれとして内容そのものは大いにありえたことでしょう。
福音の種も同じでしょう。先人が蒔いたみ言葉の種を、後の人たちが感謝と共に実を楽しませていただいている、それが教会なのです。ですから私たちも次の世代に向けて、恐らく自分は花も実も味わえないだろうけれども営々とみ言葉の種を蒔き続けるのです。
「あなたのパンを水に浮かべて流すがよい。月日がたってから、それを見いだすだろう」(コヘレトの言葉一一章1)。
パンを水に浮かべるなどナンセンス、無駄というものだという声がかかる中、敢えてそうするのです。
それは神ご自身、無謀、無駄、無意味という現実の中、世と私たちの救いのために、その独り子をお与え下さったのですから。
この神の無償の愛を知るゆえに「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」とのみ言葉(マタイ一〇章8)どおりにするのです。それが伝道ということでしょう。
もう一度リンゴに戻りましょうか。「もし明日世の終わりが来ようとも、私は今日もリンゴの樹を植えつづける」(M・ルター)。
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山北宣久(やまきた・のぶひさ)
1941年4月1日東京生まれ。立教大学、東京神学大学大学院を卒業。1975年以降聖ヶ丘教会牧師をつとめる。現在日本基督教団総会議長。著書に『福音のタネ 笑いのネタ』、『おもしろキリスト教Q&A 77』、『愛の祭典』、『きょうは何の日?』、『福音と笑い これぞ福笑い』など。
このコラムで紹介する『それゆけ伝道』(教文館、02年)は、同氏が宣教論と伝道実践の間にある溝を埋めたいとの思いで発表した著書。「元気がない」と言われているキリスト教会の活性化を期して、「元気の出る」100のエッセイを書き上げた。