最初の台湾宣教は、台北から始まり、台中、台南、高雄、花蓮と、台湾全土を一周した。台湾は韓国と違って、日本人に対する感情がすごく柔らかく、戦時中迷惑を受けた国とは思えないくらいだ。しかし、だからと言って、日本が犯した台湾への侵略行為が帳消しになるわけではなく、やはり宣教の旅は謝罪への旅でもあった。
「韓国は祈りの教会、台湾は賛美の教会」と言われるだけあって、台湾の教会の賛美はとてもすばらしい。特に山地の教会はすごい。
花蓮では高砂族の教会を訪ね、礼拝で説教した。礼拝が終わると、午後にはかなり著名な長老の葬式が予定されていた。牧師に、葬式の説教もしてくれと依頼された。自分はいつも葬式の説教をしているので、人々が儀礼的にしか聞かないというのだ。まるで違う風習の中で説教するので、戸惑いも覚えたが、聖霊の導きに従った。楽団入りの葬送歌が終わると、メッセージの時間だ。牧師が、今日は日本の牧師が説教すると紹介した。立派な講壇は、何と柩だった。その柩の前に立って聖書を開き、永遠のいのちを与えるために、十字架に死なれ、葬られ、三日目に復活したイエス・キリストの福音を大胆率直に語った。キリスト教会が2000年の歴史を貫いて語り続けた福音こそ、人を救い、いやし、慰めを与える。そのことを知っていることは、何という幸いであろう。
説教の後、楽団の葬送曲に先導されて、長い長い葬列が村外れの墓地まで続いた。一度も会ったことはないが、立派にその信仰の戦いを戦い抜いた聖徒を送る名誉にあずかった。
埋葬式が終わると、宴席が備えられ、私は上座に座らされた。山海の珍味が積まれ、「さあ食べなさい」と言われたが、見るとごちそうが黒くなるほどハエがたかっている。恐ろしい瞬間だった。手でそっと追うと一斉に飛び去るが、すぐ戻ってくる。もう絶望だ。周りの人たちは、取り皿に次々と乗せて、「さあ、説教の後だから、お腹が空いたでしょう。たくさん食べてください」と言ってくれる。朝が早かった上に、礼拝が終わってからすぐに葬式だったので、確かに空腹だ。今さら断食だとも言えず、山地の人々がたべているのだから大丈夫と自分に言い聞かせた。「疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます」(ローマ14:23)「毒を飲んでも決して害を受けず」(マルコ16:18)。聖書のことばを信じて、山盛りのごちそうを目をつむって食べた。
今日までお腹もこわさず元気なのは、あの時のごちそうのせいかなとも思う。どんな僻地へ行っても、信仰によって感謝して出された物はいただくことにしている。もちろん衛生状態には気をつけなければならないが、貧しい種子島の田舎で食うや食わずの生活を送ったことに比べると何でもない。いつもそう思いつつ、主の守りに感謝しながら、僻地の宣教を継続している。ただし生水だけは絶対口にしない。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『天の虫けら』(マルコーシュ・パブリケーション)は、98年に出版された同師の自叙伝。高校生で洗礼を受けてから世界宣教に至るまでの、自身の信仰の歩みを振り返る。(Amazon:天の虫けら)