キリストは・・・ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。(ピリピ人への手紙2章6節から11節)
数日前、医学的には治療法がない末期癌の方が癒されたという、嬉しいメールをいただきました。
去年のムーイ先生の癒しのセミナーで祈ってもらった時から劇的な変化が起こり、みるみる快復して間もなく退院されるそうです。医者にもその理由が分からないということでした。
信仰生活の歩みの中で常に、神が備えて下さる本物を追求していく姿勢を意識しましょう。神は無限の恵みを注いで下さいますから、信仰を働かせ、毎日の生活の中で本当に祈るべき場面では祈ろうではありませんか。
今朝特に注目したいのは9節です。「それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。」イエス・キリストのお名前によって祈り、主の御名を呼び求める信仰には、実は大きな祝福と感謝と力があることを忘れてはなりません。
3つのことを感謝して受け止めておきましょう。
1.救い主のもたれる特別な名
ルカの福音書10章17節には、「さて、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。『主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。』」また、今日の聖書箇所9節には、「神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。」と書かれています。
イエス・キリストの御名は十字架とよみがえりを通して全ての名にまさる名であるということが確認され保証され決定したのです。
子どもが喧嘩をするとき「お母さんに言いつけてやる!」「先生に言いつけてやる!」と言うのを聞くでしょう。それは、お母さんや先生という名に、大きな権威があるからです。私たちは、「イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン」と、まるで呪文のように唱えていないでしょうか。しかし、救い主イエス・キリストの名は単なる飾り物ではなく、その名を告白することにより、霊の世界では激震が走り悪霊さえ震えおののき服従するのです。それほど力ある名前を、私たちは普段使うことができることを自覚しましょう。イエス・キリストの名。救い主の御名は特別な名であることを忘れてはいけません。
2.主の御名を用いて神と結びつく
クリスチャン生活は常に神が共におられることを体験します。では、どのようにしてそれを体験することができるでしょうか?それは、私たちが、イエス・キリストの御名によって神に祈ると、神がイエスの御名による祈りを通して私たちの求めに応えて下さることです。これにより、神が共にいて下さることを知ることができるのです。主の御名を用いることによって、神と結びつく生活が私たちの人生の中に実現するのです。
私たちがイエス・キリストの名によって求めると、父なる神が、ご自分の栄光を現わすために、イエス・キリストの御名のゆえに私たちに良いものを与えて下さるのです(ヨハネ14:13〜14参照)。イエス・キリストのお名前が、神の恵みの通過点、通路なのです。主イエス・キリストの御名を用いること無しに、真の命の与え主である神と結びつくことはできません。逆に本当に素直な思いを込めて、イエス・キリストの御名を慕い求め祈るときに、それはただイエス・キリストの名前を使っているだけではなく、神と結びついているのです。
3.主の御名を用いる特権が与えられている
あなたは既に神の子どもです。神と結びつくだけではなく、実際に用いることができる特権が与えられているのです。いわばクリスチャンは特権階級なのです。主の御名とは、単なる名前を超えて全てにまさる名であり、霊的な力さえ及ぼす特別な名前です。この主の御名によって私たちが祈り求めるときに祈りが応えられ、父なる神も主の御名を通して、私たちに恵みを与えて下さるのです。
金銀や地位など、この世の価値あるものは持っていないかもしれません。しかし、私たちには、イエスの御名によって祈ることができるという特権が与えられているのです。これを使わないのは本当に残念なことです。クリスチャンには、例外なくこの特権が与えられているのですから、ぜひそれを用いましょう(使徒3:6、ヨハネ1:12参照)。
末期癌の方が癒されましたが、ムーイ先生が用いたイエス・キリストの御名と私たちの用いるイエス・キリストの御名に何か違いはありますか?いいえ。勇気を持って祈るかどうかだけです。
機能不全の役に立たない信仰からは脱出しましょう。あなたが祈ればよいのです。主の御名によって祈るならば必ず主は応えてくださいます。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。