父は一八九三年(明治二六年)鹿児島県奄美大島郡伊仙町(徳之島)に七人兄弟の五男として生まれ、外国航路の船員として、帆船で世界の海に雄飛した男だった。
子どもの時、よく若い船乗り時代の話をしてもらった。イタリアやイギリス、アメリカやカナダ・・・と、世界のあらゆる出来事を聞いたように思う。そのころの私の夢は、父のように世界を駆けることだった。
私が貧乏牧師として富雄キリスト教会で働きはじめたころ、種子島から出てきた父は、イエス様の命令が世界宣教であることを強調しながら、「義之、早く海外へ行き、見聞を広げてこい」と話すのであった。お金がないから今はまだ行けないとでも言おうものなら、「行けないのではない。行く気がないからだ」と叱られたものだ。父は正しかったと、今になると思う。できないのはやる気がないからなのだ。またその気になれば何でもできるともよく言われた。そんなに言うのならお金を出してくれたらよいのにとも思ったが、そんなことは口が裂けても言いたくない。父も頑固者だが、私もそれに負けない頑固者だ。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『天の虫けら』(マルコーシュ・パブリケーション)は、98年に出版された同師の自叙伝。高校生で洗礼を受けてから世界宣教に至るまでの、自身の信仰の歩みを振り返る。(Amazon:天の虫けら)