ロシア正教会モスクワおよび全ルーシ(ロシア)総主教のキリル1世は5日、同教会の公式サイトで、主教や神父、修道士、修道女、兄弟姉妹に宛てた主の降誕祭のメッセージ(英文)を発表し、降誕祭と新年に当たって主イイスス(イエス)の豊かな慈しみと憐れみがあるようにと祈った。
ロシア正教会やセルビア正教会などはユリウス暦(旧暦)を採用しており、主イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)の降誕祭は1月7日となっている。一方、ギリシャ正教会、ルーマニア正教会、ブルガリア正教会、アメリカ正教会などのように修正ユリウス暦(新暦)を使う正教会では、12月25日に主の降誕祭が祝われている。
同総主教はその冒頭でイオアンノ第一公書(第一ヨハネの手紙)4:9「神ハ其ノ獨生(ドクセイ)ノ子ヲ世ニ遣ワシテ、我等ヲシテ彼ニヨリテ生命ヲ得シム、此(コレ)ヲ以テ神ノ我等ニ於ケル愛ハ顯(アラワ)レタリ」(新約 正教会訳、1901年)を引用し、主の降誕祭についての祝意を、神の子にあるあふれる喜びをもって表した。
以下はそのメッセージの英語版から本紙が主な部分を抜粋して非公式に訳したものである。
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「至(イト)高キ二ハ光榮神ニ歸(帰)シ、地ニハ平安降リ、人ニハ惠(恵)臨メリ」(ルカに因る福音書2:14、正教会訳)。この光輝く、命をもたらす私たちの主であり神であり救世主であるイイスス・ハリストスの降誕祭にあって、肉となって来られた神の子にある喜びであふれる心をもって、私は皆さんにこの辞を述べ、お祝いを申し上げます。
救世主によって私たちに示される、言葉で言い表すことのできない慈しみを毎年たたえ、私たちは、かつて天使から「大ナル喜、萬民ニ及バントスル」(ルカに因る福音書2:10、正教会訳)のを聞いたヴィフレエム(ベツレヘム)の牧者のように、急いで霊的な眼で救世主を見るのですが、その到来は光栄ある諸預言者によって預言され、大勢の男女によって待望されていました。
従って、アゲイ(ハガイ)が述べたような諸国の民の願い(アゲイの預言書[ハガイ書]2:7)は、「己ヲ虚シクシテ、僕ノ貌(カタチ)ヲ受ケ、人ト同ジキ者ト為リテ、外形ニ於テ人ノ如クナリ」(フィリッピ人ニ達スル書[フィリピ]2:7、正教会訳)。宇宙の主がご自身のためにお選びになったのは宮殿ではなく、この世の支配者の住まいではなく、金持ちや地位の高い人のマンションではありません。旅館には彼の部屋さえ見つからないのです。神の子は牛のための洞穴でお生まれになり、彼のゆりかごは家畜に餌をやるための槽(飼い葉桶)なのです。
「それならば、その洞穴よりも貧しく、神の豊かさが輝きわたった産着よりも粗末なのは何か」。私たちの救いという神秘のために究極の貧しさ(祝祭のためのヒュパコエー[従順])をお選びになったハリストス(キリスト)は、権力、冨、名声、高貴な出生、そして社会的地位といった、私たちの世界で重要だと考えられている諸価値を意識的に拒んでおられます。彼は、誇りや敵意を破るもう一つの命の法則、謙遜と愛の法則を私たちに示しておられるのです。この法則によって、人間の弱さが、神の恵みと結ばれて、この世の権力や力を持つ者たちが立ち向かうことのできない力となるのです。神の力は地上の威厳や世の中の安楽においてではなく、質素さと心の謙遜においてそれ自体を現すのです。
サロフの聖セラフィムはこう述べています。「主は神の愛と隣人であふれている心を探す。これは主が上ることを愛する祭壇である・・・『子よ、汝の心を私に与えよ』と主は言われ、『そして残りを私があなたに与えよう』なぜなら神の国は人の心の中に収められるからである」(『ハリスティアニン(クリスチャン)の生活の目標についての会話』)。主は貧しく家なき人々について軽蔑的ではなく、お金をほとんど持たず魅力のない仕事を持つ人たちを軽蔑することなく、ましてや身体障がい者や重病人を蔑(さげす)むことはありません。これらのことはどれもそれら自体が人間と神を分け隔てるものではなく、従って人を意気消沈させたり破壊的な絶望の原因となるべきではないのです。「わが子よ、あなたの心をわたしにゆだねよ。喜んでわたしの道に目を向けよ」(箴言23:26、新共同訳)。
主の降誕の素晴らしい祝祭は、「我ノ来タリシハ、其生命ヲ有チ、且豊ニ之ヲ有タン為ナリ」(イオアン[ヨハネ]に因る福音書10:10、正教会訳)という、そして唯一の真実の道であり変わることのない真実であり真の生命である(イオアン[ヨハネ]に因る福音書14:6)ハリストスに絶えず従う必要性を私たちに思い起こさせます。私たちが避けがたく出会う困難を恐れることのないように、そして私たちの運命に降りかかる試練によって私たちのうちの誰も砕かれることのないように、なぜなら神は私たちと共におられるのですから! 神は私たちと共におられ、そして私たちの生活から恐れが消えるのです。神は私たちと共におられ、そして私たちは魂と喜びの平安を見いだすのです。神は私たちと共におられ、そして神にある変わらぬ希望をもって私たちは自らの地上の旅を成し遂げるのです。
ハリストスに従うに当たって、人間はこの世の風雨にぶつかっていくのです。その人は自らが出会う誘惑に負けず、決意をもって自らの道に立ちはだかる罪の壁を踏み倒すのです。実に、私たちを神から引き離し、私たちの生活を本当に過酷にするものは、罪であります。神の愛の光を奪って、多くのさまざまな苦悩へと私たちを陥れ、そして他の人々に対して私たちの心をかたくなにするものは、罪であります。ただ、罪は聖神の恵みによってのみ克服され、それは教会を通して私たちに与えられるのです。私たちが受ける神の力は、私たちの内なる世界を変え、そして主の御心に従って、私たちが外なる世界を変えるのを助けてくれるのです。ですから、何らかの形で教会の一致から脱落してしまった人たちは、枯れきった木のように、真に良い実をもたらす能力を失ってしまうのです。
今日、私はウクライナの人たちに特別な言葉を申し上げたいのです。ウクライナの地で起きた、兄弟が殺し合う紛争は、決して人々の心の中に敵意を植え付けることによって教会の子たちを分断させるものであってはなりません。真のハリスティアニンは自らの隣人や遠く離れた人たちを嫌ってはならないのです。「爾(ナンジ)等言ヘルアルヲ聞ケリ、爾ノ隣ヲ愛シ、爾ノ敵ヲ憎(憎)メト。然レドモ我爾等ニ語(ツ)グ、爾等ノ敵ヲ愛シ、爾等ヲ詛(ノロ)フ者ヲ祝福シ、爾等ヲ憎ム者ニ善ヲ為シ、爾等ヲ虐ゲ、爾等ヲ窘逐(キンチク)スル者ノ為ニ禱レ。天ニ在(イマ)ス爾等ノ父ノ子ト爲(ナ)ラン爲ナリ、蓋(ケダシ)彼ハソノ日ヲ惡シキ者ト善キ者ノ上ニ照シ、雨ヲ義ナル者ト不義ナル者ノ上ニ降ラス」(マトフェイ[マタイ]に因る福音書5:43~45、正教会訳)。救世主のこれらの言葉が、私たちの生活を導く力となりますように。そして他者に対する悪や嫌悪が私たちの心の中に場所を見つけることが決してありませんように。
私は多国籍なロシア正教会の全ての子たちに対し、ウクライナにおける敵対関係が早く停止するように、戦争が人々に引き起こした心身の傷が癒やされるように、熱心に祈るよう呼び掛けます。教会や家庭でこれを神に願いましょう。また、私たちの国から遠く離れた、そして武力紛争の結果苦しんでいる、ハリスティアニンたちのためにも祈りましょう。
光を持つこの降誕祭の夜に、そしてそれに続く聖なる日々に、人類のためのご自身の大いなる愛のうちに、この世界に来たり給う、私たちの救世主を賛美しほめたたえましょう。聖書に出てくる東方の三博士のように、神なる幼子ハリストスに私たちの贈り物をささげましょう。黄金の代わりに、私たちの心からの愛を。乳香の代わりに、私たちの熱心な祈りを。没薬の代わりに、私たちの隣人や遠く離れた人たちに対して親切に気遣う気持ちを。
あらためてもう一度、私は愛するあなた方全てへ、この光輝く主の降誕祭に、お祝いを申し上げますとともに、来たる新年に、私は祈りをもって、大いに憐れみ深い主イイススの慈しみと憐れみが豊かにありますよう、お祈りいたします。アミン。