1915年から、オスマン・トルコ(オスマン帝国)政府の強制連行や強制労働、処刑などによって約150万人のアルメニア人が犠牲となった事件が起こった。当時のアルメニア人の人口は約180万人であり、欧州諸国をはじめとする多くの国が、この事件をアルメニア人の民族根絶を狙った「ジェノサイド(集団殺害)」であったと公式に認定している。だが、トルコ共和国政府は殺害を認めるのみで虐殺を否定しており、現在も両国の折り合いはついていない。今年4月には、ローマ教皇が初めてこの事件を「20世紀最初のジェノサイドと広く認識されている」と表現し、トルコ政府が猛反発したことが大きなニュースとなった。
このアルメニア人虐殺事件を背景に、ある1人のアルメニア人の壮大な物語を描いた映画『消えた声が、その名を呼ぶ』が、26日から全国順次公開される。この事件についての作品は、これまでも幾つかアルメニア系の監督によって制作されてきたが、本作はトルコ人の両親のもとに生まれたドイツ系トルコ人のファティ・アキン監督によって映画化されたことで、大きな注目を集めている。トルコ人監督が誰も描かなかった歴史的タブーをテーマに、ドイツ、キューバ、カナダ、ヨルダン、マルタの3大陸5カ国でロケを敢行し、7年の歳月をかけて完成した壮大な物語が、事件から100年の節目に公開となった。
愛こそが生きる希望になる。本作はアルメニア人虐殺事件を背景に持つが、あくまでも2人の娘を捜すために世界を旅する父親の話だ。愛する妻、そして美しい双子の娘と共に暮らすアルメニア人鍛冶職人ナザレットの平凡で幸せな日々が、突然終わりを告げるところから、物語は始まる。オスマン・トルコの憲兵に強制連行されたナザレットは、同胞の男たちと共に、灼熱の砂漠で過酷な労働を強いられる。女性や子ども、老人は強制収容所へと連行されたことを知り、ナザレットは家族への思いを募らせる。しかし、イスラム教への改宗を受け入れなかったナザレットらには、ある朝、問答無用の処刑が言い渡された。仲間たちはみな喉を切られて死んでいったが、唯一ナザレットだけは生き延びる。
命は助かったものの、処刑人によってナイフで首を傷つけられたナザレットは、声を失ってしまった。砂漠をさまよい、命からがら家族が連れて行かれた強制収容所にたどり着いたナザレットが目撃したのは、乾きと飢えで苦しむ同胞たちの置かれた、地獄のような光景だった。妻と娘たちの姿はなく、息も絶え絶えなたった一人の生き残りの姉から、家族はみな死んだと告げられる。戦争が終わり、親切な石鹸工場の主人にかくまわれていたナザレットにも本当の自由が訪れるが、家族を失った彼には、もはや生きる希望が何もなかった。
だが、かつてナザレットのもとで働いていた青年との思いがけない再会が、ナザレットに希望をもたらし、彼を長い旅へと向かわせることになった。「娘さんの無事をご存じですよね?」。死んだと思っていた娘たちが生きていることを知ったナザレットは、すぐに捜しに出掛ける。手がかりもないまま向かったレバノンの孤児院で、わずかな時間の差で行き違ってしまったナザレットは、娘たちの後を追って海を渡る。キューバ、フロリダ、そして北米のノースダコタへと旅を続けるナザレット・・・あの突然訪れた別れの日から8年、彼は娘たちに会うことができるのだろうか。
アキン監督は、30代にして『愛より強く』でベルリン国際映画金熊賞、『そして、私たちは愛に帰る』でカンヌ国際映画脚本賞、『ソウル・キッチン』でヴェネチア国際映画審査員特別賞と、世界三大国際映画祭のすべてで主要賞を受賞している。本作ではこの若き巨匠に、マーティン・スコセッシ監督、ロマン・ポランスキー監督(『戦場のピアニスト』)、アラン・スターキー美術監督(『シンドラーのリスト』でオスカー受賞)など、映画界の名だたる巨匠が協力。マーティン・スコセッシをして「最高の激しさと美しさ、そして圧倒的な雄大さを備えている。あらゆる意味において、私にとって非常に大切な映画である」と言わしめる作品となっている。
地球半周、8年にわたる父親の壮絶な旅。彼は何を失い、旅の終わりに何を得るのか。そのたどり着く先を、劇場で見届けてほしい。映画『消えた声が、その名を呼ぶ』は、26日(土)から、角川シネマ有楽町、YEBISU GARDEN CHINEMAほか全国順次公開される。
■ 映画『消えた声が、その名を呼ぶ』予告編