“瓢箪(ひょうたん)から駒”という言葉がありますが、この紙芝居『アリエルさんから見せられたこと』もそうです。まだの方はぜひご覧ください。
2002年に心臓病で休んでいた私の代役牧師が、その年のクリスマスに何とクリスマス・メッセージをしないと言い出したのです。困った信徒が私に何とかしてくれと言うものですから、急きょこの物語を書いて、かつて美術部で活躍した姉妹に絵を描いてもらってできたのがこの紙芝居です。縦80センチ、横110センチの大きな鳥の子紙8枚の絵を、真っ暗にした会堂に吊るしてライトで照らし、めくりながら語っていきました。そんな雰囲気からか、一同はすっかり絵の中の情景に浸ったようで、食い入るように観て、終わるとやんややんやの喝采になりました。
その後、近隣の牧師にこの絵とシナリオをお貸ししたのですが、内容が暗すぎてクリスマスにふさわしくないとのご意見で、そのまま長い間お蔵入りとなったのです。「すべてのことに時がある」だったのでしょう。ところが、最近親しくなった情報処理に堪能な信徒が、「これはいい。これをDVDにしましょう!」「ユーチューブで動画配信しましょう!」と勧めてくれて、息を吹き返したのです。
内容は、運よく生きてきた海野良彦さんに起こった重大な出来事のお話です。あとは見てのお楽しみ!
このうち、貨車の部分の情景は、あの有名なフランクルの『夜と霧』に出てくるアウシュビッツ行きの列車を思い出しながら書きました。
テーマは、人間はそもそも何をして生きるべきか、順調で、快適で、楽しく過ごせばそれでいいのか、ということです。そう願ってもできない人がいっぱいいます。いや、その方が多いでしょう。たまたま、一時期それができても、永く続くものではなく、速やかに過ぎ去るものです。そして何よりもそれが自己中心的な世界観に立っており、本来中心であるべき天地の神様から顰蹙(ひんしゅく)を買わざるを得ません。
ほとんどの人は、それを思わず、成功か、虚栄か、財産か、欲望追求か、自己充足などを求めてしまいます。しかし、時には、〔神様の哀れみにより〕生前に警告を受ける場合もあります。このお話のような事故、あるいは何かの災難、場合によっては何かの病気、何かの苦しみなどに遭う場合などです。
その時、どう受け止めるべきか。神様からの警告だと受け止められれば幸いでしょう。
しかし、そのためには、神様の御心を普段からよく伝えていなければなりません。この動画(またはDVD)のようなものを多くの人に見せておくことが有益だと思います。どうぞ、ご家族やご友人にもお広めください!
■ おとなのための創作紙芝居『アリエルさんから見せられたこと』特設ページ
■ おとなのための創作紙芝居『アリエルさんから見せられたこと』(24分18秒)
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正木弥(まさき・や)
1943年生まれ。香川県高松市出身。京都大学卒。17歳で信仰、40歳で召命を受け、48歳で公務員を辞め、単立恵みの森キリスト教会牧師となる。現在、アイオーンキリスト教会を開拓中。著書に『ザグロスの高原を行く』『創造論と進化論 〜覚え書〜 古い地球説から』『仏教に魂を託せるか』『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』(ビブリア書房)など。
【正木弥著書】
『なにゆえキリストの道なのか 〜ぶしつけな240の質問に答える〜 増補版』
『仏教に魂を託せるか 〜その全体像から見た問題点〜 改訂版』
『ザグロスの高原を行く イザヤによるクル王の遺産』(イーグレープ)