牧師にとって新年は、大きなチャレンジの時である。教会にビジョンを提示し、教会員の一年間の祝福となるような聖書のことばを説教するからである。一九七八年を迎えようとしていた。聖書を開いても、祈っても、心に響くことばが与えられない。十二月三一日の夜になってもまだない。実はクリスマスごろから、一つのことばが心に留まってはいたのだが、その聖書の箇所は、当時ペンテコステ教会でよく歌われていた歌の歌詞と同じことばだった。私は「だれも知らず、聞くだけで感動するようなことばをください」と祈り求めていた。
元旦の朝がきた。それしかない。語るしかない。「見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける」(イザヤ43:19)と聖書を開き、「みなさんの人生に、主は新しいことをしてくださいます。先のことどもを思い出してはいけません。昔のことどもを考えなくてよいのです。古いものは過ぎ去り、見よ。すべてが新しくなったのです。それが新年の意味です。イエス・キリストにある新しさ、聖霊に注がれる新鮮な信仰は、今朝あなたのものです。主に期待しましょう。新鮮な驚きの日々を今年は体験できます」と語ったが、自分の心には何の感激も、期待もなかった。
思い立って、その日から断食をすることにした。
四日目に鹿島牧師から電話が入った。突然だけれども新年聖会のメッセージをしてくれないかとのことだ。断る理由もないし、いつもお世話になっているので出かけることにした。
九日に長女の愛香が誕生した。
十日には松平牧師が訪ねてきた。極東聖書学院を始めるので、副院長として雀子実院長に協力してほしいとの依頼だった。松平牧師は、私が院長になった年に入学し、生駒聖書学院で学んだ牧師である。当時いくつもの会社の社長でありながら、神戸から朝早く通い、若い学生長に命令されながらも従順に仕えた姿を思うと、断ることもできず、引き受けることにした。やがて四月になり極東聖書学院が開校すると、夜間の授業のために神戸まで毎週通うようになった。そこで出会った、目のくるっとしたキューピットのような前田基子姉妹は、やがて生駒聖書学院に入学、卒業後は牧師となり、現在は生駒聖書学院副院長として、また朝日放送ラジオ牧師としても活躍している。
松平牧師が訪ねてきた翌日、吉川姉が五〇〇坪ほどの土地が売りに出ているから見にいこうと誘いに来た。現在教会が建っている場所である。そのうちの七十坪が、後に教会の敷地になったのだ。
ともかく次々と新しいことが起こりはじめた。現金なもので、自分のためではないと拒んだ聖書のことばが実現するのを見ると、新しいことが起こったと誇らしげに講壇から語っていた。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『天の虫けら』(マルコーシュ・パブリケーション)は、98年に出版された同師の自叙伝。高校生で洗礼を受けてから世界宣教に至るまでの、自身の信仰の歩みを振り返る。(Amazon:天の虫けら)