信頼とは何でしょうか、どういうものでしょうか。普段あまり深く考えたことがないかもしれません。でも、日々の生活において、誰もが日常的に行っていることの一つなのです。生活や仕事、さまざまな活動や遊びの中で、誰にもそれが必要であり、その存在を信じながら暮らしています。しかし、それはあまりにも自然に存在しているので、意識的にそれについて考えることはあまりありません。ゆっくりそれについて見つめ直す時、忘れかけている大切なことに気付くかもしれません。
信頼、それは、家庭の中にもあります。朝起きてから夜寝るまで、多くの景色の中に信頼が宿っています。誰かがご飯を作ってくれる、それを信頼している。「遅刻しないように」と時間を気にしてくれる人がいる、これも信頼の場面です。当たり前なあいさつ、ちょっとした問いと返答、これも信頼を基盤に成り立っています。時には深い悩みを聞いてくれたり、何かを頼むと手伝ってくれたり、こんな日常の出来事はすべて信頼の結果です。喧嘩(けんか)もするし、不満も山ほどあるかもしれない。それでも、家庭のほとんどの出来事は、信頼という関係によって成り立っているように思います。
僕は生まれつき障碍(しょうがい)を持って生まれてきました。脳性麻痺(まひ)という障碍です。身体が不自由で、毎日、誰かの手を借りなければ生きていけません。朝起きてトイレに行き、顔を洗い、着替えをし、食事をとり、お風呂に入り・・・、これらすべてにおいて、誰かの手を借りながら生活しています。
誰かの手を借りながら生活するということは、自分の身を誰かに預けるということです。自分の身を相手に委ねながら生きてゆくということです。誰でも。ビンのふたがなかなか開かなくて、誰かに「ちょっとふたが開かないから、開けてくれるかな」と頼んだりします。
僕の生活では、そんな簡単なことだけでは終わりません。それこそ、自分の命を誰かに預ける、と言っても決して大げさではないのです。
例えばトイレ。ほとんどの人は「トイレに行きたい」と思ったら、行きたい時に行って自分で用を足してくると思います。一人で行って用を足す、何と簡単なことでしょう。しかし、僕は一人でトイレに行くこともできません。トイレに行きたくなったら、「すみません。トイレをお願いします」とトイレ介助を誰かにお願いして、手伝ってもらわなければ用を足すことができません。
トイレをするとき、僕は、車イスから便器に乗り移らせてもらい、ズボンとパンツなどを下ろしてもらわなければ用を足すことはできません。終わったときも同じです。ズボンとパンツを上げてもらい、便器から車イスに移動してもらう。誰かの手を借りてトイレを済ませる。これは、手間のかかる作業で、信頼という関係の上に可能なことなのです。
大便が出たとき、僕は自分でお尻を拭くことができません。介助をしてくれている方に「お尻を拭いてください」とお願いします。誰かにお尻を拭いてもらうこと、それは、僕の日常の光景です。「お尻を拭いて」と頼み、僕のお尻を拭いてくれる人がいる。障碍を持って生まれてきた僕には何の抵抗もないことです。しかし、自分のお尻は自分で拭くことがあまりに当たり前の人にとっては、自分のお尻を拭いてもらう。あるいは誰かのお尻を拭くということは、抵抗感を感じることかもしれません。僕の場合もそうですが、初めての方に、トイレの介助を頼んだときは、双方とも何とも言えない違和感や抵抗感を覚えるものなのです。
ちょっとした移動でも誰かに助けてもらいます。車イスに乗り移るのも、移動するときも、誰かの手を借りなければなりません。相手の方に僕は、自分の全てを預け、命をゆだねています。このときに生じるもの。それが「信頼」というものの形なのです。
僕は相手のことを信じ、相手は僕のことを信じる。この信頼がなければ、移動もトイレもできない。どちらかが「怖い」とか「信用できない」という、ちょっとした不安や不信感を抱いてしまったら、僕の日常の生活は全て成り立ちません。
しかし、こういう景色は、僕のような障碍を持った人の生活に固有のものではなくなってきているようです。現代の高齢化社会の中で、トイレのことも、移動のことも、食事に関することも、高齢者にとっては切実な問題であり、信頼を基盤とした介助の具体的なありさまを多くの人が模索しています。この模索はとても大切で、本当の豊かさや幸せを知るための扉だと僕は思います。
今まで述べてきたように、僕の生活は、お互いの信頼の上に成り立っています。この信頼なしでは、僕は生きていけません。この信頼の関係がもし脅かされたら、僕はたちどころに不安になります。誰も来てもらえなかったらどうしよう、食事も食べられず、トイレにも行けないと。しかし、幸いなことに、僕は、数え切れない多くの方々に手を借り、支えていただきながら生活しているのです。
僕は、いつもあることを思っています。それは、「手を貸してくれて、そして、一緒にいてくれてありがとう」という感謝の気持ちです。この思いを忘れず、大切にしながら僕は日々生活しています。
旅行が大好きで、車イスでアジアなどを旅していると、僕のことが珍しくてジロジロ見られたりします。「見られることが仕事だ。どんどん見てくれ」。そんな考えの僕は、「見てくれて、ありがとう」という気持ちになります。
「ありがとう」という言葉。たった5文字の短い言葉です。そして、この短い言葉の中に多くの深い意味が込められています。「手を貸してくれて、ありがとう」。僕は、「ありがとう」の気持ちや言葉を大切にしています。
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有田憲一郎(ありた・けんいちろう)
1971年東京生まれ。72年脳性麻痺(まひ)と診断される。89年東京都立大泉養護学校高等部卒業。画家はらみちを氏との出会いで絵心を学び、カメラに魅力を感じ独学で写真も始める。タイプアートコンテスト東京都知事賞受賞(83年)、東京都障害者総合美術展写真の部入選(93年)。個展、写真展を仙台や東京などで開催し、2004年にはバングラデシュで障碍(しょうがい)を持つ仲間と共に展示会も開催した。05年に芸術・創作活動の場として「Zinno Art Design」設立。これまでにバングラデシュを4回訪問している。そこでテゼに出会い、最近のテゼ・アジア大会(インド07年・フィリピン10年・韓国13年)には毎回参加している。日本基督教団東北教区センター「エマオ」内の仙台青年学生センターでクラス「共に生きる~オアシス有田~」を担当(10〜14年)。著書に『有田憲一郎バングラデシュ夢紀行』(10年、自主出版)。月刊誌『スピリチュアリティー』(11年9・10月号、一麦出版社)で連載を執筆。15年から東京在住。フェイスブックやブログ「アリタワールド」でもメッセージを発信している。