関西学院大学(兵庫県西宮市)の有志が主催する「安保法案の強行採決に抗議するオール関学緊急集会」が1日、同大で行われ、約170人が参加した。同大法学部教授の柳井健一氏が講話として話をし、安保関連法案の反対運動で注目を集めた学生グループ「SEALDs(シールズ)」の関西地域のメンバーが報告。同大元学長の武田健氏もマイクを握って声を上げた。
集会の冒頭、同大では法学部が中心となって署名活動が始まったが、人間の命に関わる問題だとして、神学部の教員や学生からも多くの声が寄せられたことや、海外に向けて英語で声明を出したことなども報告された。
憲法学が専門の柳井氏は、「憲法を専攻する者として良心の呵責(かしゃく)を感じる。立憲主義とは、最低限、国の統治を行う者が憲法に従い、政治を行うということ。この本質的なことが無視され、暴挙が起こっている」と述べ、大きな混乱の中で可決された同法案に対する政府のやり方を批判した。また、通常の民主主義国家で国論を分けるような政策であれば、与党側から造反が出るのが普通だと指摘。「これだけの国民が(同法案反対の)意思表示をしながらも、与党から全く造反が出なかったのは国際的に恥ずべきことである。理不尽なことがまかり通ったことに我慢できないという意思を持ち続けて行動を起こし、今後の選挙を通して民主主義を立て直すことが大事だ」と語った。
またこの日は、シールズ関西のメンバーで、同大人間福祉学部4年生の寺田ともかさんも登壇。シールズの活動の雰囲気を知ってほしいと、動画を紹介し、次のように報告した。
メディアで私たちがデモをやっている様子は報道されますが、私たちはデモだけが政治参加の有効な手段と思っているわけではありません。選挙が重要だと思っていますが、死票が多い小選挙区制という問題があるので、選挙だけでは私たちの民意を届けることができません。だから今日のように大学で集会を行ったり、地方議員に働き掛けたり、署名を集めるなど、できる限り全ての手段を駆使しながら、デモもまた有効な手段と思い、こうして声を上げてきました。
しかし、この法案に賛成する多くの人から、「なぜ彼らは戦争を抑止する法案に戦争法案というレッテルを貼り、ヒステリックに声を上げるのか?」「現実的に考えると集団的自衛権を認めざるを得ない」「他の国が平和のために戦っているときに日本だけが一国平和主義でいいのか」「この法案によって積極的平和主義への転換が必要ではないか」という主張をよく耳にします。その度に本当の抑止力とは何か、平和主義とは何かを考えさせられてきました。
武力による抑止力について
私は大学では福祉の勉強をしてきて、安全保障や国際政治を専門的に勉強してきたわけではないので詳しいことは分かりませんが、普通に考えることはできます。
結論から言うと、今回の安保法制は、戦争を抑止する手段としては適切ではないと思っています。確かにこれまでは、力と力の緊張関係を保つことで相互の武器使用を抑止するということが国際的にスタンダードとなってきました。あいつを攻撃したらひどい目に遭うと、攻撃を思いとどまらせることです。この論理には常に敵が存在します。しかし、あの国だけは何があっても攻撃してはならない、あの国の人は何があってもわれわれを攻撃しない、手厚く難民を受け入れ、災害時には真っ先に掛け付けてくれたのだから、という信頼関係を築くことができれば、それが何よりの抑止力になるのではないでしょうか。
誰も自分を助けてくれた国を攻撃対象にしたくないし、積極的に平和貢献をする国を攻撃することは難しいでしょう。それでも敵が攻めてきたらどうするか。それは、個別的自衛権で十分対応できる問題だと思います。
武力派遣よりも人道援助を
世界の裏側まで自衛隊を派遣して米国の後方支援をするよりも、世界の裏側で飢えている人に食糧支援をする方がよっぽど賢明だと思います。弾薬を提供するお金があれば、世界の学校に行けない子どもたちに教育を受けさせることができるし、病気で命を落とす人たちに必要な医療支援を行うことができます。自衛隊員はこれからも戦闘員ではなく、人命救助のプロとして地球の裏側まで派遣されてほしいと思います。私も一国平和主義でいいとは思っていませんが、本当の積極的平和主義の在り方を私たちは真剣に考え続けなければならないと思っています。
米国との軍事的な同盟関係を強化するという古びた抑止力よりも、効果的で現実的な新しい方法を選びとる時が来たのではないでしょうか。私は平和のために戦争をするという米国のやり方には絶対に付き合いたくありません。米国が血を流しているのに日本は何もしないのかと言う人もいますが、これに対して言えるのは、誰の血も流させてはいけないということです。私たちは暴力を解決手段にする時代を早く終わらせなければいけないと思います。
こんなにも文明が発達して科学技術が進んでいるのに、人間はまだ殺し合いという原始的で愚かな方法を続けています。その度に戦争を始めた人たちではなく、一般市民が犠牲になっています。米国では奨学金を返すために軍隊に入った人や、国を守りたいという思いで兵士になった若者が、上から命じられるままに罪のない子どもたちの上にも空爆を行い、その重荷を受け止めきれずに今も多くの人がPTSD(心的外傷後ストレス障害)で苦しみ、自ら命を絶っているのが現実だと思います。
こんなことはもう本当に終わりにしたい。平和のために命を落とすという矛盾があってはいけないと思います。そのために私にできることがあるとすれば、この法案を運営停止状態にすることだと思います。日本は70年前から「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永遠にこれを放棄」(憲法9条第1項)してきました。私はこれを続けていきたいと思います。強い国になる必要はないと思います。本当の強さとは、力で相手を威嚇することではありません。人間は弱さを持っているからこそ、どうすればみんなで生き残ることができるか、敵を作らずに協力して社会をつくることができるかを模索することができるはずです。それこそが政治の役割であり、私たちが言葉をもって戦うことの意味なのではないかと思っています。
私は、この国が本当の積極的平和主義国家として、不戦の誓いを守りぬき、貧困や格差や差別のない社会を築くために力を尽くすことを願っています。
できることを考え、やれることをやる
いずれにせよ、安全保障法案は可決されました。私はこれが有効な採決だとはとても思えませんが、政府は法の施行に向けて急速に動き出しています。これから大規模な違憲訴訟が始まっていくでしょうし、私たちは次の参議院選挙に向けた動きを考えているところです。しかし、来年2月には自衛隊が南スーダンに派遣されることになっている。訴訟や選挙では間に合わない。南スーダンは少年兵が多いことで知られている地域です。
私は法律の専門家ではないので賢い提案はできませんが、とにかくこの法案をあらゆる手段を用いて運用停止に近い状態に持ち込むしかないと思います。これまでにも、法が成立しても、国民の反対の声が大きかったために運用ができなかった法律があります。いろんな方法で圧力をかけ続けることが大切だと思います。そのために大学として、個人としてできることを考え、やれることを全てやるしかないと思っています。やれることを全てやっていくしかない。私も自分にできることを続けていきます。
学ぶこと、大学について
大学ではいつも考えることが大切だと言われてきました。学問とは、問い続けること。私もそう思います。
しかし、問いに対しては答える必要があり、考えたことを行動で示さなければ、学問はとても表面的で、現実に対して無意味なものとなってしまいます。今一度、私たちは、人は何のために学ぶのかということを問い直し、大学は声を上げる時だと思っています。これまで大学で声を上げることは、私はしてこなかったのですが、今日教室に入りきらないほどの人が集まっているのを見て希望を感じましたし、これからだなと思わされました。これからも一緒にそれぞれができることをして、全ての命が尊ばれる社会をつくっていけたらと思っています。
最後に私の恩師である死生学のゼミの先生の言葉を紹介して終わりたいと思います。
「人には、与えられたいのちを奪う権利はなく、いのちを奪うことをさせる権限も、いのちを棄(す)てさせる権限もありません。真の平和は、争いではなく許しあいの中にあると信じます」
ありがとうございました。
同大元学長で関西学院元理事長の武田氏も訪れ、戦中、関西学院大学の時計台が真っ黒に塗られたり、外国人宣教師が全員帰国させられたりした過去に言及。また、大学に陸軍将校が入ってきて、賛美歌や、英語で書かれた同大の校是「Mastery for Service(奉仕のための練達)」が入っている校歌を禁止された時代があったことを振り返り、「そういうことがまた日本でも行われるようになってしまうのではないか、皆さんも危惧し、私も危惧しています。だから今日ここに来ました」などと語った。
集会ではトークリレーも行われ、さまざまな立場の人が発言。最後には、「与党自民党・公明党、他3党が、参議院特別委員会・本会議において、数にものを言わせた強行採決によって安保関連法案を可決・成立させたことに対して、満身の怒りをもって、抗議します」などとする抗議声明を採択した。