今年5月に死去した組織神学者の栗林輝夫氏(関西学院大学法学部教授・宗教主事)を偲ぶ会が23日、関西学院会館「光の間」(兵庫県西宮市)で開催された。同大キリスト教と文化研究センター主催、同大神学部・宗教主事会共催で行われ、約150人が出席した。
偲ぶ会で行われた追悼礼拝は、栗林氏が亡くなる前日に病床で選んだという聖句「神は、その独ひ子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)の言葉で始まり、栗林氏が愛唱したという賛美歌「心を高くあげよう」「ガリラヤの風かおる丘で」が合唱され、栗林氏が顧問を務めていた同大バロックアンサンブルや聖歌隊などが歌をささげた。聖書朗読では、偲ぶ会があれば読んでほしいと、栗林氏自身が生前選んだという、列王記上19章1〜8節とコヘレトの言葉3章1〜9節が朗読された。
同僚として20年間共に働いた同大宗教総主事の田淵結氏がメッセージを述べ、栗林氏が1993年に同大に赴任した際、図書館報に書いたという文章を紹介した。
「聖書は下から読むとよく分かる。人は立っている場所によってものの見方が決まっている。聖書は元々歴史の中で神に救いを求めて書かれた書物であり、旧約はエジプトで奴隷だったユダヤ人の解放体験を根っこにした信仰の書物であり、新約は地を這って生きた民を相手にしたイエスの証言である。聖書は本来の視座によって読むとよく分かる」
田淵氏は、荒野に逃れたエリヤが、神に「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。私は先祖にまさる者ではありません」と願う場面が書かれた列王記上19章の箇所を、栗林氏が最期に選んだことについて、長い闘病生活の中で必死に生き、努力した姿がエリヤの姿に重なると語った。そして、その先にどのような意味があったのかを、各自が生きる中で読み解いてほしいと述べた。
追悼礼拝の後には、座談会「栗林先生の業績とはたらきを覚えて」が行われ、4人の神学研究者が栗林氏の業績について振り返った。
日本の差別問題を神学のテーマとした「荊冠の神学」の意味
同大出身で、新約聖書学が専門の辻学氏(広島大学大学院総合科学研究科教授)は、スイス留学中に、日本の差別問題をテーマにした栗林氏の著作『荊冠の神学』(1991年)を読み、非常に衝撃を受けたという。「神学の歴史をまとめ、欧米の神学を紹介するだけではなく、『神学するとはどのようなことか?』を初めて教えられた本であり、これほど惹き付けられる組織神学の本は初めてだった」と振り返った。
辻氏は、他人の神学を紹介するのではなく、自ら神学を築くことができる人は日本にはわずかしかいないと言い、留学時代、日本通のスイスの神学者ウルリッヒ・ルツ氏から「日本は西洋神学の博物館」と、日本の神学の欠落を指摘されたことを紹介した。そして、日本の神学として世界に知られているのは、栗林氏の「荊冠の神学」の他に北森嘉蔵の「神の痛みの神学」、アジアの神学としての小山晃佑の「水牛の神学」ぐらいしかないのではないかと語った。
教会神学を超えてキリスト者の課題として問い掛けた栗林神学
そして、栗林氏の『日本民話の神学』(1997年)では、中央ではなく地方、中心ではなく周縁・辺境の神学という視点がはっきりと書かれていると述べ、次のように語った。
「同書の冒頭には、『ニューヨークやドイツで学んだことをアジアや日本に適用するのではなく、むしろそれぞれの場から欧米の神学を批判的に脱構築し新しく再構築することが正しい』『教会中心主義を脱して被差別者の住む外側から、解放の指針を学び直さなければならない時に至っている』という記述がある。
栗林神学は、社会的なコンテクスト(文脈)の中で発信されていく実践を視野とした神学である。米同時多発テロ(9・11)が発生したとき、在外研究で米国にいた体験はその後の平和の問題や米国の政治と宗教の一連の論考の出発点となり、その集大成が『キリスト教平和学事典』(2009年)となった。さらに、原発の問題を神学的課題として積極的にコミットし、神学者としての立場を明らかにしていった。『原子力発電の根本問題と我々の選択』(2013年)では、『原発は現代のバベルの塔です。共に巨大なテクノロジーで人を取り込んで支配しそこから逃れられないようにします』と述べている。
現代の問題とぶつかる中で、聖書を読む目の鋭さには、ただただ敬服するしかない。私たちが生きるこの世界の問題に、信仰者としてどう関わっていくかを問い続けるリベラル神学のあるべき姿を体現していた。
リベラル神学の研究教育の場である関西学院大学神学部にとって、栗林神学は日本から自信を持って示せる看板となり得たが、その可能性は失われた。それは栗林神学が教会論という視点を前面に出さなかったことと無関係ではないのではないか。栗林氏は『荊冠の神学』における厳しい問い掛けがあったにもかかわらず、教会中心主義からついに脱却できない既成の教会への失望があったのではないかという気がする。栗林氏は『今の教会で私が問題だと思うのは、多くの人が信仰は信仰、技術は技術と二分してしまっていないかということです。日曜日は教会に行って心を自由にするが、普段の日は技術のいいなりになっている。いずれにしろ、教会が技術を信仰的に問うことはほとんどありません』と語っていた。
栗林輝夫という日本を代表する神学者に応じ、その先を築いていく用意が、私たちや関西学院にあるだろうか? まずはこの世界に向かって神学を語る務めと責任を負う神学部に期待したい。とりわけ、神学部に栗林神学がもたらしてくれた『神学する』という視点を、次世代の教会を担う人に伝えていく働きを強く期待したい」
そして最後に、辻氏は1995年に栗林氏が行った講演の一部を引用した。
「聖書とは、やはり被差別者の目、中央ではなく周縁の目を通して読まれるべきで、故に聖書を差別された者に取り戻していく必要があると思います。私は聖書学者ではないが、聖書学者の中でそういうことをやってくれる人が一人もいないから、専門外でもやらざるを得ないというのでしているのが、聖書を本来の読み手に返していくことをしていくことなのです」
辻氏は、「私はこの言葉には、聖書学者の一員として深く恥じ入るしかない。今のままでよいのか、栗林氏の言葉に応える道は何なのか、自分に問い続けたい」と述べ、話を締めくくった。
「人間が人間を支配することはおかしい」という問題意識
岩野祐介氏(関西学院大学神学部准教授)は、学生時代に『荊冠の神学』を読み、日本のキリスト教への厳しい問い掛けを感じたというが、栗林氏自身は穏和な人柄が印象的だったと言い、「それは、日本のキリスト教への失望もあったのかもしれない」と語った。
また、栗林氏の『原子爆弾とキリスト教』(2008年)をテキストに、演習で長崎出身の学生と議論したことを挙げ、神学を若い学生にも届かせることができた神学者だったと振り返った。そして、栗林氏の神学の根底には、「人間が人間を支配することはおかしい」という問題意識があったのではないか、そしてアジア的な自然観に立脚しながら、教会の外に届くキリスト教神学の在り方を問い続けたのではないだろうか、と述べた。
栗林神学の3つの段階 日本における解放の神学の継承
大宮有博(ともひろ)氏(名古屋学院大学商学部准教授)は、学生時代に栗林氏の研究室を初めて訪ねて以来、「自分で神学できるようになりなさい」と、何度も励ましをもらったエピソードを紹介。そして、栗林氏の神学には、①解放の神学の構築(1991〜97年)、②ターニングポイント(2001〜04年)、③政治神学への発展(05年)の3つの段階があると説明した。①では、貧しい者が語り、虐げられた者から学ぶことを通して、全ての人間の解放の言説となる神学を構築し、②では、現代神学のマッピングを作り、日本の神学が今どこにいて、次のステップはどこかを指し示し、③では、現代とキリスト教の批判的な相関を扱ったと評価した。
最後に、「神学者は、今日という時代に有効な福音の解釈をほどこし、時代の課題に積極的に発信し、現代に意味あるようにキリスト教を解釈する」という栗林氏の言葉を紹介し、日本における解放の神学をどう継承するかが課題だと語った。
どこに立ち、誰と共に神学するか
西原廉太氏(立教学院副院長)は、学生時代、京都の在日韓国・朝鮮人の被差別地域で、子ども会の活動に参加していたとき、キリスト教のエキュメニカルなネットワークにつながる中、「なぜ差別の問題を教会の問題として取り組まなければならないのか?」という課題に突き当たり、聖公会神学院に入学したという。そして当時、出版されたばかりの『荊冠の神学』に出会い、以来、根底的な問いと応答を与えられ続けてきたと語った。
また、栗林氏が神学的視点で原子力問題を考える中で、1961年に世界平和促進のために、米国聖公会から立教大学に実験用原子炉(40年間使用され、現在は廃止措置中)が寄贈され、聖公会の主教による原子炉奉献祈祷が行われた歴史について、真剣な考察を行う必要があると述べていたことにも触れた。昨今蔓延(まんえん)するヘイトスピーチや排外主義、格差、差別といった問題を、信仰的プラクティス(実践)抜きに語ることは許されないとし、栗林氏が問うたことは「あなたはどこに立って、誰と共に神学するのか?」ということではなかったかと言い、その問いを誠実に引き継いでいきたいと述べた。