エレミヤ書31章30〜34節
昨年12月、日本に一時帰国したとき、今日通訳を親切に申し出でてくださった河成海(ハ・ソンヘ)先生と今回の韓国訪問の話が出ました。帰国した目的の一つは、日本聖書協会のクリスマス礼拝で話をするためでした。また、それと時を同じくして、私がオランダのライデン大学を2003年に退職してから、ここソウルをはじめとして、毎年アジア各地で、無報酬で専門のヘブライ語やギリシャ語を教えさせてもらっているそのアジア旅行の訪問の記録を、『私のヴィア・ドロローサ:「大東亜戦争」の爪跡をアジアに訪ねて』という題の本として、日本聖書協会に出版してもらったのですが、ある日の夕食の席上、日本聖書協会の職員の一人が私に明かしてくださいました。私の本の中に、2007年にフィリピンに行ったとき、戦争中に、日本軍によって幼児、女性、老人たちも含めて千人以上のフィリピン人が、「ゲリラ討伐に来た」と言う日本兵たちによって無残に虐殺された村を訪問したときのことが、写真入りで書いてあります。日本聖書協会の人は何年か前に宣教師としてその村に派遣された。ところが、村に着いた初めの日、村の人たちが、あなたは私たちに何を教えようと思って来たのですか、と尋ねられたそうです。今夕、ここにこうして立っている私も、同じような質問を皆さんにされてもおかしくありません。私をお招きくださった蘇康錫(ソ・ガンソク)先生、当教会の役員の方々、私をお迎えくださった皆様の主イエス・キリストにある謙虚さを念(おも)いますと、ただ頭が下がります。そういうわけで、私の今夕のお話は、説教というよりは私の証しと言った方がよいかもしれません。皆さん本当にありがとうございます。
しばらく前に、日本のキリスト教関係の月刊誌の巻頭言に泰緬(たいめん)鉄道のことが出ていました。これは、太平洋戦争中、日本軍がタイからビルマ(今日のミャンマー)にかけて、密林をぬって連合軍捕虜や東南アジアの占領地から連行した労務者によって敷設した全長415キロに及ぶ悪名高い鉄路で、別名「死の鉄路」とも呼ばれており、ひどい区間では枕木一本敷くのに死者が一人出た、と言われるくらい残酷な工事でした。監視兵をさせられた韓国の方々の中にも、戦後のBC級裁判で死刑判決を受けられた方が148人もいます。インドネシアから無理矢理引っ張って来られたインドネシア人の人夫の話を読んだことがあります。幸いに生き延びたものの、タイの地理も分からず、先立つものがなく、帰国するにもできず、タイに残って土地の女性と結婚し、孫までできました。終戦後半世紀ぐらいして、自分の村を訪ねて来た永瀬隆さんに偶然に会いました。永瀬さんは日本兵として鉄道建設現場で通訳をしたのですが、戦後、日本がやったことの非に気付き、何度も謝罪と和解のためにタイに戻ってきました。「一度ぐらい里帰りしないのか?」と永瀬さんに尋ねられましたが、いまだに貧しくてできない、と告白しました。そこで、永瀬さんは往復の飛行機代を渡し、インドネシア人は里帰りしましたが、半世紀も会っていない村の人たちは初め、見分けが付きませんでした。ある晩、村の集まりで自分のタイでの体験を語ったとき、年取った女の人が前に出てきて、「私のこと覚えてらっしゃる?」と尋ねました。まじまじと彼女の顔を見るのですが、思い出せません。そしたら彼女がポツッと漏らしました。「私ね、あなたの婚約者だったのよ。今もまだそうなの」。それを聞いて、男は人目もはばからずその場に泣き崩れました。こういうケースは他にもたくさんあっただろうと思います。
古い英米合作映画『戦場にかける橋』の中の劇的なシーン、クワイ河の橋のたもとに数年前に、生き残った連合軍兵士たちによって記念碑が建てられ、約1万2300人のかつての戦友の犠牲者たちの名前が全部刻まれ、その下に短く「We forgive you, but we shall never forget.(われわれはあなたたちを赦(ゆる)すが、決して忘れはしない)」と書いてあります。先ほどの巻頭言の著者は、私たちの罪を忘れてくださる神を持っている私たちはなんと幸せなのだろう、と書いておられます。今日の聖書箇所にも「わたしは彼らの咎(とが)を赦し、彼らの罪を二度と思い出さない」と神様は言っておられます。
旧約には「忘れる」と訳してよいヘブライ語動詞が2つあり、その1つ「ナーシャー」は7回しか出てきませんので、102回も出てくる「シャーハッハ」の方を見ますと面白いことに気付きます。「忘れるな」という禁止形は何度か出てくるのに、「忘れよ」という肯定の命令形はたった1回だけです。詩篇45篇11節ですが、これは「罪を忘れよ」というのではなく、外国に嫁いだ女性に対して、いつまでも祖国に残してきた親兄弟のことをくよくよ思うなという、もっともな忠告です。ところが、先ほど引用しました今日の聖書箇所にも出てくる、反対語の「ザーハル」は旧約に222回も出てきますが、「覚えておきなさい」という肯定の命令形が47回も使われており、「記憶するな」という否定命令形は「いつまでも咎を記憶しないでください」(イザヤ64:8)のように神様への嘆願になっています。
また、「忘れる」というヘブライ語動詞の意味は、「今ちょっと思い出せない」、一時的な記憶喪失を意味するのではなく、故意に、意図的に記憶から消すという意味です。
「東が西から遠いように、主はわれらの咎をわれらから遠ざけられる」(詩篇103:12)、「これは、あなたがわが罪をことごとく、あなたの後ろに捨てられたからである」(イザヤ38:17)、「あなたはわれわれの諸々の罪を海の深みに投げ入れ」(ミカ7:19)などのいずれの箇所でも、神は私たちの罪咎を容易に人目に付かないところに移された、と言っているだけで、罪の記録が永遠に消滅した、というのではありません。
否、それどころか、神ご自身が、私たちの罪を決して忘れない、と明言しておられます。「主はヤコブの誇りにかけて誓われた、『わたしは彼らの所行を永久に忘れはしない』」(アモス8:7)。前後関係からして、ここはヤコブの善行のことでなく、罪のことを言っています。
聖書のいたるところで、神はその民に過去の自分たちの、あるいは先祖の罪を思い出させておられます。例えば、捕囚の地にあったイスラエルの指導者たちが、預言者エゼキエルに現状打開について神にお伺いを立ててくれるように頼みに来たとき、神はこれに応ずることを拒まれ、その代わり、彼らに先祖たちの罪の足跡を思い起こさせるよう、そして、彼らが今なおその過去の歴史から学ばず、前車の轍(わだち)を踏み続けていることを指摘するよう、エゼキエルに命ぜられました(エゼキエル20:30)。
聖書で「罪」とか「咎」と訳されている単語は幾つかあります。「主の祈り」にも出てくるその一つは「借金」が原意です。50デナリと500デナリを帳消しにしてもらった二人の人の借用書には、棒が斜めに引いてあったかもしれませんが、修正液で白く塗りつぶしてもなければ、破り捨てられたり、焼き捨てられたりしたのでもなく、金庫に錠をしてしまってあるのです。でも、金貸しは、その書類を引っ張りだしてきて、かつて金を借りた人の鼻の下に突き付けて、責めることはしません。でも、二人がかつて借金したという事実は、歴史として残ります。使徒パウロが「後ろのものを忘れ、前のものに向かって体をのばしつつ、目標を目指して走り」(ピリピ3:13〜14)と言うとき、過去はあっさり水に流して、未来志向で参りましょう、と言っているのではありません。彼は、自分の人生を、競技場を走るランニング選手に例えています。スタートラインにつく前に、過去の失敗についてはじっくり考え、同じ失敗をしない覚悟をし、出発の合図が鳴ったら、後ろをちょこちょこ見ることはせず、ひたすらゴールを目指して走るのです。(続く)
■ 私たちの神様は忘れっぽい神様だろうか?:(1)(2)