戦後70年、日韓国交正常化50周年の節目の年、安倍晋三首相の戦後70年談話が注目されるなか、両国の平和を願う日韓教会協議会は、25日から28日まで韓国のソウルとソウル近郊を訪問する「謝罪と和解と交流の旅」を企画した。オランダから合流した元ライデン大学教授の村岡崇光(たかみつ)氏と桂子夫人、日本で20年以上宣教している韓国人の河成海(ハ・ソンヘ)牧師をはじめ、牧師や信徒ら15人が参加した。
特に水曜日の27日は、真夏を思わせる炎天の下、正午から午後1時まで、ソウルの日本大使館前で元従軍「慰安婦」のハルモニ(おばあさん)たちによる水曜集会に参加した。日本からの参加者は、韓国語で書かれた「過去に私たちが犯した罪を赦してください」の横断幕を掲げ、高齢のため椅子に座っていた2人のハルモニの前に立ち、村岡氏が謝罪文を読み上げ、最後に全員で深々と頭を垂れて謝罪した。さらに2人のハルモニと抱き合って和解の時を持った。
その後、レストランに場所を替えて、2人のハルモニと水曜集会を主催する韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)のスタッフらと昼食を共にし、交流の時を持った。ハルモニは2人とも数え年で88歳。13歳の時に中国・ハルビンから連行された吉元玉(キル・ウォンオク)さんは、クリスチャンであり、神の赦(ゆる)しと抗議集会の狭間に立って思い悩み、寡黙を通していたのが印象に残った。17歳の時に台湾・新竹から連行された李容洙(イ・ヨンス)さんは、土日には30人もの相手をさせられたという。問題が解決されるまで「死ぬに死にきれない」と悲痛な声を荒げたのが、重たく心の底に響き渡った。
挺対協が主催するこの集会は、毎週水曜日、大雪の時も炎暑の時も続けられ、1992年1月に始められて以来今回で1180回を数える。日本政府に対して、①戦争犯罪の認定、②真相究明、③公式謝罪、④法的補償、⑤責任者の処罰、⑥歴史教科書への記録、⑦追悼碑と史料館の建設、の7つの要求を出し、解決を求めている。しかし最近は、ハルモニの高齢化が深刻で、集会に参加できる人も限られてきているという。
その後、2013年に開館した「戦争と女性の人権博物館」を訪ねた。この博物館は、「従軍慰安婦博物館」の通称で知られ、「慰安婦」問題を解決する活動拠点といえる。日本軍の文書や関連資料などを展示する歴史館、連行時期や被害の記録をそろえた生涯館、亡くなられた「慰安婦」を紹介する追悼館など、多くのコーナーがある。特に追悼の石碑には、「日本の植民地から解放されましたが、私たちはいまだに解放されていません」と書かれており、深く心に刻まれる思いだった。
それから、ソウル郊外にある新エデン教会(教会員:3万5000人)に向かった。午後8時から「過去の歴史への謝罪や韓・日宣教協力の礼拝」が持たれ、村岡氏が、旧約聖書のエレミヤ書31章31~34節から説教した。村岡氏は初めに、日本軍の戦争犯罪、残虐行為として知られ、「死の鉄道」の別名を持つ、かつてタイ・ビルマ(ミャンマー)間をつないだ「泰麺(たいめん)鉄道」建設の悲劇から紹介した。そして、34節の「わたしは彼らの咎(とが)を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ」(新改訳聖書)の聖書箇所を説明した。ヘブライ語学者として原語の意味を深く掘り下げ、神は決して罪を何もなしに水に流すことはしない、われわれが悔い改めて謝罪し立ち返るなら、神は全ての罪を知っていながら、イエスの十字架の血潮で赦しの恵みを約束されると語った。
さらに謝罪は言葉だけであってはならないと言い、ライデン大学定年退職後、毎年、1年の約10分の1である40日間を神にささげ、韓国を皮切りに戦前に日本の被害に遭った国々の神学校などに赴き、ヘブライ語の授業をボランティアで続けてきたと紹介。暗に参加者に対し、それぞれの賜物を生かして謝罪と和解の働きをしていくよう勧めた。
その後、壇上に日本人クリスチャン全員が登り、謝罪の横断幕を掲げて、植民地時代までさかのぼり、過去に日本が犯した罪を赦してくださいと願い、日本語と韓国語で「いつくしみ深き」(讃美歌312番)を賛美してから、全員が土下座して謝罪した。そして、新エデン教会の方々に助け起こされ、互いに抱き合って和解の時が持たれた。
なお、初日の25日にはソウル日本人教会で、同教会の吉田耕三牧師から「福音による和解の使命」(マタイ5:23~24)と題した講演があった。吉田牧師は、もともと名古屋を開拓伝道するつもりだったが、日韓親善宣教協力会の「謝罪と和解」の働きのため、34年前に家族を連れて韓国に渡った。
吉田牧師は講演で、ある時、元従軍「慰安婦」の通訳をしていると、突然ハルモニが肌着をめくり、お腹を見せたエピソードを話した。そこには、拒絶するたびに日本兵が日本刀で傷つけた4、5センチの傷跡があり、ハルモニは当時の首相と天皇を告発したという。聞いていた日本の女子高生たちと引率の教師、また通訳していた吉田氏自身も大泣きしてしまったそうだ。その後の昼食会で、そのハルモニは「(突然傷跡を見せて)ごめんなさい。やったことをしなかったと、ウソをつく人になってほしくなかった」と言い、和解の時が持たれたという。
また、26日には、在学神学生が1700人いるという総神大学神学大学院を訪れ、1500人ほどの神学生と教職員らが集まった礼拝堂で、村岡氏がエレミヤ書から説教した。同神学大学院でただ一人だという日本人留学生(修士課程3年)は、「エレミヤの言葉の深い意味が分かりました。また、私は学内で謝罪と和解の働きをしています」と述べた。また、教授の一人は、「心が癒やされました。本当の謝罪と和解を受け取りました」と感謝を込めて語った。
この「謝罪と和解と交流の旅」を通じて、敗戦後、元従軍記者として戦争責任を取って朝日新聞社を退社した、今年で100歳になるむのたけじ氏の言葉を思い出した。彼は元従軍「慰安婦」について、「やはり、慰安婦は軍部が一つの作戦としてやったことで、まったく軍の責任だった」(『戦争絶滅へ、人間復活へ』岩波新書)とインタビューに答えている。これは従軍記者として戦争現場を取材した目撃者の重みのある証言である。