アフリカ大陸中央に位置する赤道直下の国、コンゴ民主共和国(旧ザイール)。日本の6倍の国土を持ち、鉱山資源が豊かな国だが、2度の内戦とその後の混乱により500万人以上が亡くなった。インフラはいまだ崩壊したままで、世界最貧国の一つだ。世界の貧困・飢餓問題に取り組む日本国際飢餓対策機構は2013年夏、日本で研修を積んだコンゴ人スタッフ、ジェローム・カセバ兄を現地に派遣。その後、NGO「ハンズ・オブ・ラブ・コンゴ」を設立し、コンゴの国内避難民への食糧支援や、小規模融資による収入向上のほか、国内避難民がグループで経済的に自立して生活していけるよう、農業指導などを行なってきた。今回、日本国際飢餓対策機構の特命大使として、4月に6日間の日程でコンゴを訪れた。
信仰持ち、村の再建取り組むパメラさん
この視察旅行の最大の目的は、2013年に住んでいた村を略奪者に襲われ、国内避難民となったパメラさん(男性・35歳)を訪ね、現在の様子を知ること。パメラさん一家は、略奪者により一切の財産を失い、お兄さんは殺され、一家もバラバラになってしまい、村から450キロ離れたコンゴ第二の都市ルブンバシまで避難してきた。
ルブンバシでは、日本国際飢餓対策機構が国内避難民のために「VOCセミナー」(Vision of Community:地域を変革するためのビジョンを持つセミナー)を開催しており、セミナーに参加したパメラさんはまず、キリストをはっきり救い主として信じ受け入れた。そして信仰に励まされてもう一度、仲間と共に村を再建しようというビジョンが与えられた。以前暮らしていた村に近い町プエトに戻り、離ればなれになっていた家族、親族を集めて共同で農場を開始。今では130家族がこの農業プロジェクトに参加し、トウモロコシの収穫も今年で2年目を迎えた。
コンゴでは例年、雨季が始まる9月にトウモロコシの種をまき、雨季が終わる4月に刈り入れをする。今回私は、コンゴの現地スタッフであるジェローム兄と、ルブンバシにあるレホボト教会のシンバ牧師の3人で、ちょうど収穫の時を迎えたパメラさんたちを、プエトの農場に訪問することができた。
プエトに到着、礼拝で感謝
コンゴ南部のルブンバシから、標高1000メートルの地にあるプエトまでは、約450キロの道のり。バスで片道10数時間の距離だが、さまざまなトラブルでバスが遅れ、ほぼ丸1日かかってプエトに到着した。ルブンバシを出発した翌日の朝には到着する予定だったが、プエト郊外にある農場に着いたのは既に夕刻迫る頃。集会所となっている家にはパメラさんの仲間たち30人ほどが私たちの到着をずっと待っており、到着と同時に歓声が上がり、賛美と踊りで歓迎してくれた。私も自然と輪の中に招き入れられ、一緒に踊り賛美した。
この「賛美と踊り」の歓迎の後、早速シンバ牧師のメッセージ、日本からのあいさつ、祈りと、自然に礼拝が始まった。集った人々の中から数人が収穫の感謝を証しした。「私たちはパメラが言う農業の話を最初は信じていなかったが、一生懸命働いた結果、多くの収穫を得ることができ、生活も安定した。全てパメラと神様のおかげです」。礼拝は、日が沈み、電気がないため真っ暗になりかけた部屋の中で行われたが、シンバ牧師は、この地域の共通語であるスワヒリ語で、聖書の種まきのたとえから、良い地に落ちた種の話をした。私はジェローム兄を通して英語の簡単な通訳を聞くばかりであった。
トウモロコシの収穫、農場と家畜場を見学
礼拝が終わると、集会所に大切に保管してある収穫されたばかりのトウモロコシの実を見せてくれた。「貯蔵庫」とドアに書かれた部屋には、大きな袋で3杯分のトウモロコシがはち切れんばかりに詰められ、誇らしげに並べられていた。日本で見るトウモロコシとは種類が違う、みな白い色の実である。現在パメラさんたちが政府から無償で使わせてもらっている土地は、全部で15エーカー(約6万平方メートル=1万8400坪)あり、見渡すばかりの広さがある。今はトウモロコシが主だが、豆やピーナッツ、その他の野菜も少しずつ種類を増やしているという。
翌日、さっそく農場の見学に出掛るが、パメラさんが先に家畜場を案内してくれた。ジェローム兄は今年1月にプエトを訪ねているが、その時はまだ家畜場はなかったという。2月から柵を作り、1エーカー(約4千平方メートル=1200坪)の土地に数頭の豚を飼育し始めたところだそうだ。近隣に迷惑を掛けないよう、家畜場は農場よりもさらに先、25キロの所にある。豚の姿は見えなかったが、常に3人の仲間が1週間交代で家畜場近くに住み込んで、豚の世話をしているという。農作物と違い、天候や季節に左右されず、より安定した収入を得られる家畜は、これから農作物と同じくらい大切になると話してくれた。
子どもたちの教育
パメラさんは、殺されたお兄さんの一人娘と自分自身の子ども4人の合わせて5人の子を、奥さんと2人で養育している。学校に通っているのは一番年長である、14歳になるお兄さんの娘ミサンギ・テレサさんのみ。コンゴでは国が定める義務教育というものがない。小学校は大体、月500円の授業料を払えば誰でも学ぶことができるそうだが、月謝が滞るとすぐに学校から帰るように言われるという。内戦の影響で何年も学校に通えなかったミサンギさんは、10歳の子どもたちが通う小学校5年生のクラスに出席している。
パメラさんは子どもたちの教育が大切なことは分かっている。しかし、まず今は生活を安定させ、自分たちの労働で収入を得る生活ができないことには、将来、子どもたちが学校を出ても安心して働くことができない。そうすれば、また元の避難民に戻ってしまうことになると、とても心配していた。
コンゴ民主共和国の現状
パメラさんの心配を、今回私はコンゴをバスで移動する数日の間に、わずかではあるが体験することができた。コンゴは、内戦とその後の混乱が約20年続き、今は回復期にあるとはいえ、道路や水道、電気といった国としてのインフラがいまだ崩壊したままだ。一度干ばつが起こると深刻な飢餓が起こり得る地域で、貧困を総合的に評価する国連による「人間開発指数」(2014年度)で、コンゴは全187カ国中186位である。また多くの略奪や紛争は、これまでも社会が豊かになりかけるに連れて起こっていることを考えると、パメラさんの心配は大いに納得させられるものである。
プエトからルブンバシへ帰る途中では、バスが川にタイヤを取られて立ち往生してしまった。午後2時過ぎ、何とかバスを動かそうと皆が知恵と力を出し合うが、結局その日は日が暮れてしまい、乗客は全員、何の助けもなく山の中でそれぞれが野宿することとなった。南十字星や天の川がはっきりと見とれ、星空はどこまでも美しかったが、食べ物も水もなく、明日はバスが動くかどうかも分からず、私も地面の上にただ身を横たえるしかなかった。翌朝10時を過ぎても案の上、バスは動く気配もないので、仕方なく通りすがりのミニバスに頼み込み、何とかその日の夜にルブンバシにたどり着くことができた。予定より1日半遅れであったが、もちろんコンゴではそんなことはニュースにすらならない。
シンバ牧師は、国のため、上に立つ指導者のためにいつも祈っているというが、コンゴではキリスト者として多くの働きの場があることが分かった。今回、パメラさんに会うという当初の目的はなんとか果たすことはできたが、その道中を通して、コンゴのこれからについて多くの宿題を神から与えられた気がした。以下は、コンゴにいる間に与えられた聖書箇所。イスラエルに対するこの預言がそのままコンゴに、またプエトに住むパメラさんたちの上にあるように祈った。
わたしは彼らと平和の契約を結び、悪い獣をこの国から取り除く。彼らは安心して荒野に住み、森の中で眠る。わたしは彼らと、わたしの丘の回りとに祝福を与え、季節にかなって雨を降らせる。それは祝福の雨となる。野の木は実をみのらせ、地は産物を生じ、彼らは安心して自分たちの土地にいるようになる。わたしが彼らのくびきの横木を打ち砕き、彼らを奴隷にした者たちの手から救い出すとき、彼らは、わたしが主であることを知ろう。彼らは二度と諸国の民のえじきとならず、この国の獣も彼らを食い殺さない。彼らは安心して住み、もう彼らを脅かす者もいない。わたしは、彼らのためにりっぱな植物を生やす。彼らは、二度とその国でききんに会うこともなく、二度と諸国の民の侮辱を受けることもない。このとき、彼らは、わたしが主で、彼らとともにいる彼らの神であり、彼らイスラエルの家がわたしの民であることを知ろう。――神である主の御告げ――あなたがたはわたしの羊、わたしの牧場の羊である。あなたがたは人で、わたしはあなたがたの神である。――神である主の御告げ――(エゼキエル書34章25〜31節、新改訳)
日本国際飢餓対策機構では、毎月1000円でコンゴなどのアフリカの人々のために支援ができる「ハンガーゼロアフリカ」を行っています。ぜひこの機会に飢餓について一緒に考え、行動していく仲間に加わりませんか。詳しくはホームページへ。
(文・近藤高史=日本国際飢餓対策機構特命大使)