[1]序
2015年のイースター(復活祭)。2014年でも2016年でもなく、天地の創造から新天新地までの全歴史を通じて、確かにただ一度限りの特別な記念日であり、経験です。
クリスチャントゥデイの読者の皆様と共に、2014年のイースターをあのように記念した恵みを継続すると同時に、私たち各自の生涯でただ一度の機会を、今年は今年として新鮮に受け止めるのです。
歴史のただ中の出来事であるイースターの恵みを、3つの基点から掘り下げ、より正しく、少しでも深く、さらに豊かに身に受け、応答(1コリント15:10)したいのです。そうです、イースターの三重の基点です。
(1)ただ1回の出来事・事実
(2)今ここで
(3)やがて必ず
[2]イースター、ただ1回の出来事・事実
イースター、そのただ1回の出来事・事実の課題を考えるとき、ルカの福音書の序言で、どのような意図・目的で自分の福音書を記述したか、ルカが明確に言い表している内容に意を注がないわけにはいきません。
「私たちの間ですでに確信されている出来事については、初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人々が、私たちに伝えたそのとおりを、多くの人が記事にまとめて書き上げようと、すでに試みておりますので、私も、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います。尊敬するテオピロ殿」(ルカ1:1〜3)
ルカの明言、少なくとも以下の点がはっきりしています。
- イースターの記事を含め、聖書はイエスの弟子たちが確信していた出来事・事実を記述する。
- 弟子たちの確信は、「初めからの目撃者」の証言に基づく。
- その目撃証言は、語る言葉を通してであると同時に、かなり早い段階から記述され書かれた証言として存在した。
- 以上の先行的営みに立ち、一人の人・テオピロが、自分に語られた言葉を通し与えられた教えが、「正確な事実」(ルカ1:4)であると確信を深めるため、ルカは彼に福音書を書いていく。
私たちが直面しているのは、歴史のただ中で、「ただ一度」(ヘブル9:26)十字架上で死なれたお方が墓から復活された、ただ一度の事実です。
その事実のもともとの目撃者(十字架の死と復活の目撃の仕方に違いはあるが)の証言を土台にした聖書は、まさに新たな目撃証言(2ペテロ1:16)なのです。
イースターの記事をはじめ、聖書はもともと事実に基づき記述され、読む者がその事実を聖霊ご自身の導きにより、聞いて理解し、読み手の時と場において新たな出来事を生じさせるため書かれたのです。出来事・事実 → 記述・聖書 → 新たな出来事・事実、といかなる力も止め得ない波紋的広がりです。
[3]イースター、今ここで
確かに、主イエスの復活は、歴史のただ中で1回限りの出来事・事実です。
しかしただそれだけではない。イースターの出来事を、事実の証言者パウロはローマの教会の兄姉に、パウロの「今」、また手紙の読み手の「ここで」の現実として伝えています。
「もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです」(ローマ8:11)
そうです。「イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊」の内住の事実に基づき、イースターはパウロにとり、まさに「今ここで」の恵みの事実なのです。
パウロばかりでなく、この手紙を最初に読んだ人々とって、さらに「今ここで」読んでいる私たち各自にとって、そうなのです。
[4]イースター、やがて必ず
さらにはっきりしています。イースターは、やがて必ず現実・事実となる、「キリストが現われ」る、主イエスの再臨の出来事と固く結ばれており、何と私たちもその出来事において、圧倒的な恵みを受ける役割を果たすのです。実に驚くべき約束。
「愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現れたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです」(1ヨハネ3:2)。感謝!
(文・宮村武夫)