日本のカトリック司教団が19日からイタリア・ローマを訪問。20日にはローマ教皇フランシスコと謁見した。
「アド・リミナ」と呼ばれるこの訪問は、全世界の司教が定期的に教皇のもとを訪れ、地域教会の状況を説明することを目的に行われ、前回は2007年12月に当時の教皇ベネディクト16世と謁見した。従来は教皇と各司教との個別謁見が行われていたが、今回は全司教が一堂に会したとバチカン放送(日本語版)は伝えている。
教皇は岡田武夫大司教や高見三明大司教など、日本からたずねて来た16人に向け挨拶。カトリック中央協議会が伝えた教皇のメッセージによると、フランシスコ・ザビエルが日本に来た日から26聖人の殉教などに始まる迫害を思い起こし、「彼らが迫害のただ中でも断固として信仰を守り抜いたことは、小さなキリスト教共同体が、あらゆる試練に耐えるための力となりました」と賛辞を送った。
また、今年で150年を迎えた「信徒発見」についても、現代の教会生活を支え、信仰を生きるための指標を示し続ける支柱と評価。どの時代、どの場所においても、教会は宣教する教会であり続けること、キリストに従う共同体の信仰を強め、家庭や社会の中で信仰をはぐくむ責任を担うよう導き続けるようにと励ました。
さらに教皇は、現在日本に入ってくる宣教師たちや教会に導かれている人たちへの弟子訓練についても言及。新約聖書の「福音書」や「使徒行伝」、また歴史上の宣教師などは遠方まで苦難の旅をして宣教した者が著名だが、教皇は「福音を宣べ伝えるために故郷を離れて遠方に行く人だけが宣教活動の責任を担うわけではありません。実際、私たちは皆、洗礼の恵みによって、どこにいても福音宣教者になり、イエスの福音を証しするよう求められています」と伝えた。
自宅の玄関の扉を開けて、隣の家に行くというごく簡単なことだとしても、「出向いて行って、福音宣教する共同体になるよう招かれているのです。(中略)行いと態度によって他者の日常生活の中に入っていき、身近な者となり、必要とあらば自分をむなしくしてへりくだり、人間の生活を受け入れ、人々のうちに苦しむキリストのからだに触れるのです」と述べ、規模の大きさや宗教の別に関わりなく人々に尽くし、文化の押し付けではなく、イエスや使徒たちと同じような態度で隣人に宣教していく重要性を説く。
また、人材の育成についても、「神学校にいる間だけでなく、生涯を通じて司祭の人間的、霊的養成に特に気を配ってください」と述べ、人生の幸せも困難も分かち合い、常に愛と交わりによって結ばれていれば、若者は司祭職への招きを識別し、受け入れやすくなると励ました。
司教団は27日まで滞在した。帰国後、新潟教区の菊地功司教は自身のブログで、教皇との面談は非常にフランクな意見交換の場と紹介。「バチカンは地方教会に命令をするところではなく、教皇様のペトロの後継者としての使徒職を助け、普遍教会への手助けのためにあるのだと強調されたことが、非常に印象深く感じられました」とつづった。