ナチズムに抗したドイツの神学者で告白教会の創立メンバーだったディートリッヒ・ボンヘッファーの生涯と働きを再考しようと、世界教会協議会(WCC)が3人の歴史家による討論会を開催した。WCCが公式サイトで5日に伝えた。
討論者たちは、当時のボンヘッファー自身のエキュメニカルな旅路とエキュメニカルな眺望を探求しつつ、ボンヘッファーのエキュメニカルな遺産は、1945年4月9日に彼が処刑されてから70年後の今もなお意味のあるものとなっていると明確に示した。
この討論会は、4日にスイス・ジュネーブにあるエキュメニカル・センターで開かれたもので、WCC出版部の上級編集者であるセオドア・ジル氏が司会を務めた。
この催し物で、著書『Dietrich Bonhoeffer's Ecumenical Quest(ディートリッヒ・ボンヘッファーのエキュメニカルな探求)』(WCC出版)が発売されたキース・クレメンツ博士は、教会のためのボンヘッファーのメッセージは、この世界の一部となってその闘いや難局を抱きしめることであり、単に「ある一つの教会であるよう招かれている」だけではないと説明した。
クレメンツ博士は、ボンヘッファーの獄中詩である「私は何者なのか?」について語り、「ボンヘッファーは仲間の囚人たち——そのほとんどは兵士や脱走兵、犯罪者——のために祈っているようには見えないが、彼らと共に祈り、彼らの祈りとなりうるものを伝え・・・『私たちが犯罪者であり、私たちが罪人であり、私たちはそのウソが頭をもたげるのを見たのに、真実を尊ばなかった』」と述懐する。
また、「彼の詩で明らかなのは、私たちが生きているこの世界と私たち自身を同一視し、いかに私たちが、自らのエキュメニカルな霊性の中へと築かれていく必要があるかということだ」と、クレメンツ博士は述べた。
クレメンツ博士は英国の歴史家で神学者でもあり、欧州教会協議会で総幹事を8年間務めた経歴もある。ボンヘッファーに関する博士のいくつかの著書の中には、『Volume 13 of the Dietrich Bonhoeffer Works, London: 1933-1935(『ディートリッヒ・ボンヘッファー著作集』全17巻の第13巻『ロンドンで1933年から1935年まで』)』(Fortress Press、2007年)があり、近著には、『Ecumenical Dynamic: On Living in More than One Place at Once(エキュメニカル・ダイナミック 一度に一つ以上の場所で生きることについて)』(WCC出版、2013年)がある。
クレメンツ博士は、ボンヘッファーの「エキュメニカル運動への献身と積極的な参加」を省察し、「当時、ボンヘッファーがその運動に据えた課題は遺産であり続けており、それは今日のエキュメニカルな世界によって今もなお十分に求められなければならない」と語った。
クレメンツ博士はまた、自らの著書がボンヘッファーとエキュメニカル運動の本質および今日の世界におけるその意味についての議論をさらに刺激するものとなればという希望を表明。この他、「神の命令と約束」に焦点を当てたボンヘッファーの1935年の論文は、エキュメニカル運動が自らの献身を再確認しつつ、手放さないようにしなければならないものであると述べた。
ボンヘッファーの言葉が持つ今日的な意味
米ホロコースト記念博物館の倫理・宗教とホロコーストに関するプログラム担当部長のビクトリア・J・バーネット氏は、当時のより幅広いエキュメニカルおよび宗教間の状況について語り、クレメンツ博士のような、エキュメニカル運動におけるボンヘッファーの役割についての綿密な研究はこれまで遅れていたと述べた。
「キースさんの本は、ボンヘッファーのみならず、当時の注目すべきエキュメニカルな指導者たち、そして問われていたより大きな諸問題についての鮮明な描写をもたらしてくれる」とバーネット氏は語った。
バーネット氏はボンヘッファーについて、「短い間、ナショナリズムをもてあそんだ」1920年代の若いドイツ人として思い起こした。ボンヘッファーを研究する学者たちはこれを全て無視しがちであるが、額面通りに受け取れば、それは「ボンヘッファーがナショナリズムを理解し、そして恐らくある程度ナショナリズムが訴えるものを感じさえしていたが、にもかかわらずいくつかの理由によって、彼はそれを批評しては非常に異なった結論を引き出すことができた」ということを説明する助けとなると、バーネット氏は語った。
それらの理由のうちの一つは、エキュメニカル運動に対する彼の関与であると、バーネット氏は述べた。エキュメニズムがボンヘッファーに訴えたものはナチの時代よりも前のものであるが、エキュメニズムの理念とナチズムの理念は非常に根本的に相容れないものであったため、エキュメニカル運動と国家社会主義の間の断層線は彼にとっては最初から明確であったと、バーネット氏は述べた。
ボンヘッファーの今日的な意味については、討論者の一人であるスティーブン・ブラウン博士が発題した。ブラウン博士は、ジュネーブに基盤を置くネットワーク「Globethics.net」のプログラム幹事を務め、エキュメニカルな正義・平和と被造世界の一体化の過程が東ドイツの平和的な革命において演じた役割に関する本である『Von der Unzufriedenheit zum Widerspruch(欲求不満から矛盾へ)』(Lembeck、2010年)の著者でもある。
ブラウン博士は、ボンヘッファーが、「支配するのではなく助け仕える」という、その言葉が「概念を通じてではなく事例によって重みと力を得る」教会を心に描いていたと説明した。
ブラウン博士は、ボンヘッファーの言葉が「正義と平和の巡礼」というWCC第10回総会の呼び掛けとどのようにして共鳴するのかを伝えた。「巡礼は世界が無視できないような権威的な言葉を口にすることではない。代わりに、それは他の人たちと共に歩き、神の御言葉に耳を傾ける道である」とブラウン博士は語った。
「ディートリッヒ・ボンヘッファーの権威ある証は、彼の言葉だけに起因しているのではなく、彼が自らの生涯をどう生きたのかについての権威ある証に、そして政治的陰謀者としての彼の死——私たちが今日記念している彼の死——に起因しているのであり、教会の公的組織からはかけ離れている」とブラウン博士は結んだ。
キース・クレメンツ博士の新著『Dietrich Bonhoeffer’s Ecumenical Quest』は、こちらで購入可能。また、今回の討論会における3人の発題内容(音声)はWCCの公式サイトで公開されている。
なお、ボンヘッファーに関する日本語による最近の本には、日本ボンヘッファー研究会編『東アジアでボンヘッファーを読む (新教コイノーニア)』(新教出版社、2014年9月)、S・R・ヘインズ、L・B・へイル共著『はじめてのボンヘッファー』(教文館、2014年9月)、村上伸著『ボンヘッファー』(清水書院、2014年8月)、ディートリヒ・ボンヘッファー著『共に生きる生活(ハンディ版)』(新教出版社、2014年6月)などがある。また、ボンヘッファーの獄中詩は、『ボンヘッファー獄中詩篇―詩と註解』(同、1989年)に収められている。