先日、車のエンジン警告灯が点灯しました。その日は、日産のディーラーは定休日なので、日産お客様センターに電話して相談しました。「エンジン警告灯の点灯は、エンジンに異常があるということなので、運転は控えてください。遠出は危険ですので、絶対に避けてください」と言われてしまいました。
翌日は、出張で一日遠出をする予定になっていましたが、急きょ延期することになりました。こんな時、一瞬腹が立ちますが、すぐに心を入れ替えることにしています。神を信じて生きる人は、想定外のできごとをどう受け止め、それにどう対処すべきでしょうか。
第一は、感謝をすることです。神様は、私が立てた計画よりも、もっと良い計画をお持ちです。神様がより良いスケジュールを立てて下さったと信じて、感謝しました。
「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」(エレミヤ29章11節)
第二は、ほうれん草(報・連・相)。すなわち、報告・連絡・相談を直ちに行うことです。相手が怒り出したり、がっかりさせたりしてしまうのではないかと恐れるあまり、報告・連絡・相談を後回しにすると、かえって問題が大きくなり、傷口が深くなります。
聖書は、「何事も思い煩ってはならない」(ピリピ4:1~4)、また、「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから」(イザヤ書41:10)と語ります。思い煩わず、恐れずに、現実を直視し、受け入れ、正直に報告・連絡・相談を行うことで、信頼を失うことがないばかりか、かえって人間関係が深まったり、信頼されたりすることもあります。
第三は、想定外を通して与えられた神の計画を認め、受け入れ、それに従うことです。私の一日は、完全に予定が狂ってしまいました。感謝をし、先方に報告・連絡・相談を行い、予定を変更してもらいました。おかげで、朝ゆっくり起きて、お祈りをして、元気に一日をスタートできました。
まず、日産のディーラーに行って、エンジン警告灯が点灯した原因を調べてもらいました。しばらくして、メカニックの方が笑顔で戻ってきました。「異常ありません」。これで安心して車に乗れます。
次に、オイル交換の時期だったので、ディーラーより安いカーショップにオイル交換に行きました。ついでに、以前から交換が必要だったワイパーとバッテリーも交換してもらいました。午前中は、そのうちやろうと思っていた用事をすべて済ますことができました。
祈りながらルンルン気分で車を運転していると、体調を壊して教会に来られない教会員の顔が浮かびました。午後の予定が決まり、玉川沿いの道を走っていると、その前に、上村遼太君が殺害された現場に行ってみたいという気持ちになり、ラーメン屋、バイク屋、ガソリンスタンドなどに立ち寄って、現場を教えてもらいますが、「○○○の辺りだと思うよ。TVで見ただけだから正確にはわからないね」というような答えしか返ってきませんでした。
後は祈りながら、導きを求めて走りました。急に雰囲気が変わり、人がたくさんいるので行ってみると、現場にたどり着くことができました。しばらく前から、気分にムラがあり、心に痛みを感じたり、イライラしたりすることがありました。ここに来て、上村遼太君の事件のことで心が痛んでいたことに気づきました。
「百聞は一見にしかず」と言われますが、現場に行ってみなければわからないことがたくさんあるなあと思います。つい先日、2回目のイスラエル旅行に行きましたが、1回目の時は、聖書が平面的で、モノクロに感じていましたが、立体的で、カラフルに感じられるようになりました。2回目に行くことで、さらに聖書がカラフルで身近に感じるようになりました。同じように、TVや新聞の写真だけで見ていただけのときは、あまり想像ができませんでしたが、実際に現場に行ってみて、わかることがたくさんありました。
弔問に来るたくさんの人が、手を合わせたり、泣きながら声をかけたりしている姿を見て、ああ、ここで事件が起こったんだと実感し、言葉を失いました。現場での地形を見たり、雰囲気を感じたりしながら、遼太君の殺されるまでの苦しみや恐ろしさなどの気持ちがダイレクトに伝わってきて、息苦しくなりました。同時に、人間の罪深さ、醜さに向き合わされ、怒りを感じました。1時間くらいお祈りをしました。不思議と涙が何度も溢れ、心がいやされていきました。
遼太君の死をムダにしてはいけない! このような事件を繰り返してはいけない! 「神様、私に何ができるかわかりませんが、子どもたちをいじめから守るために私を用いて下さい」と、祈りながら車に戻りました。
それから、車で玉川を渡り、国道を走って、教会員宅を訪問しました。そこでは、遼太君のことには触れないで、イスラエルで受けた恵みの数々を分かち合いました。元気になってもらいたかったからです。段々元気になっていく姿を見て、私も元気が与えられました。
夜8時前に帰宅し、家族で一緒に食事をしながら、上村遼太君のことを互いに話し合いました。いじめられていた上村遼太君は、きっと相談できる相手がいなかったのではないかと思います。親や身近な人に相談すると、心配させてしまうことに罪の意識を感じて、平静に振舞ったのではないかと思います。また、他の友人に相談しても、凶暴な殺害グループのメンバーを恐れて、見て見ぬふりをせざるを得ない状況で、一人で抱え込むことになり、誰からも助けてもらえずに、最後はあのような状況に追い込まれてしまったに違いないと思います。
「助けて! とまわりの人に叫んでください」というアドバイスを聞くことがあります。しかし、「助けて!」と言えない現実があることを知らなければなりません。いじめに対して過敏になり過ぎることも別の問題が生じるかも知れませんが、いじめは誰にも言えず、次第にエスカレートし、そこから抜けられない性質のものであることを理解し、その状況を変えていかなければならないと感じます。上村遼太君のために、ご遺族、近親者、友人・知人の慰めをお祈りします。また、このようなことが繰り返されないように祈ります。
当初の予定は、車のエンジン警告灯が点灯したことで完全に狂ってしまいましたが、そのことによって、何倍にも充実した一日を過ごすことができました。神様がなさることは、いつも最善です。私たちの計画は、自分の経験や知識や知恵によって、一番いいと思える計画を立てますが、神様は、予めそれ以上に素晴らしい計画を持っておられます。
だから私は、神様に聞いて一日をはじめ、計画を立てます。しかし、時々、神様に相談することを忘れて、人から誘われるままに予定を入れてしまうことがあります。そんな時、神様がお持ちの一番いい計画に、半ば強制的に導かれることがあります。まず感謝をし、次に、冷静に報告・連絡・相談を行い、神様の計画を受け入れていきましょう。
聖書は、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(伝道者の書3:11)と語ります。神様のなさることはタイムリーです。今日も、神様に導かれた素敵な一日でありますように。
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菅野直基(かんの・なおき)
1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッション等、地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での讃美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式等、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。
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