カンタベリー大主教は、ドイツのドレスデンへの連合軍による空爆に対し「深い悲しみ」を表明した。
ジャスティン・ウェルビー・カンタベリー大主教は2月13日、ドレスデン爆撃70周年に際し、ドレスデンの聖母教会で演説した。その中で、「この連合軍による空爆作戦には物議があり、いまだ多くの議論が行われています。その議論の内容がいかであろうとも、70年前にここで起きたことは大きな傷を残し、また人間性を失わせるものでもあります。ですから、私はイエスに従う者として、心からの後悔と深い悲しみをもって、皆様と共にここに立ちます」と語った。
ヨアヒム・ガウク独大統領やドイツの政治リーダーをはじめとする会衆の前で、大主教は、英国国教会の指導者としてこのイベントに参加するために招かれ、またこの街に温かく迎えられていることを、「奇跡的なことに他なりません」と述べた。
かつてドイツ軍の空爆によって荒廃した地域で再建されたコベントリー大聖堂で、和解のミニストリーに従事していた経歴を持つ大主教は、ドレスデンで70年前の2月、3日間にわって行われた大規模な空爆によって「想像できないほどの残忍さをもって、大規模な死と破壊がもたらされた」と表現した。
大主教は、戦争の猛威の中では、人々の心は必然的にかたくなに、そしてますます冷酷になり、破壊する力が解放されると指摘。そして、「友人として共に歩くには、真理について共に話すことが必要です」と語った。
一方、赦しと和解の神学に裏付けされた大主教の2月13日の演説に対し、同14日付の英デイリー・メール紙がその演説の記事の見出しを「大主教、ナチス空爆したことを謝罪」としたことで、言葉の言い争いが起こり、影を落とした。
大主教の事務所は、その記事を「明らかに間違っている」と断罪した。大主教のスポークスマンは、「この大主教のコメントは、厳粛なセレモニーの中で戦争の悲劇を反映して出されたものです」と述べた。また、大主教公邸のランベス宮殿は、大主教は「非常に注意深く」謝罪を避けたと伝えた。
同紙の記事の見出しは、「大主教、ナチス空爆したことを『謝罪』:ジャスティン・ウェルビー氏、ドレスデン爆撃に対し『異様な謝罪』も、ヒトラーに殺された英空軍の英雄たちには言及せず」というもので、3月1日現在もそのままだ。
同紙は、英国の保守党所属のフィリップ・デイビス下院議員の言葉として、「この発言は、私には謝罪に聞こえます。大主教が、私たちがヒトラーを打ち負かしたことに対して謝罪することは異様なことです。私たちは謝罪だけはすべきでないと、私は考えていました。私たちは、ヒトラーを打ち負かしたことについて誉め称えられるべきです。これらの言葉は、ドイツを打ち砕くために命をささげた若者を侮辱するものです」と伝えた。
この論争は大主教自身のブログにも飛び火した。その記事には、「空爆70周年を迎えたドレスデンは、深い感情と悲しみの地です」と書かれている。
大主教は、この感情はかつて5年間働いたコベントリー大聖堂に対する感情とは違うものだが似ているとし、その両方が詩人ウィルフレッド・オーエンが「戦争の悲しみ」と呼ぶところのものを非常に強く思い起こさせると記した。そして次のように書いている。
「その夜遅く、ある人が、私が英空軍がナチスを空爆したとして謝罪したとする、デイリー・メール紙の見出しを見せてくれたときの悲しみといったらありません。私が聖母教会やBBCに話したことを普通に読めば、そのような考えに至ることはありません。メール紙の報道とは反対に、BBCに対して私ははっきりと英国内の空爆について話しましたし、特にコベントリーとロンドンについて言及しました。そして、私は爆撃軍団の英雄たちの無惨な死についても話しました。私の祖母の兄弟は、初めて出撃した作戦によって、ウェリントン(ニュージーランドの首都)で戦死しました」
BBCのラジオ5の番組で、英国はドレスデン爆撃について謝罪すべきかと尋ねられ、大司教は次のように答えている。
「それは非常に複雑な質問です。というのは、爆撃軍団にいた人々の苦しみについて話を聞いたり、私のコベントリー在任時代の苦しみを目の当たりにしていたり、そしてロンドンではドイツ軍によるロンドン大空襲(1940年)がありましたし、英国中のさまざまな都市や世界のあらゆるところについてのいろいろな話を耳にすると、問題は『私たちは謝罪すべきか?』というよりはるかに複雑なものではないでしょうか。私は、欧州が通ってきたそのような恐ろしいときに起こったことや、それによって引き起こされたことに対して、心からの悲しみを表す根深い必要があると考えています。そして、素晴らしい奇跡として、欧州が世界の和解の中心となるという希望と勇気を持つ理由もあるのです」