悲しみのやり場なし
日本人にとってあまりにも悲しい、悶々とした心のやり場なき日々が続いています。国際ジャーナリストとして活躍していた後藤健二さんが、私たちの願いもむなしく、あのような悲劇的最期を遂げてしまったからです。土壇場で何とかなるのでは・・・という一縷(いちる)の望みも、全くむなしいものであったようです。ひどい話にあきれます。「ああ、健二さん・・・」。出るのは涙と怒りと嘆きばかり。私たちがこんな思いにさせられたことは滅多にないでしょう。
でも悲しみに身をまかせてばかりはおれません。やがて日々の雑事と次々起こる出来事のために、健二さんについての記憶も薄れていくかもしれません。そこで彼の思いに触れつつ、イスラムの人たちの隠された苦悩について若干考えてみました。
最後の叫びは?
私は繰り返し自分に問い掛けます。あの無念極まりない最期が訪れたとき、健二さんは心張り裂ける思いで何を叫んでおられたのかと。私たち日本の一人ひとりに「あとは頼むぞ」、と懸命に語り掛けていたことでしょう。
想像を絶する困難の中で暮らしているあの地の人たちの心に寄り添いたい。「彼らには私たちに伝えたいメッセージが必ずあります」、と語っていたそうです。実はクリスチャンであった健二さんは、いつも小型の聖書を懐にし、「神様は必ず助けてくださる」、と信じて行動していました。果たしてこのたび神様は彼をお見捨てになられたのでしょうか? それは私たちが彼の叫びや訴えを、今後どれだけ聴き取って生きていけるか。ここにかかっている、と私には思われます。
「友のために命を捨てることほど、大きな愛はない」とは聖書にある言葉ですが、この「友」とは、貧しいイスラムの人たちであるとともに、私たち日本人でもあると思われるのです。
腰をすえ世界に向き合う時代
そこできょうはまず次の2つのことに注意したいと思います。まず第一は、いよいよ私たちもイスラム圏を含む、この世界全体と向き合わねばならない時代がやってきた、という実感です。このたびの本当に不幸な事件で、これが自覚されたのは残念ですが、これも健二さんが気づかせてくれたのです。以前から中東問題が私たちの視野になかったわけではありませんし、何しろ日本の輸入原油の約8割をこの地域に依存している現状であれば、無関心であっていいわけはなかったのですが・・・。とにかく島国育ちのわれわれも、これからは腰を据えて「世界中の人たちの幸せ」(宮沢賢治)を考えて生きねばならなくなったのです。
「目には目」でなく
その際、一番根底的な心構えとして必要なのは、憎しみに対して憎しみで仕返ししないこと。そして極力「挑発」に乗せられないことです。
このたびも、実際この難しい局面でどういう道を選択するか。政治家に深い知恵が求められるところです。
これまでの戦争の歴史を繰り返さないためには? 一時の感情に駆られ、軽率な「目には目を」の行動に出る精神ではなく、各国の為政者の心中深く、「平和のとりで」(世界大戦後のユネスコ憲章冒頭の言葉)をしっかり築かれるよう祈りたい、と思うのです。これこそ健二さんからのメッセージではないでしょうか。
イスラムの大多数は平和愛好者
もう一つ明確に峻別すべきは、99%以上を占めるまことに平和的なイスラム教徒と、ごく一部の過激にして暴力的な原理主義者です。私自身彼らについて知るところはわずかですが、一般のイスラム教徒がどんなに寛容で平和を好む人たちであるか・・・かつて鶴岡にも来られた片倉もとこさんの『イスラームの日常世界』(岩波新書)という名著を読んでも、深く納得することができるでしょう。彼女は以前単身で長い間彼らの中に住み込んで、生活を共にする中で知り得たことを紹介してくれている。大変優れたこの分野の先人です。
助けあうイスラムの魅力
さて、イスラム教については私もこれから大いに勉強していかねばならないのですが、とにかく6、7世紀から今日まで、1300年以上にわたっておびただしい数の人々を支えてきた世界的大宗教であることは間違いありません。今もおよそ17億、その教えを主としている国は41カ国に達しているそうです。
教祖マホメットの教えは極めて単純、「アッラーは偉大なり」と信じればよく、入信も簡単なこともあり、教会の手の届かない貧しい人たちの間に、急速に広まっていったのです。
イスラムの魅力のひとつは、その集団主義と助け合いでしょう。
前者はあの礼拝の光景に表れています。全員が白い服をまとって、一斉にアッラーに頭を垂れ、地にひれふす。王様も乞食も、ここでは区別がつかない。全く平等なのです。そこでは誰もが仲間。この大きな集団の一員であることで深い安心を得るのです。
断食月と喜捨
ラマダンと呼ばれる断食月には、みんながこれを実践し、貧しい人たちの思いを分かち合うのだそうです。
そして助け合いです。「喜捨」という戒律によって、誰も例外なく全収入の10分の1をささげて、貧しい人を助けているのです。身寄りのない婦人がいれば、多少ゆとりある人が家に入れて救ってあげる。外からは「一夫多妻」などと見られるこの風習も、こんな相互扶助の精神が生きて働いている結果なのです。
仕事の価値は第4、5位
イスラムの人たちが大事にしていることについて。われわれ日本人に大事なことは、まず仕事やお金でしょうか。でも彼らが重きをおく価値とは次のようなものです。すなわち、祈り、瞑想し、神を思い、歌うこと、友や家族と交流し楽しむこと、詩を朗読し、哲学し、読書を楽しみ、おしゃべりすること、旅をし、遊び、よく寝ること・・・。こういう中で、仕事は生きるためにやむを得ずするもので、価値の序列はずっと下位にランクされるという・・・。すると、たとえ貧しくとも、そのゆったりした楽しそうな生活ぶりが容易に想像されようというものです。それらに分け入ることは、何だかとても面白そうになってきませんか?
過激な暴力はなぜ?
最後に、そんなイスラム教徒の中から、たとえ1%以下であっても、どうして暴力主義的な「原理主義者」が出現し、力を振るっているのか、という疑問についてです。この重要な問題は、これから解明が進むと思いますが、現時点で私が思うところを記し、皆さんの御意見を伺いたいと思います。
列強の搾取の歴史
① 遠因ではあるが、大きな背景として忘れてはならないこととして、近代の歴史において、多くのイスラム国家・民族が、帝国主義的大国の侵略や植民地支配を受け、搾取と収奪の痛ましい犠牲となり、社会発展は遅れ、貧困が加速化したことです。日本にいては想像もしにくい貧しさがどこにも広がっていることが問題発生の根にありそうです。居場所を失った多くの若者が、どの国にもさ迷っているのです。
今も以前ほどあからさまではありませんが、「持てる国」は「持たざる国」を収奪しているでしょう。「南の国が貧しいのは、北の国が豊か過ぎるから」、とはよく聞く言葉です。
ブッシュ・ドクトリン
② アルカイダ系の暴力組織が大きくなった直接的きっかけとしては、あのブッシュ大統領によるイラク戦争(大量破壊兵器があると推定して仕掛けた先制攻撃)から始まった、力に頼る軍事戦略が問題を悪循環させているのではないか。これには今も多様な評価がありますが、ここまで泥仕合的様相を見せられると、どうも米国がここらで「頭を切り替えて」出直す必要がある、と私も感じています。石油資源などの確保への焦りが、この大国の眼を曇らせているのでしょう。
急激な現代文明の流入
③ 長期的な目で見ると、「イスラム世界の苦悩」として、現代の資本主義的また西欧文明の非常に急激な流入がある、と思われます。その先端である武器や石油資本とともに、衣食住や生活スタイル全てにわたり、圧倒的に優勢な文明の影響を避けられずにいます。
このまま行ったら、大事にしてきた先祖伝来の宗教的文化はどうなってしまうのだろう? 何だかこれまでの国が壊されていくような気がする。
こういう強い不安や危機感が、伝統的教えに忠実であろうとする原理主義者をして、コーランにとんでもない間違った解釈を施してしまっているのではないか。
日本にも同じ苦しみがあった
ここまできて思い当たるのは、私たち日本があの黒船来航以来味わってきた大変な苦しみ悩みです。それはまだ続いています。
すなわち、圧倒的に優れた西洋文明の無制限の流入に、パニックになった日本。自国がどうなるか危険を感じて、天皇中心の絶対主義国家で固め、「和魂洋才」を合言葉に「追いつき、追い越せ」。でも結局はその無理は、戦争に訴えざるを得なくなったのです。
こうしてみると、私たちも今のイスラム諸国と同じ苦しみ悩みを経験してきたように思います。端的にいえば、それは「近代化と伝統社会の相克」という問題です。
イスラム諸国家は、まだ産業革命も市民革命も経験していない。西欧では数百年かかり、日本は150年かけ、なお続いている近代化。その波をかぶりながら、それにのまれまい、と必死に戦っているのがイスラム諸国家です。
なんとも了解不能と見える暴虐の背後に、こういう隠れた苦悩があるのではないか。私にはそう思われてなりません。ここらあたりを理解しておかないと、次々現れる暴力主義者や国家をいくらたたいても、モグラはいくらでも出て来るでありましょう。
※ 日本基督教団荘内教会(山形県鶴岡市)では、2月8日に「後藤健二さんの追悼市民礼拝」を行わせていただき、地域の市民50数人が集まりました。
(文・矢澤俊彦=日本基督教団荘内教会牧師・同保育園長)