カンタベリー大主教は10日、伝道へのコミットメントを再確認し、英国国教会の総会で、伝道は「教会全体への召命」と語った。
10日午後にロンドンで開かれた総会で、ジャスティン・ウェルビー・カンタベリー大主教は自虐的な冗談で代表演説を始めた。
多くのキリスト教徒が証をすることを喜びよりもむしろ、「過敏さ、不確かさ、罪悪感」を持って捉えていることに言及し、カンタベリー大主教は「このことに対する戦略的な回答は、投入した努力と資産に対して可能な限り最大限の見返りを得て信徒獲得を最大限に加速化させるため、長期的かつ反復した相互作用を持つ、計算された、根拠に基づいた能力開発をできる限り全ての関係者に対して行うことです。
今話したことは、もちろん、完全な冗談です。正直に言いますと、皆さんがすでにご存じのように、実際には私は、この朝間違った服を着てきしまったビジネスマンであると思っていただきたいので、このことをお話ししました」と述べた。
昨年7月の初の代表演説でウェルビー大主教は、伝道をそのミニストリーにおける3つの優先事項の1つとして位置づけた。その演説では、「私たちは祈りを通して伝道に対する新しいイメージを持つこと、また私たちの議題から伝道がはじき出されるようなことがあってはならないという、断固とした決意を必要としています」と述べた。
この日、ウェルビー大主教はこのコミットメントを引き合いに出し、参加者に「証をすることと伝道は、私たちの人生に神の恵みによる愛と喜びが満ち溢れていることの表現であり、神の教会全体の、そして神の世界全体の生命なのです」と語った。
しかし、ウェルビー大主教は、聖パウロの「キリストの愛が私たちを(伝道へと)推し進める」ことが、英国国教会内ではいつも明らかなわけではないと語った。
教会の最終目標は、キリスト教徒に対し「キリストにあって神を礼拝し賛美する者となること、そして私たちがすでに受けた良き知らせを流し出し、キリストの名を全ての人に知らしめることによって、教会全体に良き知らせが効果的に宣べ伝えられること」だと述べた。
「これは最も強く人を引きつける知らせです。私たち自身の創作ではなく、私たちへの贈り物として与えられています。私たちがまだ知らないことを述べるからこそ、知らせなのです。私たちは自分でこれを推論したわけでもありませんし、自分たちの力によって広めているわけでもありません。良き知らせは神の力なのです。
私たちは良き知らせの中で、人類の必要、考え、ケア、欲求、問題をカーペットの下に隠すのではなく、それを全て取り上げ、ご自身のものとしてくださった神について話すのです。
そして、もし私たちが自身をこの福音に、イエス・キリストの良き知らせに委ねるなら、虫のよ過ぎる話に聞こえるかもしれませんが、福音が私たちを圧倒するでしょう。教皇フランシスコが『福音の喜び』で語られたように、『福音は継続的に私たちを喜びへと招くのです』」
これはキリスト教徒に対しての継続的な挑戦だと、ウェルビー大主教は結論づけた。そして教会は信者の証を励まし、促進するために働かなければならないとした。「この変化は簡単に起こることでもありませんし、何かの奇跡が起こるのをただ待つこともできません」とウェルビー大主教。
「私が恐れているのは、多くの人が福音に対してすっかり自信を失ってしまっていることです。私たちは、証をするならば専門家、あるいはプロである必要があると考えてきました。しかし、私たちはそうではありません。私たちはただ、私たちを捉え、私たち自身の人生に違いをもたらした愛を語れるようになる必要があるだけです」
一方、英国内で礼拝出席者の減少に対する大きな議論があるにもかかわらず、ウェルビー大主教は、なおも教会の未来について何も恐れてはいないと主張した。
昨年11月、ウェルビー大主教は「しかし、これは神の計画の一部のことですが、神の教会の将来は新しくされ、活気づいた、自信に溢れ、素晴らしく、祝福に溢れ、へりくだった、そして喜びに溢れた英国国教会があることを私は望んでいます」と語っている。一方、伝道は「教会の行こうとしているところを確実にするために」神を利用することではないとも述べている。
「伝道の中で行っていることは教会の道具ではなく、1世代か2世代の間、そこにとどまるためにする手立てでもありません。これは神の性質の表れです。そして神の人々の中に備わっている性質なのです」
英国国教会の今年1回目となる総会は2月10〜12日にロンドンで開催され、第2回目が7月10〜14日にヨークで、第3回目が11月23〜25日にロンドンで開催される。