日本クリスチャンアカデミー関東活動センター主催のシンポジウム「徹底して弱さの上に立つ―柏木義円の生涯と思想に学ぶ―」が昨年12月13日、早稲田奉仕園You−Iホール(東京都新宿区)で開催された。片野真佐子氏(大阪産業大学教授)が基調報告を行い、山口陽一氏(東京基督教大学教授)、植木献氏(明治学院大学准教授)、平井和子氏(一橋大学講師)が発題者として講壇に立った。
柏木義円(1860〜1938)は、明治・大正・昭和にかけて活動した、群馬にある安中教会の牧師。新潟県与坂町に生まれ、東京師範学校卒業後、群馬県松井田町で小学校教員を務める。その後、新島襄を慕って同志社で学び、その教えを受ける。日露戦争当時から戦争反対を主張。安中教会5代目牧師として38年間務めた。その間、「上毛教界月報」を発行し続け、その紙面で反戦・非戦を終生訴え続けた。激動の時代の中で、天皇制・非戦論・ジェンダー論などをめぐって社会と激しく切り結び、「国家を超越する基督教(真の隣交国)」を指し示した人物だ。
柏木義円に関わる著作は、1970年代に伊谷隆一氏によって、『柏木義円集』(未来社)第二巻まで刊行されたが、「日記」と「書簡」を後に残して未完に終わった。その後、飯沼二郎氏(京都大学名誉教授)と片野氏によって『柏木義円日記』(行路社、1998)、片野氏によって『柏木義円日記補遺』(同、2001)がまとめられた。そして、さらに10年以上の歳月を経て、片野氏が『柏木義円書簡集』(同、2011)と『柏木義円資料集』(同、2014)を完成させた。
シンポジウムには50人以上が参加。まずは片野氏が、20年以上にわたる翻刻、編集作業を通して見えた柏木の生涯とその思想について論じ、発題者それぞれが、自身の研究と絡めてコメントした。
片野氏によると、柏木は、廃娼運動や足尾鉱毒事件、未開放部落問題、思想弾圧事件など多岐に及ぶ社会・政治批判を行い、社会的弱者や女性、異民族に対する差別と抑圧を内包していた戦前天皇制の対極に立ち続けていた。その思想の根底には、柏木のキリスト教信仰があり、全ての人間に神から与えられた確固たる人権があるという主張があった。国家そのものが究極的な価値とされていた時代に、柏木は、家族・教会・地域に属する一人ひとりに寄り添い、民衆の生活に根付いた論を展開し続けたという。
近代皇后論が専攻の片野氏は、ジェンダー論の視点からも柏木に関心を抱いており、柏木の天皇制批判が、「家」制度・「戸籍」制度の批判で頂点に達すると指摘する。封建的な男尊女卑の関係が当然であった時代でも、柏木は「男女の真の人格的結合」を目指すべきであると説き、女性を道具視しない社会の必要性を説いたという。
柏木の主張は、自身の独特な生活環境に影響を受けている点も多く、その解釈や評価は大きく分かれることも多いが、片野氏は柏木を「時代批判精神を所持し続け、近代天皇制下で正統的キリスト教信仰を貫こうとした貴重な証に他ならない」と評価している。
発題者の山口氏は、柏木の牧師としての説教に関心を持ち、「一人の救われん為」に伝道に励む姿勢を指摘。いかなる時代においても、教会で語られるのは、研ぎ澄まされた福音であるべきであり、福音を語ることによって社会に出ていくことの重要さを、具体的な足跡として柏木から学ぶ、と述べた。植木氏も、柏木を思想家として評価するだけでなく、牧師・牧会者として再評価する必要があると提起。今回まとめられた資料をもとに、より一層の柏木研究が進めば、さらに多くの収穫が得られるであろうとの期待を抱かせる、さまざまな切り口が提示された。
片野氏によると、柏木の資料は極めて複雑な状態にあり、鉛筆で書かれた緻密な文字や、筆で書かれた英文字など、マイクロフィルムリーダーでは読み取ることのできない文章を、一文字ずつ当てはめながら読み解いていったという。戦後70年という大きな節目を迎える今年、「新しい戦前」に近づいているかもしれない今、柏木の思想が一つの形となって世に出たことが、大きな意味を持っているのではないだろうか。