一昨日の24日はクリスマスイブ。2014年もあっという間に年の瀬を迎え、この聖なる夜が巡ってきた。今年のイブはちょうど水曜日。毎週水曜の夜、池袋の街で、帰る場所がなく路上で過ごす一人ひとりにおにぎりを配り、温かい声を掛けながら歩く活動を続けているNPO法人があることを知り、御降誕のミサにあずかった後、彼らの「夜回り」に同行させてもらった。そこには、都会の華やかなイルミネーションも目に入らず、クリスマスでにぎわう街の片隅でひっそりと生きるホームレスの人たちの世界があった。
特定非営利活動法人「TENOHASI(てのはし)」(清野賢司代表)。1999年に前身となる団体がつくられ、2003年に現在の法人を設立。2008年にNPO法人格を取得した。当初から池袋に絞って公園や駅の構内、路上で夜を過ごすホームレス状態の人々を援助。中心となるボランティアスタッフは現在40人以上おり、毎月2回の炊き出しや毎週1回の夜回りを通じて、温かい食べ物などの支援物資を届けるだけでなく、生活や医療の相談にも乗り、福祉事務所との間をつなぐなどして自立へとつながるきっかけを与え続けている。
毎週水曜の夜回りは午後9時半に池袋駅前公園からスタート。この夜も9時を回ったころから、おにぎりやパンを入れた袋や段ボールを持ったスタッフが公園に姿を現し始めた。それと同時に、寒風の中、水曜日の夜を楽しみにしている人たちが次々と並んで行列をつくった。この日、用意したおにぎりは約150個。それに加え、クリスマスイブとあって、カトリックイグナチオ教会から約200個のおにぎりも提供された。
「てのはし」では、ホームレス状態から抜け出した人たちが仲間と共に、地域社会の一員として自信を持って生活を営むことを目的に、パンづくりを通じた社会復帰を応援するプロジェクトも行っている。その「池袋あさやけベーカリー」の人たちがつくった40個ほどのパンも、ホームレス状態の人々への心のこもったクリスマスプレゼントとなった。
午後9時半、行列をつくって待っていた50人ほどの人たちに、スタッフが手分けしておにぎりやパンを配っていく。そのほとんどは常連さんで「寒いねえ」「ありがとう」とスタッフに声を掛け、おにぎりとパンを嬉しそうに抱えて持って帰る人も。中には、いつもの「ありがとう」の代わりに、「メリークリスマス!!」と笑顔であいさつする人もいた。
並んで待っていた人々に、食料を一通り渡し終えると、スタッフはいざ「夜回り」に出陣。池袋の駅構内と公園など外を回る4つのコースに分かれ、5、6人ずつが食料を持って回る。毎週、たいていそこにいる人が今夜もいるかどうか安否を確認しながら、その健康状態を見極める。起きている人とは会話をし、ホームレス状態からの脱却を目指して、まずは福祉とつながっていく意欲を持ってもらうため、じっくりと心を開いてもらう活動を時間をかけて行っていく。
2001年から活動に加わっている「てのはし」前代表で、精神科医でもある森川すいめいさん(41)は、この間のホームレス状態の人々の実態を、「10年前には路上で出会う人は今の2倍はいた。だが、それは単に数が減ったのではなくて、彼らの居場所がなくなって目に見えなくなってきているから」と話す。
毎年1月に発表される厚生労働省の調査では、2014年1月の全国のホームレス状態にある人の数は7508人。うち21・1%に当たる1581人が東京23区にいるという。またこの数字はこの5年間で毎年減少傾向にあるともされている。
しかし、この数字について森川さんは、「厚労省の調査は昼間に行われており、実態とは懸け離れている」と指摘する。確かにホームレス状態の人々が、ひとときでも体を休めることのできる寝床を求めて駅周辺に腰を下ろすのは、終電も間近な時間になってから。昼間はあちこちの公園などをあてもなくさまよったりしており、夜よりもさらにその姿は見えにくい。さらに森川さんは、「10年以上前には日雇いの仕事や都市雑業(廃品回収や清掃)などが多少はあった。夜はホームレス状態にあっても昼間は仕事をしている人もいた。でも今は、そうした仕事も減り、ホームレス状態にある人たち自身も高齢化して働くことができなくなっている」と現状を憂う。
夜の池袋駅の構内。ホームレス状態の人々は、昼間は人が多く行き交う通路の、柱のかげや、自動販売機の横などでひっそりと座ったり、段ボールで作った覆いの中でうずくまるように疲れ切った体を横たえていた。支援物資を配って歩くスタッフとは顔なじみの人も多く、このうち71歳のある男性は、心をこめて握られたおにぎりを段ボールの中から取り、「ありがとう、ありがとう」と繰り返した。
この男性に話を聞くと、「60ぐらいから働いていない。自分で事業をやっていたが、人にさんざん騙されて失敗して、この始末。もうどうしようもないねえ。今さら働こうにも体がガタガタでいうことをきかない」と嘆き、悲しそうな表情を見せた。昼間はどうしているのかと聞くと、「遊歩道の公園を行ったり来たりして、本を読んだり。まあそんなことしかないですね」。布団らしきものもなく、段ボールで寒さをしのいでいるのは、「西口公園で2回も荷物を盗られた」ためと言い、夜、この場所に横になってからも、「そりゃあ眠れるわけがないですよ。ほとんど寝てないですね。駅のシャッターが閉まると少しは温かくなるけど、とにかくお腹は空くし、やっぱり明日のことを考えてしまう。そうするともう眠れないです」とため息をついた。
「てのはし」の支援活動については「本当にありがたい。とても助かります」と言う一方、福祉とつながることについては、「勧めていただいていますが、なかなか踏ん切りがつかない。とにかくもう体がガタガタですから」と繰り返した。
ホームレス状態から脱却するための一歩として生活保護を受けることを拒む人の心理について、森川さんは、「過去にはずっと自分の力で働いてきたという自負のある人も多い。生活保護を受ける=国から『お恵み』をもらう、という社会側の意識が強いために、自尊感情が傷つけられてしまう。だから、国の世話にはなりなくないという人もいる。ホームレス状態になったのは、他に選択肢がなかったからではある。生き延びるという選択の結果でもある。時間をかけて説得はするが、そうした彼ら一人ひとりの意思は大切にしなければならない」と、「てのはし」の方針でもある、ホームレス状態にある人一人ひとりの意思を尊重する考えを強調した。
「てのはし」では、活動を担うボランティアや支援物資をまだまだ必要としているものの、ボランティアの数自体は年々増えており、10代の学生から5、60代の人までさまざまな世代の人たちがそれぞれの仕事に励む傍ら、ホームレス状態にある人々に寄り添っている。
今年5月から参加しているという大学院生(24)はこの間の活動を通して、「駅の中の見方が変わった。単なる乗客としては目に留めないところを意識して見るようになった。普段、昼間、あの人たちはどうしているかなあ、ととても気になる。夜回りでいつものところにいつもの人がいると、やっぱりほっとする。食べ物をもらって、表情が柔らかくなるのを見てもやっぱりほっとしますね」と笑顔に。今回初めて参加したという看護師の女性(39)は、「病院で働いているので、ホームレス状態にある方が運び込まれるのを看ることはあります。でも実際に路上にいらっしゃる方に声を掛けるのは初めて。自分なんかが行っても何もできないんじゃないかと思って不安でしたが、勇気を出して参加してみました」と話す。
森川さんは、「野宿の生活にまで至った過程を考えると、それはとてもつらい経験だったと思う。でも、突然に家族を失ったり、ひどく落ち込むようなことが重なれば、途方に暮れることは誰にでもある。そのとき、もしも孤立した状態だったとしたら、ホームレス状態になることは誰の身にもあり得ること。今、一人暮らしの人はとても多い。以前、私たちが行った調査では、ホームレス状態になって2カ月以内の人に『死にたい』という自殺念慮を持つ人が多かった。野宿に至る前後で、自殺で亡くなる人もいるのだと思う。
彼ら彼女らは傷ついている。疲れ切ってやっと駅構内に座り込んだときに、駅員に追い立てられ、子どもや酔っ払いに暴力を受ける。自分は誰からも邪魔者でしかないんだと思い、絶望することにつながる。実際、ホームレス状態にある人の半分以上が、ホームレス状態になってから、路上で蹴られるなどの暴力を受けている。彼らの、その傷ついた心がどう癒やされていくのかに寄り添うことが大事な活動のひとつ」と、長年の経験を通じて培った思いを吐露した。
さらに、東京では6年後の東京オリンピックに向け、「今、この時も新宿や渋谷などの公園が行政によって封鎖されている」と、ホームレス状態にある人々の居場所がますますなくなっていることを指摘。「彼らには投票券も送られてこない。票に基づいて動く政府は、少数のマイノリティーのことなど頭にもない。ホームレス状態の人のことだけではない。マジョリティーのみを対象とする政策では駄目だ」と訴えた。
この夜、スタッフがおにぎりやパンを配り終えたのは午後11時近く。イブとあっておにぎりが普段より多くあったため、余ってしまった分はみんなで持ち帰った。「きょうはたくさんあるからといって、多く配るというわけにもいかない。配り過ぎて食べ切れなくて、お腹壊しちゃったりしたら大変ですから」とスタッフ。それでもこの聖なるイブの夜、延べ120人ものホームレス状態にある人々がおにぎりやパンで空腹を満たし、スタッフとの温かい会話で心が少しは癒やされたのは確かだろう。