第5章 心傷つき病む子どもたちの癒やしへの道
Ⅲ.アガペーによる全面受容の癒やしへの道
2)アガペーによる全面受容の癒やしが成されるための具体的な道
■ 癒やしへの具体的な道
⑦ 断じて他者と比較せず、他者を非難しない
次にアガペーによる全面受容の癒やしが成し遂げられるためには、さらに“断じて他者と比較せず、また他者を非難しないこと”が必要です。たとえば、「お前は何でいつまで経ってもあの5年生の時の仲良しだった○○君のようになれないのだ。○○君はもうすでに中学3年生だよ。お前はいまだに学校にも行けず、家の中ばかりに引き籠ってしまっていて・・・」とか、または「××さんは、最近麻薬犯罪で捕まって刑務所に入ったそうよ。人はそこまで落ちたらもうおしまいよね。そのことにくらべれば、あなたの方がまだずっとましよね。ただ学校に行けないだけで、警察の御厄介にならないですんでいるのだから・・・」といったような発言です。このような本人と他者を比較したり、また他者を批判したり、軽蔑したりする発言は絶対禁物です。
では、どうしてこのような発言が禁物なのでしょうか。以下に、その理由を幾つか述べてみましょう。
第一に、すでに述べたようにアガペーによる全面受容による癒やしの鉄則として、あくまでも本人を全面受容するためには、一切他者と比較せず、心傷つき病んでいるその子自身の尊厳をどこまでも重んじ、その子本位に万事を考え、ひたすらその子を愛し、そのケアに当たらなければならないのにもかかわらず、他者と比較することによって、この鉄則を早くも破ってしまうことになるからです。
第二に、このように比較することにより、受容者である親自身が、他者をうらやましく思ったり、一向にはかばかしくない我が子を見せつけられるようで、非常に悲しく思えたり、焦ったり、さらには憤りや憎しみをさえ我が子に覚えたりするようになってしまうからです。その結果、受容し続けることがますます困難となり、行く先に希望の光を失い、心には不安が増し、その思いはいよいよ乱れるばかりです。だから他者と比較することは、何と非生産的な愚行であって、それはまさに徒労に過ぎません。
さて第三に、心傷つき病んでいる子どもの前で他者を非難・批判することは、これまた禁物です。一見、前述のように我が子がそうでないことを喜び、本人を誉め励ましているつもりかもしれませんが、それが逆効果になることがしばしばあるのです。なぜならウルトラ良い子たちは、本来心優しく、他者配慮に富み批判されている相手の気持ちを察し、感情移入が起こり、相手が気の毒になり、あたかも自らが非難されているかのような錯覚さえ惹き起こすことがあります。のみならず、今は自分を非難してはいないが、やがてはその同じ価値観、評価基準をもって自分も裁かれ、批判されるようになるに違いないと直感するからです。今は自分を受容してはいるが、その実その背後には、以前と少しも変わってはいない世俗的価値観をもって人を裁く体質が、その自らの受容者である親の中になお存在していて、やがては再び自分も裁かれるに至るに違いないと恐れるのです。
親が他人を非難し、裁く姿と言葉を目の当たりにする時、心傷つき病めるウルトラ良い子たちは、その瞬間、親が今まで自らをアガペーによる全面受容をもって受容してきてくれたと思っていたことが、親の本心からではなく全くの偽りであり、上辺だけの繕いに過ぎなかったと思い、大きな衝撃を受け、絶望するのです。ですから断じて我が子を受容し、他人を批判し、裁くことはしてはならないのです。どうか我が子の癒やしのためにアガペーによる全面受容を始めた方々よ。他人を批判し、非難し、裁いてはなりません。アガペーは、本来その人の心と人間性の本質からほとばしるものであって、我が子と他人とを区別することなく、誰に対しても注ぎだされるべき普遍的真心だからです。とりわけウルトラ良い子たちは、それを見抜く感性をもっているのですから。(続く)
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