「12月、山口市はクリスマス市になる。」を合言葉に、山口市で、美術・音楽などのさまざまなイベント・ワークショップが開催されている。
「世界ではじめのクリスマスは ユダヤの田舎のベツレヘム」というクリスマスの歌がある。イエス・キリストの誕生を祝うのがクリスマスであるから、イエスが生まれたベツレヘムがクリスマス発祥の地といってよいのかもしれない。
「世界ではじめのクリスマス」は、山内修一さんが作詞作曲したゴスペルフォークソングだが、「日本ではじめのクリスマス」は「山口」で祝われた。
室町時代、現在の山口県にあたる周防国は、守護の大内氏の統治下で、西国一といわれるほどの経済的発展を遂げ、文化に溢れる個性的なまちづくりが行われていた。京都や朝鮮半島、中国大陸からさまざまな文化、学問、宗教を取り入れ、第31代当主大内義隆の時代には、「大内文化」と呼ばれる独自の文化が花開いたほどだ。
そんな周防に、1550年、フランシスコ・サビエルがやってくる。最初は、みすぼらしい身なりをし、日本のしきたりを批判したザビエルの説くキリスト教の教えは、大内義隆には受け入れることができなかった。しかし翌年、京都・長崎を経て、周防に戻ってきたザビエルは姿が一変し、立派な身なりで、たくさんの献上品を差し出し布教の許可を願う。すっかり気をよくした大内氏は許可を与え、廃寺になっていた大道寺を提供する。
ザビエルは同年に周防を去るが、大道寺を拠点に、本格的なキリスト教宣教が展開されていく。そして、1552年の旧暦12月9日(西暦12月24日)に、宣教師コメス・デ・トルレスらにより、イエス・キリストの降誕祭が行われる。海外からやってきた宣教師たちにとっては、来日して以来4回目のクリスマスだったが、『フロイス日本史』『続異国叢書 耶蘇会士日本通信(豊後篇)』に残された記録によれば、日本人信徒と共に祝ったのは初めてのことであった。
大道寺は南蛮寺(キリスト教の教会)に建て直すことになっていたが、落成前だったため、トルレスらは仮住まいの司祭館に信徒を招いた。修道士のジョアン・フェルナンデスが聖書の話を聞かせ、疲れてくるとローマ字の分かる日本人信徒の少年が代わりに朗読を続けたという。2人が話をやめると、日本人信徒たちはもっと話をしてほしいと催促するほど熱心だった。参加者は夜を徹して賛美をささげ、翌朝、再びミサが開かれた後、全員に食事がふるまわれたという。
このように、山口は日本におけるクリスマス発祥の地であるが、山口に住む人ですら知る人は少なく、1997年に山口商工会議所青年部が企画したことから、「日本のクリスマスは山口から」というイベントが始まった。今年もザビエルにまつわる資料が展示されるなどの各種イベント・企画が、市を挙げて開催されている。
南蛮寺が建てられたからではなく、仮住まいの場所に人々を招き、できる限り最大限のもてなしをした宣教師たちと、共にクリスマスを祝った日本人がどれほど喜びに満たされたことかと思いを馳せる。聖書の話を聞き、賛美と礼拝をささげ、共に食事をしたという、この日本で最初のクリスマスの姿から、御子イエス・キリストの誕生を祝う、クリスマスの本当のあり方を学ぶことができるのではないだろうか。
「12月、山口市はクリスマス市になる。」の詳細・問い合わせは、同実行委員会(電話:083・925・2300、ホームページ)まで。