ミャンマー宣教500周年を祝う記念ミサが14日、カトリック東京ミャンマー共同体の主催で、東京都品川区のカトリック目黒教会で開かれた。日本で暮らすさまざまな少数民族からなるミャンマー人ら300人を超える信徒が参加。ミャンマー語と日本語の両方で話される福音や説教に耳を傾け、日本、ミャンマー両方の聖歌を共に歌って、ミャンマー宣教500年を喜び合うとともに、日本とミャンマーの絆をさらに強め、交流を深めていくことを誓った。
ミャンマーにおけるカトリック教会の歴史は、1511年にポルトガル船がミャンマー南部のバゴー市に流れつくことに始まる。日本にフランシスコ・ザビエルが初めてキリスト教を伝えた1549年より38年前にさかのぼる。その後の数年間、ミャンマーには定期的に宣教師が訪れるようになり、その結果、小さなカトリックコミュニティーができた。1613年には旧ビルマの王がミャンマー南部を征服し、カトリック信者は南部から中央ミャンマーへと移住させられたが、以来400年間、彼らは信仰を守り続けた。
宣教師はこうしたカトリックの村々と連絡を取り合うとともに、新しい地にも宣教を広げ、19世紀には初めてシスターとブラザーを派遣し、主要都市に学校を開校した。山岳地帯へも行くことが可能になり、多くのカレン人やカチン人、チン人といった少数民族の人たちも洗礼を受け、教会は繁栄。現在は16教区からなる75万人のカトリック信者がいる。もっともミャンマーは堅固な仏教国で、カトリックは、全体の人口からいうと、わずか1.3%に過ぎないのが現状となっている。
今年は正確には宣教503年目となるが、500周年である2011年当時、ミャンマーの軍事政権の下で祝える状況ではなかったため、3年遅れて今年、500周年を記念する行事が行われた。
記念ミサは、駐日バチカン大使のジョゼフ・シェノットゥ大司教と、ミャンマー・ミッチーナ教区からこの日のために来日したジョン・ラロー神父の共同司式で行われ、ギターとシンセサイザーが明るく元気なメロディーを奏でるミャンマーの聖歌「TarDaNar HkaYi(教会の旅)」の歌声とともに司祭団が入場。第一朗読はミャンマー語で、第二朗読は日本語。聖福音と説教も日本語とミャンマー語の両方で行われ、終始、明るくインターナショナルな雰囲気のなごやかなミサとなった。
このうち、日本語で福音を読んだジョゼフ大司教は、説教の中で、「洗礼を受けた全てのキリスト者は洗礼者ヨハネのようにつつましい態度をもって、貧しい人々に福音を届けるためキリストを世界に示す使命がある。神は慈しみと憐れみに満ちた方で、全ての罪人の悔い改めた罪を赦してくださる。これこそ、ミャンマーのキリスト者と宣教者がずっと告げ知らせてきたことだ。いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。神はあなた方を呼んでおられる。決して見捨てられないのです」と呼び掛けた。
ミサの中では、奉納もミャンマーの各民族の衣装を着た若者たちが、それぞれにささげ物を持って祭壇へ。閉祭の聖歌も、ミャンマー宣教500周年のテーマソング「Alleluie500」が、ミャンマー語で元気いっぱいに歌われ、ミャンマーと日本の教会を結ぶ希望が聖堂を包んだ。
ミサ後の記念式典では、ミャンマーのさまざまな郷土料理が並ぶ中、各民族の衣装を着た若者たちが歌と踊りの伝統芸能を披露し、その場に居合わせた日本人とミャンマー人が交流と親睦を深めた。
MCCJ(ミャンマー・カトリック・コミュニティー・イン・ジャパン)の副会長、ポール・サイ・イさん(40)によると、現在、ミャンマーから日本に来ている人は約3〜4万人いるが、そのうちカトリック教徒は100人ほど。学生のほかは、ほとんどが難民として日本に移住してきた人たちで、家族で東京近辺に住んでいる。ポールさん自身はタイとの国境に近い山岳地帯に暮らすシャーン族の出だ。「デモなどで周りの多くの人が逮捕されてしまっている状況。私もこのままでは捕まってしまうので出国を決意した」と言い、1週間ほど山道を歩き、小さな川を渡ってタイへ移った。タイの教会の支援を受けて、「いちばん安全な国というイメージ」の日本へと渡航したという。
日本に来てから、同じく難民として来日していたミャンマーの女性と知り合い結婚。2人の子どもにも恵まれて幸せな日々を送っている。この間、ミャンマーでは長年民主化運動を指導し、ノーベル平和賞も授賞したアウンサンスーチー氏が2010年にようやく軍事政権による長年の自宅軟禁から釈放された。しかし、ポールさんによると、「まだまだ民主化が進んでいるとは言えない。スーチーさんが大統領にでもならない限り、真の平和は訪れない」と民主化への道のりがまだ遠いことを示唆。それでも「いつかは家族全員で平和なミャンマーに帰るのが夢」と語ってくれた。
日本の東京教区とミャンマーの教会とのつながりは、第二次世界大戦後、同じく敗戦国であったドイツのケルン大司教区が、自身の精神的な復興と立ち直りを願う中で、東京教区と友好関係を結び、その宣教活動と復興のための援助を行うようになったのがきっかけ。こうした教区同士の友好関係は世界でも初の試みで、ケルンからの経済援助に対して東京教区の信徒はケルンの司祭職召命のために祈りをささげることによって感謝を表した。そして援助開始25周年に当たる1979年、東京教区は“ケルン精神”を受け継ぎ、ケルン教区と協力してミャンマーの教会を援助することを決定。この年から毎年11月の第3日曜を「ミャンマーデー」と定めてミャンマーの教会のために祈るとともに、その日集まった献金をミャンマーの教会に援助している。ミャンマー宣教500周年に際しては、先月、首都ヤンゴンの聖マリアカテドラルで行われた記念ミサに、東京教区を代表して幸田和生司教ら8人が参加した。