青年の、青年による、青年のためのカトリックラジオ、「カトラジ!」だが、番組にはたいてい神父が一人登場する。これまでいちばん多く出演を願っているのが、『だいじょうぶだよ』などの著書でも知られる、カトリック多摩教会主任司祭の晴佐久昌英神父だ。神父の出番は、ずばり「お悩み相談室」コーナー。仕事、恋愛、人間関係、家族、信仰などリスナーの悩みに青年と神父が向き合うという趣旨で、聴いていると、本当にさまざまな、何と答えていいか分からないような相談が寄せられている。
コーナーは必ず祈りから始まる。「私たちがこの奉仕のわざを真心込めておささげすることで、誰かが癒されたり、励まされたり、強められたりすることは、私たちにとって大きな喜びです。どうか私たちのきょうのこの働きを祝福し、誰かの心にあなたの愛を届けるものとなりますように。私たちの主イエス・キリストによって、アーメン」と。
ある夜、寄せられたのは20代の男性からの、なんと「人の悩みを聞くととても疲れます」という、コーナーにぴったり(?)の相談。これについて、まずは青年たちが、「この人はたぶん相談されやすいタイプの人なんだろうね。悩んでいる人はそういう人を見つけるのがうまいから。一生懸命聴いてくれるから向こうも話しちゃう。でもさすがにだんだんと応えきれなくなってくる」「答えがほしくて相談しているのか、ただ聴いてほしいだけなのかにもよりますよねえ」と会話する。
そこに晴佐久神父が「それはほとんどの場合、後者でしょう」と切り出し、「神父をやっていたら、いろんな人の悩みを聴きます。中には何を相談しにきたのか分からないこともありますよ。聴くだけでも重いけど、聴き流すわけにもいかない。自分に余裕があるときだけ聴くのでも構わないんじゃ、という意見もあるかもしれないけど、それじゃあやっぱり、ああ、この人も聴いてくれないんだってなっちゃう。聴くことによって苦しみをちょっとずつ背負い合うのは、仲間として、友人として当然なんだろうけど、聖書にも『盲人が盲人の道案内をできようか』っていう言葉もあるでしょ」と、神父ならではの悩み(?)を吐露。その上で、「多い時には一カ月に55人の相談を受けたことがあります。一人について60分から90分はかかる。これを毎日3度繰り返しているうちに、だんだん真髄が分かってきたんですよ」と話が回答の核心に迫った。
さて、ではその真髄とは?とリスナーの期待が高まったところで、「それは聴かないことですね」と一瞬、肩すかしのような発言をする晴佐久神父。もっともすぐに、「ここでいう聴かないというのは、自分が聴いているんじゃない、神が聴いてるんだと信じること。自分はそこに居合せているんだという感覚になるんです。この人の悩みに自分が答えようなんて思ったら無理。でも自分がここにいるからこそ、この人は悩みを話しているはずだし、自分を通して神様はこの人に良いものを与えてくださると信じれば、それはもう、ものすごい楽です。神様、あなたがこの人を救います、って信じるんです。そうでもないと次々やってくる人と向き合えない」と話す。
「私たちがなにげなく言った一言でもその人にとってはすごく大きな一言になる、救われたり、力づけられたりすることがある。それは人間が操作できることじゃない。でも神様とちゃんとつながっていれば、そこに神様の働きが流れて救いが実現しちゃう。イエス様は今はこの世にいらっしゃらないから直接話せないけど、私たちキリスト者は口を持っているんだから。そう考えたら、そういうツール、伝え手としての、このラジオの役割はすごいですよね」と、「カトラジ!」の存在意義にも通じる回答でこの回のコーナーを締めくくった。
この他にも、さまざまな場所で働く人にインタビューし、社会の中のイエスを見つけるという趣旨の「あなたのそばの神様発見!」や、東日本大震災の被災地、釜石で今もボランティア活動を続ける青年たちとやりとりする「カリタス釜石ラジオ カマラジ!」、そのときどきの災害や社会問題などについてリスナーから届いた生の言葉で祈りを唱える「カトラジ共同祈願」などカトリックの青年として真摯(しんし)に福音を伝えるコーナーももちろん充実している。また「シネマの晩餐」や「ブックワーク」など、カトリックに関連したものに限らず、スタッフがこれまでの人生で心に残った映画や本、アニメなどを紹介し、そこから分かち合いを深めるコーナーも人気だ。
11月下旬、都内某所のスタジオで行われた収録は約3時間にもわたった。この間、始めから終わりまで番組の流れには一言も口を挟まず、いちばん隅に座って青年たちをずっと優しい目で見守っていたのが白いセーターを着た一人の男性。「カトラジ!」の顧問司祭を務めるサレジオ会本部の佐藤直樹神父(48)だ。
「若者たちの方から、こういうのを始めたいんで担当司祭になってくれませんか、と頼まれて。若い人のために働ける、彼らと一緒に歩んでいける、なんて素晴らしいことかと思いました。私ができるのは、自分たちでやろうとしている彼らをどこまでもサポートしていくこと。もちろんキリスト教の霊的な部分、信仰においてのサポートがいちばん求められていると思います」。和気あいあいと収録が進む様子を笑顔で眺めながら、そう静かに話す佐藤神父。「カトラジ!」ではこのスタジオ収録のほかに、月に1回、必ずスタッフ全員が集う定例会を行っているが、祈りで始まり祈りで終わる、その会議の支柱となっているのもこの佐藤神父だ。
「カトリックとしての価値観、マスメディアの扱い方、人として大切なことを伝えるようにしていますが、ことさらに伝えなくても彼らは十分に分かっています。きちんとカトリックの教えに基づいて信仰の基盤を培いながら、こうしたインターネットラジオというツールを神様からの贈り物として正しく使っていくことで、新しい福音宣教の模範となれば、と思う。真面目でシリアスな企画もあれば、ユーモアに富んだ、笑いに満ちた企画もある。そんな中でも彼らは一線をきちんと保っており、その発想力、感性の豊かさには驚かされてばかり。しかし、彼らの自主的な歩みに教会がちゃんと関わってあげなければいけない。あくまでも僕は彼らとともに歩む。裏方に徹するだけです」
佐藤神父の言葉にはその端々に、青年たちへ全幅の信頼、深い愛情が垣間見える。「ただ、それぞれに本業を持ちながらの番組づくりは彼らにとって思った以上に厳しいし、負担も重く、これをどう継続していくかが課題だと思う」とした上で、「『カトラジ!』が画期的な取り組みであることは確か。今は東京教区が中心ですが、日本に16ある司教区の若者たちが一緒になって取り組み、ネットワークがどんどん広がっていくと日本の教会にとって本当に大きな力となるかもしれない。限りない可能性を秘めていると思います」と、頼もしそうにスタッフの背中を見やった。
その佐藤神父について、スタッフの一人は、「もうそこにいてくださるだけで安心。霊的に導いてもらっているのを常に感じる。ある意味、『カトラジ!』のジョーカー的な存在。ただ黙って見守ってくださっているなんて、神様に近い」と話し、スタッフからも絶対的な信頼を寄せられていることがよく分かる。
もっとも佐藤神父、裏方に徹するあまり、これまで1回も出演したことがなかったそう。そのため「やっぱり今年の締めは顧問司祭でしょう!」ということになり、この日の収録では初めてトオルさんと愛さんのいるガラス窓の向こうへ佐藤神父が呼ばれて登場する場面も。
「それでは来年の抱負にかけて謎掛けを一つ。カトラジ!!とかけて、その答えは??」
実は大の落語好きという佐藤神父。ユーモア好き、感性豊かな青年に輪をかけて面白過ぎる人物であることが判明!さあ、その答えは?
佐藤神父が出演するのは今年最後、12月27日の放送。みなさん、ぜひぜひその答えを楽しみに、「カトラジ!」を聴いてください!
■ 青年によるカトリックラジオ「カトラジ!」:(1)(2)