平和を実現するキリスト者ネット(キリスト者平和ネット、東京都文京区)とカトリック麹町教会メルキゼデクの会(同千代田区)は11月27日、同教会で「いま、沖縄から 『普天間問題』から見える『日本の問題』〜普天間基地に隣接する教会からの発信〜」と題して集会を開いた。
この集会で講演を行った沖縄バプテスト連盟普天間バプテスト教会の神谷武宏牧師は、約50人の参加者に対し、普天間基地(米軍普天間飛行場)と、同基地の米軍が周辺地域にもたらす航空機の爆音や墜落事故、女性に対する性犯罪などの極めて深刻な被害の歴史や経済的影響などの現状を語った。
普天間基地がある宜野湾市出身の神谷牧師は、この講演の初めにまず宜野湾市の基地対策課が作ったDVDを上映し、普天間基地周辺を飛ぶ米軍機の爆音の実態を伝えた。
普天間バプテスト教会の保育園の園長も務めているという神谷牧師。ある日、一緒に昼食を食べているときに米軍のジェット機が飛んで来たため、ある園児がおかずが入ったままのお皿で耳を押さえてしまったという。「私はその時、園長としてこの子を守れない現状が心に突き刺さった」と神谷牧師は語った。
神谷牧師の説明によると、米軍は1945年に沖縄に上陸した後、戦闘をしながら本土決戦に備えて普天間に滑走路を造った。米軍はしばらくそれを使用しなかったが、1950年に朝鮮戦争が始まると、民家や畑、墓をつぶして普天間基地を拡張した。墓からは遺体も出てきて、普天間バプテスト教会には、教会員の中に遺体を見たと話す96歳の証言者もいるという。
沖縄自体が基地だという感覚から、普天間基地にはしばらくはフェンスがなかったが、1962年から1年かけてフェンスが造られ、ナイキミサイル(米軍の地対空ミサイル)が配備されていた時代もあったという。1950年代中頃から沖縄の基地化が進んだが、160年前の1854年に琉米修好条約が結ばれたとき、米国は琉球に米国の戦艦などのための基地を造ろうと圧力をかけていたと、神谷牧師は指摘した。
神谷牧師によると、普天間基地の面積は東京ドーム103個分。しかし、普天間基地が沖縄から全面撤去された場合でも、沖縄にある全ての基地の2パーセントに過ぎないという。日本にある米軍基地の74%が沖縄に集中している。
「沖縄は地政学的重要性があるというのは、日本の政治家が後でくっつけた話です」と神谷牧師。「日本がサンフランシスコ講和条約で主権を回復する中で、沖縄が基地化されていったということを、ぜひ覚えていただきたいと思います」と語った。
また、米軍基地がもたらす経済状況について、「沖縄は失業率が毎年(日本全国で)ダントツ1位。所得も最下位か下から2位と低い。実際は基地があるが故に、沖縄の経済がなかなか発展していかないというのが現状なんです」と、統計を用いながら語った。「基地がなくなることでどれだけ経済が発展するかということです」と言う。
神谷牧師はまた、沖縄には多くの基地があるが故に、さまざまな事件や事故が頻繁に起きており、「本土復帰」42年の中で45回もの墜落事故が起き、年に1~2回は米軍のヘリコプターや飛行機が墜落していると指摘した。1959年には石川市(現うるま市)宮森小学校にジェット戦闘機が墜落し、小学生を含む多くの人々が死亡した。また、2004年には沖縄国際大学に米軍のヘリコプターが墜落した。
そして神谷牧師は、沖縄の「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」がまとめた資料を基に、沖縄における米兵による女性への性犯罪に言及した。それによると、1945年4月に米兵が沖縄に上陸したその時から、沖縄駐留の米兵が女性を集団で拉致して強姦(ごうかん)したり、あるいは強姦した後に殺害するという犯罪が起きてきたという。
1955年には、「由美子ちゃん事件」と呼ばれる強姦殺人事件が起き、6歳の女の子が拉致、強姦されて捨てられた。1995年には3人の米兵による少女暴行事件が起きたのを受けて、米軍は基地を開放するなどの「良き隣人政策」を強化し、浸透していったが、2008年に米海兵隊員による女子中学生暴行事件が起きた。
神谷牧師はさらに、東日本大震災が起きた2011年3月11日の沖縄で何が起きていたのかを語った。「講演で沖縄を侮辱するような発言をした沖縄米軍のメア日本部長が3月10日に更迭され、これから沖縄の基地の問題がいよいよ全国の問題になっていって、解決の糸口をつかんでいくんじゃないかという勢いの中で震災が起きた。普天間基地の海兵隊がトモダチ作戦で頑張り、評価が上がり、普天間基地いらないという声が出せなくなり、海兵隊いらないと言えなくなっていく状況がこの時起きてくるわけです」。そして、「沖縄も、もう一つの津波による被害があったと言ってもいいのかなと思ったりするわけです」と付け加えた。
「実は、メア日本部長を告発したのはその講演を聴いていた大学生。そのことは私たちにものすごく大きなヒントを与えていると思います。若い力でも真実を語ることによって、たとえ日本部長でも更迭できる。私たちは発信することによって何かを動かすことができるという、大きなヒントを私は得たように思います」と神谷牧師は話した。
その上で神谷牧師は、自身が代表を務めている「普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会」の結成の経緯について語った。
参加者に配られた講演のレジュメで神谷牧師は、「2012年10月1日、オスプレイ12機が飛来した(現在24機配備)。配備反対県民大会(2012年9月9日)に10万人余りが声を上げ、沖縄の全首長が明確に反対を表明しているにもかかわらず、オスプレイは強行配備された。この国は、民意よりも、日本国憲法よりも、日米安保が優先し、“沖縄だからいいだろう”という構図に当てはめた結果にほかならない」「そのような不条理の状況下で沖縄の民の叫びは天には届かないのか?」と、歌う会結成当時の状況と自身の思いを記している。
「命が脅かされる中で、沖縄はまとまるんです。でも、こうやって10万人が集まっても、オスプレイが配備されていった。それがどんなにむなしいことか。私たちには民主主義はないのかと自問自答しました。私は『神様、どうしてですか?』と祈りました」と当時の思いを語った。
しかしその時、神谷牧師の中にフッと旧約聖書の出エジプト記3章9〜10節の御言葉が出てきたという。
「『人々の叫び声が、今、わたしのもとに届いた。・・・彼らを圧迫する有様を見た』という御言葉を信じたいと思う。民の思い、神の思いに向き合うとき、『今、行きなさい』という神の声が聞こえたような気がする。きっと同じ思いにあるキリスト者は多いのではないか。『ゲート前ゴスペル』は、その同心のキリスト者によって立ち上がったのである」
「『今、行きなさい』というのは、私たちに投げ掛けられたボールなんですよね。誰が行くのか、誰が立つのかと、そういうふうに問われたような気がして、キリスト者で何かできないかということを思いながら、それに賛同する方々がたくさん出てきて、ゲート前でゴスペルを歌おうと、ゴスペルで私たちの意思表示をしよう、そういうことを始めました」と神谷牧師は語った。
歌う会を始めた理由について、「米兵に聴かせたかったからです」と神谷牧師は説明する。「毎週月曜日の夕方6時、彼らが帰る時間帯と、彼らが朝出勤してくる火曜日の朝7時、週2回していました。週2回ここでゴスペルを歌い、だんだんクリスマスが近づいてクリスマスソングを歌う」
「彼らに聴いてほしかった。なぜ聴いてほしいかというと、彼らが私たちの頭上を飛べるのは、私たちを人間と思っていないからなんですよ。沖縄の人たちを人間と思っていない。犬か猿かと思っているんだろうということですね」と神谷牧師。「でも犬か猿かと思っていた彼らが、自分たちが歌っていたゴスペルを歌っている。彼らも聴いたであろう、歌ったであろうゴスペルを歌っている」「私たちのメッセージとしては、(米兵に対して)あなたと私は対等ですよというメッセージです」と話した。
「でも今は、彼らに聴いてもらおうというのは、優先順位としてはそう高くないです」と神谷牧師は続けた。「今ゴスペルを歌う会で最も大事にしているのは、キリスト(者)の連帯です。私たちがこのゲート前ゴスペルを始めたら、首相官邸前でゴスペルがすぐに始まったんですよ。そして去年の9月には福岡の天神でアメリカンセンターというビルの前で、ゴスペルを歌う会が始まりました」
「こういう形ではなくとも、至る所で、盛岡でも沖縄の新聞を取って学ぶ活動や、山口でも当会が作成したゴスペルソング集を用いて思いを一つにするとか、千葉でも『しりしりの会』というのが始まったという。人参しりしりっていう沖縄の料理からそういう名前を付けたこの会は、沖縄のことを覚えるというのを定期的に行っており、そういうグループがたくさんできた」と神谷牧師は述べた。
「そして今は連帯の祈りというのを始めています。祈りを通して、私たちと一緒につながるということをするんですね。(沖縄に)行きたいけれども距離的に、また体が弱くて参加できないけれども、でも祈りをもって連帯していく。キリスト教会というのはそういう連帯の力があるんだなというのをものすごく感じさせられています」と強調した。
「今日こういうふうにして皆さんが私のつたない話を聴いてくださっていますが、そのことがどんなに励みになるか。キリスト教会はそうやってつながっていくんですね。それが大きな力になり、支えになる。(普天間基地)ゲート前ゴスペルは112回目を数えましたけども、そんなふうにしてゴスペルの会が続けられている。そして皆さんとの連帯ができていることをとても感謝しています」と神谷牧師は語った。