末日聖徒イエス・キリスト教会(通称・モルモン教)の創始者ジョセフ・スミスは、一夫一婦を尊重する誠実な夫として、モルモン教徒の間では長く受け入れられてきた。ところが、モルモン教の指導者たちは最近、スミスは既婚者や14歳の少女を含む40人もの女性の夫であったことを明らかにした。
発表された文書は、スミスと彼の側近が行なった、論争の的となるような行為の歴史に焦点を当て、彼らの血筋をたどると一夫多妻の関係にまで行き着くと指摘している。
モルモン教会が設立された1830年代は、一夫一婦制が当時認められていた婚姻関係であったが、スミスは天使によって複婚するようにと指示され、従わなければ破滅させるとも言われたと、同僚に話したという。
「神は困難な仕事を命じるとき、それに従うことを励ますために時々、複数の御使いを遣わすことがあります。そのように1834年から1842年の間に、彼が複婚を躊躇(ちゅうちょ)したときに、天使が3回彼のもとに現れた、とジョセフは同僚に語りました。またこの最後の3回目に天使が出現したときには、ジョセフが実行に移し、命令に完全に従わなければ破滅させると、天使は剣を抜いて彼を脅かしました」と、文書は説明している。
スミスは、一夫多妻の啓示を受けた後、複数の妻と結婚し、彼の側近にも複婚を実践させた。文書の脚注には、スミスには30~40人の妻がいたと記されている。
またこの文書は、「この複婚の復元は、ジョセフ個人にとっても教会員にとっても、最も難しい側面の一つでした。この複婚は信仰を試され、論争と反対を引き起こしました。多くの末日聖徒(モルモン教徒)が、彼らの感性と全く関係のないこの聖書的な慣習の復元を初めから歓迎するというわけではありませんでした。でも後に多くの者が力強い霊的な体験の証言をし、それらがためらいに打ち勝ち、この行為を受け入れる勇気を彼らに与えたのです」と説明している。
最初期のモルモン教徒が一夫多妻への関与を内密にしていたため、この行為はあまり知られていなかったが、ユタ州に移り、同教会が公式に複婚を容認し、信者がその体験について語り始めたことから初めて公になった。しかし、極めて少ない情報量から見え隠れするのは、彼らの辛い体験であった。
「ジョセフ・スミスがルーシー・ウォーカーを妻になるように招いたとき、彼女は動揺し、『私の魂の全てがそれを拒絶しました』と彼女は記しています。しかし、数夜ひざまずいて絶え間なく祈った後、部屋が『まぶしい太陽』に似た『神聖な臨在』に満たされ、平安を得た彼女は、『私の魂が、今まで知らなかったような穏やかで素晴らしい平安で満たされ、至上の幸せが私の全存在を捕らえたのです』と言ったのです」と文書は記している。
一夫一婦制が標準的な婚姻関係であるとする一方で、モルモン教会が神のために「種を育む」ことができるように、一夫多妻制が許されたのだと、複婚に従事した人々の多くが断定したと、この文書は説明を加える。
それによると、複婚がモルモン教会で行なわれていたとき、信者は結婚を2種類に区別したという。時と永遠によって結ばれる結婚と、永遠のみで結ばれる結婚である。「時と永遠によって結ばれる結婚は、この地上の人生において身をささげる関係を含み、通常肉体的な関係も含んでいました。永遠のみの結婚は次生においての関係を示します」と文書は説明する。
文書によると、スミスの妻たちの多くは20歳から40歳で、彼は両タイプの婚姻を彼女たちと実践していたとされる。しかし、ヘレン・マリア・キンバルとは彼女が15歳になる数カ月前に結婚したのだった。
スミスの友人の娘であったヘレンとの結婚は、「永遠のみの結婚」だったとし、性的関係はなかったらしいことを示唆している。このモルモン教の創始者が死んだとき、彼女は再婚して彼をかばい、複婚を守ったという。
彼女の父ヒーバー・ C・キンバルは、複婚に初めからは共感していなかった。1841年に複婚について知らされた瞬間に、「こんなに悲しみを感じたことはなかった」と述べている。「私は何日も嘆き悲しみました。私には良い妻がいて、それで幸せだったのです」と文書には記されている。
スミスが複婚を実践していた当時、十代の少女が結婚することはまれではなかったと、この文書は記している。
しかし、エックスモルモン財団(「元モルモン教の財団」の意)の創設者で前代表のリチャード・パックハム氏は、先に行なわれた米クリスチャンポスト紙とのインタビューで、スミスが結婚した十代の少女はヘレン・マリア・キンバルだけではなかったと言い、「法律上、彼が保護者となった少女を含めると、もう数人いました」と指摘する。そして、十代の花嫁は当時普通だったという主張に反対した。「それは非常にまれでした。それは単に14歳の少女が結婚するということだけではありません。14歳の少女が37歳ですでに20人以上の妻のいる男と結婚することは、違法行為だったということです」
教会が公的に一夫多妻を認める前にも、「数人の無節操な男たち」が「霊的な妻の務め」と呼ばれる認められぬ行為をしようと、女性を誘惑するために複婚の噂を利用したとも文書は説明している。
「それが発見されたとき、その男たちは教会から追放されました。これらの噂は、教会員や指導者たちが、霊的な妻としての務めや一夫多妻について非難し、それらを慎重に否定する事態に追いやりましたが、ジョセフ・スミスと他のメンバーが実践していた神から命令された『神聖なる』複婚については沈黙を守ったのです」と、文書は記している。
そして、「この声明は教会は一夫一婦以外の婚姻を実践しない、ということを強調する一方、神からの生きた預言者の指導のもとで、個人が複婚をする可能性も暗示しています」としている。
スミスの妻エマは、夫の一夫多妻の方針に対する受容と苦悩との間に揺れ動き、ある妻たちを拒否する一方で、ある妻たちは受け入れていた。
しかし、この複婚は信者たちが教会から去る原因ともなった。
「ある末日聖徒は複婚に入ることを辞退しながらも誠実に教団に留まる一方で、ある聖徒はその複婚の教義を拒絶し、教会を去りました。にもかかわらず、多くの男性と女性が、嫌悪と苦悶の後に続く葛藤、そして決意、そして最後には光と平穏を体験したのでした。神聖な体験によって、信仰の中で前に進むことができたのです」と、この文書は記している。
しかし、モルモン教徒たちの中には、この意外な事実にショックを受ける者もいた。
「ジョセフ・スミスは、ほぼ完璧な預言者として私には伝えられたのです。多くの人もそのように教わったのです」とユタ州ファーミントン在住で、モルモン教に関連する記事を頻繁に執筆する、ブロガーで編集者でもあるエミリー・ジェンセン氏は、米ニューヨーク・タイムズ紙にこう話した。
この事実の解明に対するモルモン教徒の反応は、悲しみに対する5つの反応——特に最初の2つのステージである否認と怒り——に似ていると説明する。
「インターネットにはあまりにも色々なことが溢れているので、教会員に、安全かつ信頼でき、信仰を育てるような情報がある場所を提供する義務があると感じています。私たちの歴史の中でも、受け入れが困難な出来事においても真実を伝える情報です」と、モルモン教の歴史家でもあり、シニア・リーダーシップのスティーブン・E・スノー長老は、ニューヨーク・タイムズ紙に語った。
「私たちは正直でいる必要があり、歴史を理解する必要もあります。私たちの歴史は信仰と献身と犠牲の物語で溢れていると思いますが、これらの人々は完璧ではなかったのです」とも付け加えた。