日本にキリスト教が伝来したのは、1549年のこと。フランシスコ・ザビエルの長崎・平戸での布教以来、信者が増え、キリシタン大名の誕生とともに各地に広がっていったキリスト教。主要都市、各城下町には南蛮寺やセミナリオが建設された。
しかし、豊臣秀吉の時代に入ると、キリスト教は迫害の対象となり、江戸時代には禁教が徹底され、キリシタンたちは信仰を守るために潜伏することを余儀なくされるようになった。政府からの激しい弾圧、宣教師・神父の国外追放といった厳しい状況の中にあっても、250年の長期にわたり、信仰を継承した日本のキリスト教は、わずか500年の歴史の中に伝来、繁栄、弾圧、潜伏、そして復活というプロセスをたどってきた、世界に類を見ない劇的なキリスト教史とも言える。
こうした歴史を物語るものとして、長崎の教会群とキリスト教関連遺産がユネスコの世界遺産暫定リストに登録され、正式な世界遺産登録が視野に入れられているが、関東でも「隠れキリシタン」の資料に触れることができる場所がある。
神奈川県大磯町。日本の海水浴場発祥の地として、太平洋に面するこの小さな町に、「澤田美喜記念館(隠れキリシタン資料館)」がある。三菱財閥の創設者・岩崎弥太郎の孫娘、澤田美喜が40年ほどかけて収集した1000点以上の隠れキリシタン遺物のうち、現存する851点が収蔵されており、250点ほどが展示されている。
外交官・澤田廉三の妻であった澤田美喜は、クリスチャンであったことから、夫の海外赴任に同行中に、世界各地でキリスト教資料を収集していた。米ニューヨークからの帰国の船の中でキリシタンの殉教に関する本を読み、「信仰深い日本人の血が自分にも流れている」と感銘を受け、帰国後キリシタン資料を集め始めた。
展示室には、イエズス会宣教師による日本での迫害の記録や、当時のキリシタンが使用していた信仰の手引書「七つのさからめんと」などの古文書資料をはじめ、江戸時代の絵師・司馬江漢による聖画、日本最古の踏み絵板など、歴史的価値の高い資料が並べられている。細川ガラシャ夫人の遺物、伝高山右近作のマリア像、日本を追放された医師・シーボルトの彫ったマリア像など、いわれのある品々もあるが、そのほとんどが作者、明確な時代、持ち主が分からず打ち捨てられていた資料ばかりだ。迫害の中で焼かれ、無残に切り刻まれたものを、名の知らない信仰者が拾い上げて守り通してきた歴史がうかがい知れる。
禁教時代のキリシタンの歴史は、「一面において、西欧的・キリスト教の流れとしてとらえることができるが、それ以上に、日本人の精神構造・精神史を知る上に極めて興味深い」と曾野綾子が述べている通り、各資料からは、日本以外では見ることのできない独自のキリシタン文化を強く感じられる。
阿弥陀如来像の背面に隠されたキリスト像、マリア観音の掛け軸、大黒天像や鬼子母神に見立てられた聖母子像からは、仏教を隠れ蓑に礼拝を守った、緊張感ある空気が伝わってくる。女性のかんざし、錠前など生活品のあらゆる小物に細かく掘り込まれた十字架は、細工の得意な日本人ならではの作品。また、戦国時代の武将が、キリシタンになったことを機に家紋を変え、日本刀の鍔(つば)にキリスト像を描く姿からは、武士道と唯一神への忠義の奥深いつながりが感じられる。同じキリシタンの鍔といっても、そのデザインが一つとして同じものがなく、オリジナリティに溢れているのも興味深い。
これらの資料の前で、澤田美喜は神に祈りをささげ、大きな励ましを受けていたという。信仰の忍耐、その先にある光と希望を見出していた。
展示室の奥には納骨堂があり、澤田美喜の分骨が収められているが、荘厳な雰囲気の中で、キリスト信仰の力強さとその重みを、ぜひ多くの人に感じてもらいたい。
今年3月にリニューアルオープンし、建物はノアの方舟をイメージした長六角形の船型で、1階が展示室、2階は礼拝堂となっている。問い合せ・団体見学予約は、澤田美喜記念館(電話:0463・61・4888)まで。