豊臣秀吉によるキリシタン禁止令により処刑された、フランシスコ会の宣教師6人と日本人信徒20人の召天の様子を描いたレリーフ「日本二十六聖人記念碑」が、16年ぶりに修復されている。
このレリーフは、過去にも定期的な手入れがなされてきたが、ブロンズの酸化による痛みが目立ち始めてきたことで、今回の修復作業となった。修復作業は、10月下旬から来年1月末までの予定。作業期間中は、レリーフ全体が鉄骨の足場で囲われ、部分によっては布で覆われてしまうため、全体を見ることができるのは作業終了後ということになる。
作者は、戦後日本を代表する彫刻家の舟越保武氏(故人)。カトリック信徒であった船越氏は、キリスト教を題材にした作品が多く、島原の乱をテーマにした「原の城」(1972年)では、ローマ教皇から勲章を授かっている。
戦後、原爆の破壊から立ち上がった長崎は、26人の殉教地であった、長崎港を臨む小高い丘を公園とし、1956年には県による史跡に指定。殉教者が列聖されて100年目の1962年には、現在修復作業中の記念碑と「日本二十六聖人記念館」が建てられた西坂公園ができた。1950年には、ローマ教皇ピオ十二世(当時)がこの地をカトリック教徒の公式巡礼地と定めている。
長崎におけるキリスト教の伝来と繁栄、激しい弾圧と250年もの潜伏と復活という布教の歴史は、世界に類を見ないとして、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」は、ユネスコの世界遺産暫定リストに登録されている。長崎県では、正式に世界遺産として登録されるために、関係市町と情報共有を図って、教会群の保存管理計画の策定や国内外の同じような資産との比較研究など、一体的な取り組みを進めており、このレリーフも、修復後には新たに観光の目玉となることが期待されている。