何と印象深い回顧録であろうか。
著者を傷つけた手紙爆弾の送り主を特定して、その罪を赦し和解しようという個人的な体験談をはるかに超えて、著者が世界規模の宣教という幅広い視点に立って、過去の呪縛を解き放つ「記憶の癒し」に取り組むようになっていった過程が特徴的だ。
表紙の写真に映っているのは、鉤手(かぎて)の義手を両手にもつ著者である。ニュージーランド出身のオーストラリア聖公会司祭で聖使修士会(SSM)の一員であるマイケル・ラプスレー氏は、アパルトヘイト政策の問題分子とされ、送られてきた手紙爆弾で両手と片目の視力を失った。それにもかかわらず、彼は1992年に「記憶の癒し研究所」を設立、現在も世界中を精力的に巡回し、自らの体験に基づく和解のメッセージを伝えている。
「この回顧録は、私が南アフリカ解放のための自由の闘士から、傷つき、世界的な使命を帯びた治癒者となるに至った道筋を振り返るものである」と、著者は前書きで記している。実際、ニューヨークにある宗教書出版社である Orbis Books から昨年に出された英語の原書も、「Redeeming the Past: My Journey from Freedom Fighter to Healer」となっている。著者によれば、トラウマ治療センターに関わることが、彼の人生の大きな変容の頂点だったという。
アパルトヘイトに抗した彼の盟友の一人である南アフリカ共和国のデズモンド・ツツ名誉大主教は、本書の序文で、著者は「まさに傷を負った治癒者となった」と述べている。
著者はどのようにして治癒者へと変わることができたのか。本書はその変化の過程を、「爆撃とその余波」「自由の闘士」「癒す者として歩み出す」「世界規模の宣教」という4つの構成で詳細に述べている。
著者が行っている<記憶の癒し>ワークショップは、キリスト教のイメージに依拠してはいないという。しかし、著者は福音書の物語の核心が、イエスが十字架刑と死に勝利し、不信仰に打ち勝つトマスが復活したイエスのまだ目に見える傷に手を差し込むところにあるとして、傷ついた癒し人という考え方がキリスト教神学の奥深いところにあるという。
昨年11月、韓国の釜山で行われた世界教会協議会(WCC)第10回総会で、著者は閉会礼拝の説教を行った。筆者もそれを会場の隅で聞いていた。その時著者は、ルカによる福音書24章28〜35節にあるイエス・キリストの復活についての記述をもとに、傷を負った自らの体験に基づく証を、「私自身の磔刑(たっけい)・死と復活の旅」と呼んで語っていた。そして、総会の主題を引用して説教を「いのちの神よ、私たちを正義と平和へと導いてください。アーメン」と結んだ。彼は、自らの傷を負いつつ、傷ついた世界に語りかける治癒者であり、その証と背景をより深く伝えているのが本書である。
本書の監修者でWCC中央委員の西原廉太氏(立教大学副総長)はあとがきで、「ラプスレー司祭の置かれた状況はあくまでも、南アフリカの文脈であるが、しかし彼が伝えたいことは、まさに、いま、私たち日本のキリスト者が直面している諸課題と共振するものに他ならない」と記している。一方で「また同時に、本書は、霊に満ちあふれた、黙想の書でもある」とも述べている。
西原氏が言う、日本のキリスト者が直面する諸課題とは一体何だろうか。日本のキリスト者はそれらにどう共振するのだろうか。著者と同じように心身を傷つけられた人も含め、本書を読む人々は自らの霊的黙想において、この回顧録をどう受け止め、どう応えるのだろうか。そしてもし著者が来日して自らの体験に基づく和解のメッセージを伝えるとしたら、そこには聞き手との間にどんな対話が生まれるのだろうか。
過去の記憶を癒すだけにとどまらず、最後の章でさらに「希望を持って未来を見据える」という著者から、傷ついた世界に生きる私たちが学べることは、少なくないはずである。2014年が暮れゆく今から希望を持って未来を見据えるために、本書を手にとって読まれることをぜひお勧めしたい。
『記憶の癒し アバルトヘイトとの闘いから世界へ』:マイケル・ラプスレー著、西原廉太監修、榊原芙美子・吉谷 かおる訳、聖公会出版、2014年10月18日発行、定価3000円(税抜)