今年4月に本紙編集長としての歩みを始め、今や6カ月が経過しようとしています。思いを越えた出発でした。しかし最初の半年の日々の間に、エステル記4章14節「この時のためである」は、今までの歩みを振り返って、心の奥底から深いうなずきとなりました。
1958年秋、2人の婦人宣教師の祈りと愛の支援を受け、埼玉県寄居の開拓教会で講解説教を開始。それ以来、全ての学びは説教者としての整えのためと理解してきました。
また、神学教育の場などで語ってきたこと、さらにさまざまな機会や方法で執筆してきた全ては、教会の講壇から宣べ伝えた説教を基盤とする説教者のそれと深く自覚しています。
そして説教者とは、神の恵みの事実・できごと(詩篇119篇64節「【主】よ。地はあなたの恵みに満ちています。あなたのおきてを私に教えてください」)をことばとして記録する聖書の事実を、今、この場の事実として宣言する役割を担う者です。ですから、説教者は、徹頭徹尾事実に根差し、ことばに生きる者です。事実から離れて生きられず、ことばなしには存在できないのです。
75歳まで説教者として、「事実とことば」に基づき生かされてきた全ては、「この時のためである」と受け止めるのです。
10月から来年3月まで、これからの6カ月、本紙編集長として日々歩む営みが、「事実とことば」に基づくゆえに、説教者として生き抜くためにいかに助けとなるか実証したいと願うのです。
そうです。クリスチャントゥデイの報道と論説が、その多様な展開を貫いて、「事実とことば」の一点に統一性を持ち、現代日本における聖書をメガネに宣言される説教と、生きた関わりを持ち続けるよう期待しているのです。
(文・宮村武夫)