『現代ジャーナリズム事典』(三省堂)の刊行を記念したシンポジウムが、6月28日に専修大学で、「ジャ-ナリズムの今—直面する危機をどう乗り越えるか」の主題で開催されました。何かの力に引きつけられるように、雨の中杖を突き、同伴者に助けられながら駆け付けました。脳梗塞発症後のカタツムリの歩みで。
他方、111年前の1903年6月30日、内村鑑三が万朝報に発表した「戦争廃止論」を、この期間、胸を熱くし繰り返し熟読し、またこの文について語っても来ました。かくして、「ジャーナリストとしての内村鑑三」が、今や抜き差しならぬ私の課題です。
1959年、19歳の時、日本クリスチャンカレッジ2年生のレポート「教育者としての内村鑑三」を書き、それが私の生涯を貫き導きとなり続けて来ました。今また、同じ内村が、今度は「ジャーナリストとしての内村鑑三」として、75歳の私を先導してくれるのです。厳粛な導きに感謝を深めています。
ジャーナリストとは、定期的な刊行物を通して、時事的な報道や意見を伝える仕事に従事する人々の総称と言われます。そうであれば、内村は生涯の一時期新聞社で働いていたからジャーナリストの側面があると言った話ではない。1900年に創刊した『聖書之研究』を1930年まで専心継続した、言わばオーナージャーナリストであり、ジャーナリスト中のジャーナリストなのです。内村はジャーナリストをやめて、伝道活動へ転身したのでない。ジャーナリストとして伝道者、真の伝道者であるから、志に生きるジャーナリストでもあるのです。
この2月、無教会の那覇聖書研究会の主日礼拝後の集会で、敬愛する平良修先生が「冷徹、かつ火のように燃える聖書人」と紹介、励ましてくだ下さった事実を感謝し、責任を痛感する者として、「ジャーナリストとしての内村鑑三」の課題に、忍耐と希望(ローマ8:25)をもって受け止めたいのです。
(文・宮村武夫)