「服従」という言葉は通常、「劣っている」「尻にひかれる」「支配されている」というようなマイナスのイメージを伴うため、強い反発を受けることが多い。しかし、クリスチャン・カウンセラーのクリスティーナ・フォックスさんは、聖書に基づく妻の夫に対する服従はそのようにマイナスなものではなく、むしろ「美しい」ものだと言う。
フォックスさん自身は結婚して17年になるが、最初からそのような結論に至っていたわけではない。長い間、「服従」という言葉を恐ろしいと思っていたほどだ。しかし、長い道のりを経て、聖書に書かれたこの掟を「美しい、恵みによるもの」と捉えるようになったと、最近出版された電子書籍『Good: The Joy of Christian Manhood and Womanhood』の中で書いている。
宣教団体「デザイアリング・ゴッド(Desiring God)」と聖書的男性像・女性像委員会(CBMW=The Council on Biblical Manhood and Womanhood)が出版し、神学者のジョン・パイパー氏が推薦するこの電子書籍には、フォックスさんを含めて14人の寄稿者が参加しており、彼女は何が服従で何がそうでないかについて論じている。「服従とは強制的に支配されることではありません」とフォックスさん。
「夫が妻をリードするというのは、キリストに頼ることをリードするということなのであって、夫自身に頼る、ということではありません」と説明する。「夫が妻に与えるリーダーシップというのは、妻が神の恵みにおいて成長し、来るべき天の国を受け継ぐものとして準備するのを助けるという意味です」
また服従とは、軽んじられたり、劣っているとみなされたり、価値のないものとみなされることでもないと、フォックスさんは指摘する。
「聖書は私達に『励まし合い、お互いの向上に心がけなさい』(1テサロニケ5:11)と教えています」
フォックスさんはパイパー氏の定義を借りて、服従とは何かを説明する。服従とは「夫を敬い、夫のリーダーシップを肯定し、自らの賜物に従ってそのリーダーシップを実現するのを助けるという妻に与えられた神聖なる使命であり、夫の権威に従い、そのリーダーシップに従うこと」だという。
この点をさらに説明するため、フォックスさんは使徒パウロに言及し、結婚のあり方は福音のメッセージを反映したものだという。
「夫が先導し、妻が後に従うというのは、キリストと教会との関係を反映したものです」と、2人の子の母親でもあるフォックスさんは書いている。「男性と女性が結婚においてそれぞれ特別な役割を果たすということは、福音のメッセージを実際に生きた形です」
さらに、「結婚生活において夫がリーダーシップを取り、妻がそれに従うのは、イエスに従う人々の信仰を反映したものです。教会はイエスを頭として後に従い、与えられた賜物を生かしてこの世における使命を果たすのです。同じように、妻も夫を敬い、夫のリーダーシップに従いながら、自らの賜物を生かして、夫が結婚生活そして家族について考えている計画をサポートしていけばよいのです」
聖書的な意味の服従が正しく実現されるのは、夫婦が福音に頼るときのみだともフォックスさんは語る。
「イエスの力を通して、私たちの人生において福音が働いているときにのみ、服従の美しさが結婚生活において花開くことができます」と、フォックスさんは書いている。
この電子書籍では、「男であることと、男らしく行動すること」「女性による養育の性質」「トランスジェンダー世界で子どもを鍛えること」「フェミニズムからの私の回復」「純潔に頼ること」などのトピックを扱っている。
他の寄稿者には、CBMWの代表オーウェン・ストローン氏、作家でデザイアリング・ゴッドのコンテンツ戦略担当であるジョナサン・パーネル氏、ボイス・カレッジで聖書学と倫理学を教えるデニー・バーク助教授などがいる。