第5章 心傷つき病む子どもたちの癒やしへの道
Ⅲ. アガペーによる全面受容の癒やしへの道
2)アガペーによる全面受容の癒やしが成されるための具体的な道
■ 癒やしへの具体的な道
③どこまでも受容し続けなければならい不断の受容
さて、そこで更に必要なことは、心傷つき病める子を一旦受容したなら、何が何でも受容し続けることが重要です。そこに何が起ころうと起こるまいと受容し続けることが大切です。周囲の事情の如何にかかわらず、どこまでも受容し続けるのです。
概して傷つき病んでしまっているウルトラ良い子たちは、不器用で心の小回りが利かず、周囲の事情など斟酌する心のゆとりなど持ち合わせてはいないのです。ですから、もし受容を手控えたり止めたりするなら、いかに正当な理由があったにしろ彼らにとっては所詮それは裏切られ、騙されたとしか受け止められず、事態はたちどころに悪化、激化してしまうのです。ですから一旦受容を始めたら、どこまでもひたすら受容し続けなければなりません。受容は、“初めから終わりまで”が鉄則です。
ある人がこう言いました。「“受容”と言う名の列車に乗り込んだなら、途中下車は許されない」と。今日までにどれだけ多くの親たちがこの鉄則を破り、「これくらいのことは当然分かってくれるだろう。二、三歳の子どもですらこれぐらいのことは分かるのだから・・・」と思って受容の途中下車をしてしまい、その結果その関係修復のためにどれほど手こずり、悩み苦しんで来られたかしれません。途中下車は簡単ですが、いったん途中下車してしまうと、それはあたかも列車が脱線してしまった時のように、その復旧作業は容易なことではありません。よくよくこの点を心に留めておいていただきたいものです。
④決して子どもの行動を規制せず、積極的に支援する覚悟と決断
そこで更に心に留めていただきたいことは、心傷つき病んでいるウルトラ良い子たちを必ず癒やすことに功を奏する有効な受容は、病める子どもの思いや行動を決して規制せず、むしろそれを積極的に支援する決断と覚悟を伴う受容であるということです。
ここで「覚悟」と「決断」と申しましたが、まさしくそこには「覚悟」と「決断」が必須です。心傷つき病んでいる子どもたちは、傷つき病んでいるがゆえに、その思いや行動、発想することや発信する事柄が、健常でなく時にはわがままに見え、また時には幼稚で愚かに思え、更には非常識で異常にさえ思われることがあります。
その症状が悪化した場合は、まさに異常心理、異常行動を引き起こします。こうした場合に、それを一向に規制もせず受容し続け、ましてやそれを支援し、積極的に肯定し続けるとしたら、周囲の人々は果たして何と言うでしょう。おそらく異口同音に世の健常者たちは、そのような親に対して「甘やかし」、「迎合」、「無策と放任」、果ては「共依存」などと呼び、その親の優柔不断に思えるかかわり方に非難の声を発することでしょう。
しかし、ここで屈してはならないのです。このような場面でこそ、不断の受容が不可欠なのです。よくよくここで知っていただきたいのです。実に、長い歳月にわたり親からの抑圧を受けてきた心傷つき病める子らは、今こそこのような場面でこそ、今や何も規制せず、むしろそれを積極的に肯定し、支援し、受容してくれる今までの親とは全く異なった“新しい親”に出会って、驚き怪しみつつも、そこに彼らが長い間心の深みから探し求めてきた自らをとことん受容してくれる“憧れの母”に出会うことができるのです。
その瞬間、傷つき病んでいた子らの心の内に不思議な安息と癒やしの芽生えが始まるのです。何という素晴らしい全面受容の力でしょう。これは実に真理であり、命であり、法則です。
ですから受容する親たちには、この全面受容の真理と命と法則を確信して、一旦わが子を受容し始めたなら、どんなわが子の要請にも、また如何なる周囲の事情や人々の評価にも心惑わされず、ひたすら一筋に、最後まで受容し続ける「覚悟」と「決断」が必要なのです。(続く)
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