東方正教会のコンスタンティノープル・エキュメニカル総主教バルトロメオ1世とローマ教皇フランシスコは25日、聖地エルサレムにある聖墳墓教会で約30分間にわたって会談を行い、互いの深い兄弟的絆の確認や、教会の一致に向けた歩みにおける、神学的対話や神の愛に対する共通の証しなどにおける協力を記した、10項目にわたる共同声明に調印した。
この会談は50年前に同じくエルサレムで当時のエキュメニカル総主教アシナゴラスとローマ教皇パウロ6世によって行われた歴史的な会談を記念して行われたもの。
1964年に行われたその歴史的会談は、1054年に東西に分裂してから何世紀もの間、文化的・政治的・神学的な理由でお互いの間に徐々に隔たりが生じてきたローマ・カトリック教会と東方正教会の関係に、新たな時代の始まりを印すものであった。
今回行われたエキュメニカル総主教バルトロメオ1世とローマ教皇フランシスコの会談について、この共同声明には、「聖霊だけが私たちを導くことができる一致に向けた旅路における新しく必要な一歩」であるなどと記されている。
共同声明の署名後、聖墳墓教会で教皇フランシスコとバルトロメオ1世が参列し、カトリック教会と正教会によるエキュメニカルな祈りの集いが執り行われた。
ギリシャ語と英語で書かれた共同声明全文の本紙による日本語訳(非公式)は下記の通り。なお、()内は日本正教会の表記に従ったもの。
教皇フランシスコとエキュメニカル総主教バルトロメオによる共同声明(2014年5月25日)
1. 50年前にここエルサレムで会談をした私たちの尊敬すべき先達である教皇パウロ6世とエキュメニカル総主教アシナゴラスのように、私たち教皇フランシスコと総主教バルトロメオもまた、「私たちの共通の贖い主である私たちの主キリストが生き、お教えになり、亡くなられ、復活され、そして天に昇られ、そこから幼き教会に聖霊をお遣わしになった」(注1)聖地で会談を行う決意をしていました。私たちの会談は、使徒ペトロとアンデレという2人の兄弟によってそれぞれ建てられたローマとコンスタンティノープル(コンスタンティノポリ)の教会の司祭たちのもう一つの出会いであり、私たちにとっては心からの霊的な喜びの源であります。それは、私たちの既存の絆がもつ深さと真正さについて考えるための、神意による機会を示すものであり、それら自体が、50年前の恵みの日以来、主が私たちを導き給う恵みに満ちた旅路の果実であります。
2. 本日の私たちの兄弟的愛による出会いは、聖霊だけが私たちを導くことができる一致に向けた旅路における新しく必要な一歩であり、正統な多様性における交わりのそれであります。私たちは心からの感謝をもって、主がすでに私たちにできるようにしてくださった歩みを想起します。ここエルサレムで教皇パウロ6世と総主教アシナゴラスの間において交わされた抱擁は、何世紀もの沈黙の後、1054年の相互破門の行為を記憶と教会のただ中から取り除くという、重要なしるしの道を切り開きました。これに続いて、ローマとコンスタンティノープル(コンスタンティノポリ)の各座の間における相互の訪問や、定期的な文通、そして、その後、共に恵み深き想い出の、教皇ヨハネ・パウロ2世と総主教ディミトリオスによって発表された、カトリックと正教の間における真理についての神学的対話を開始するという決定が行われました。年来、全ての平和と愛の源である神は、使徒たちによって受け止められ、私たちに対して公会議や教父たちによって表明され伝えられた、同じキリスト(ハリストス)の福音における信仰を私たちが告白することができるように、お互いを、お一方の主であり救い主であるイエス・キリスト(イイスス・ハリストス)の下に、同じキリスト教の家族の一員としてみなすよう、そして互いに愛し合うよう教えてこられました。フル・コミュニオンという目標には達していないことを十分意識しつつ、本日私たちは、私たちの主であるキリスト(ハリストス)が「すべての人を一つにしてください」(ヨハネ17:21)と御父に祈られた一致に向けて共に歩き続けることへの責務を確認します。
3. 一致が神の愛と隣人愛に表されることを十分に意識し、私たちはついに聖体を共にいただくその日を熱心に待ち望みます。キリスト教徒として、私たちは一つの信仰の告白と、たゆまぬ祈り、内なる回心、生活の刷新、そして兄弟愛による対話を通じて、リヨンの聖イレネオ(イリネイ)の教えに従い、聖体拝領(礼儀)というこの賜物を受ける備えをするようにと招かれています。(注2)この望ましい目標を達成することによって、私たちは自らがイエス・キリスト(イイスス・ハリストス)の真の弟子たちとして認められる神の愛をこの世に対して示すことになるでしょう(ヨハネ13:35)。
4. この目標に向けて、合同国際委員会によって行われている神学的対話は、カトリック教徒と正教徒のフル・コミュニオンの探求に基本的な貢献をもたらすものです。ヨハネ・パウロ2世やベネディクト16世、そして総主教ディミトリオスの続いた時代を通じて、私たちの神学的な出会いの進展は実質的なものとなってきました。本日私たちは現在の努力とともに今日までの成果に心から感謝を表します。これは単なる理論的な練習ではなく、お互いの伝統を理解しそれらから学ぶためにそれらについてさらに深い知識を要求する真理と愛における練習なのです。こうして私たちは、この神学的対話が、妥協に達するための神学的な最小公倍数を求めるものではなく、むしろキリスト(ハリストス)がご自身の教会にお与えになった真理、私たちが聖霊の促しに従ってよりよく理解することを決してやめない真理全体についての自らの理解を深めることに関するものであることを、もう一度確認します。したがって、私たちは、主に対する自らの忠実さが兄弟愛による出会いと真の対話を要求することを、共に確認します。そのような共通の探求は、私たちを真理から遠ざけて導くものではありません。むしろ、賜物を交わすことを通じて、聖霊の導きを通じて、それは私たちを導いて真理をことごとく悟らせることでしょう。(ヨハネ16:13)。
5. しかしながら、たとえ私たちがフル・コミュニオンに向けたこの旅をするとは言っても、私たちにはすでに、人類に仕えて、とりわけ人生の各段階において人間の尊厳と結婚に基づく家族の神聖さを守ることにおいて、平和と共通の善を促進することにおいて、そして私たちの世界を苦しめ続ける災いに応えることにおいて、共に働くことによって、全ての人々のために神の愛に対する共通の証しをする義務があります。私たちは、飢えや貧困、無学、資源の不公平な配分は常に取り組まなければならないと認めます。排除されたり疎外されていると感じる人が一人もいない、公正で人間らしい社会を共に築こうとすることは、私たちの義務なのです。
6. 人類の未来が、私たちの創造主が私たちにゆだねられた被造世界という賜物を私たちがどのように守るか―慎重かつ情熱的に、正義と公正さをもって―にかかっているというのが、私たちの深い確信です。したがって、私たちは、神の目の御前における罪に等しい、自らの惑星に対する誤った扱いを、悔い改めのうちに認めます。私たちは、全ての人々が被造世界に畏敬の念を持ちつつ配慮をもってそれを守る必要性を感じることができるように、謙虚さや節度の感覚を養うための自らの責任と義務を再確認します。共に、私たちは被造世界を管理する責任について意識を高めるという自らの責務を誓います。私たちは善意ある全ての人々に、より無駄が少なく質素な生き方や、貪欲さの顕示をより少なくし、神の世界の保護とその民の利益のために寛容さをもっと示す方法を考えるよう訴えます。
7. 同じように、現代の社会と文化に対してキリスト教がもたらし続けるものを促進する際に、自らの信仰を公に表し公平に扱われる権利をどこでも守るために、キリスト教徒同士の効果的で責任ある協力をする必要性が緊急にあります。この点において、私たちは全てのキリスト教徒に対し、ユダヤ教やイスラム教、そして他の宗教的な伝統と真正な対話を促進するよう招きます。無関心や互いの無知は、不信や残念なことに対立にさえつながりうるだけです。
8. エルサレムというこの聖なる都から、私たちは、中東のキリスト教徒たちの状況や、彼らが自らの故国の正式な市民であり続ける権利のために、共通の深い憂慮を表明します。信頼のうちに私たちは、聖地と中東全般の平和のための祈りのうちに全能の慈しみ深き神に帰ります。私たちはとりわけ、最近の出来事によって非常に重い苦しみを受けたエジプトやシリア、そしてイラクの教会のために祈ります。私たちは全ての当事者たちに対し、その宗教的信条にかかわらず、和解のために、そして人々の権利の公正な承認のために働き続けるよう促します。私たちは、平和を達成する唯一可能な手段は武器ではなく、対話とゆるし、そして和解であると確信しています。
9. 暴力や無関心、そして利己主義に特徴づけられる歴史的文脈の中で、多くの男女が今日、自らの支えを失ってしまったと感じています。現代の人々が真理と正義そして平和へとつながる道を再発見するのをを私たちが助けることができるかもしれないとしたら、それは、まさに福音の良き知らせに対する私たちの共通の証しを通じてなのです。私たちの意図において一致しつつ、また50年前のここエルサレムにおける教皇パウロ6世と総主教アシナゴラスの模範を想起しつつ、私たちは、全人類と未来の世代の善のために、正当な違いを十分に尊重しつつ、人類の和解と一致を求めるよう私たちを駆り立てるこの時の緊急性を認めるよう、あらゆる宗教的伝統や善意ある全ての人々とともに全てのキリスト教徒に呼びかけます。
10. 私たちのお一方の同じ主イエス・キリスト(イイスス・ハリストス)が十字架につけられ、葬られ、そして復活されたこの場所へ、この共通の巡礼を行うにあたって、私たちは、完全な一致に向けた道における自らの未来の歩みを、至聖にして永遠の処女マリアのとりなしに謙虚にゆだね、全人類を神の無限の愛にゆだねます。
「主が御顔を向けてあなたを照らし、あなたに恵みを与えられるように。 主が御顔をあなたに向けて、あなたに平安を賜るように」(民数記6:25~26)
ローマ教皇
[署名入り]
フランシスコエキュメニカル総主教
[署名入り]
コンスタンティノープル(コンスタンティノポリ)のバルトロメオ注1:1964年1月6日の会談後に発表された、教皇パウロ6世とアシナゴラス総主教の共同声明。
注2:『異端に対して』IV、18、5(PG7、1028)