『新共同訳』に続く新しい訳の聖書翻訳事業を行っている日本聖書協会は15日、東京で聖書事業懇談会を開催し、新訳の翻訳方針や翻訳の課程、特徴などを教会関係者らに紹介した。新訳の翻訳方針は「教会の礼拝・礼典で用いられるのにふさわしい訳」であること。一般読者を意識したわかりやすさを求めた訳よりも、日本の教会の標準訳聖書として用いられるよう、教会での使用を重視した「教会向け」の訳を目指している。頻繁に訳が変わり過ぎるという意見も出たが、「言葉は変化し続けるもの」「次世代のための新しい訳の聖書が必要」と説明。2010年から新訳の翻訳事業をスタートさせた同協会は、4年後の完成を目指している。
■ なぜ新訳を出すのか?
この日は、新訳の翻訳者で編集委員でもある石川立氏(同志社大学神学部教授)が講演した。これまでの『口語訳』や『新共同訳』には良い点も、改善すべき点もあるが、一方で新訳も「完璧」にはならない。「新しい聖書翻訳を出すことは、前の訳を否定することではない。改善はするが、前の訳を否定したり、凌駕するわけではない」と言う。しかし、「いくら優れた翻訳でもそのまま放っておいてはいけない。たとえ優れた翻訳があるとしても、時間が経てば新しい翻訳を出さなければならない」と述べ、「新しく翻訳するということは、固くなってしまった土地を耕すこと」と語った。
新訳を出す実際的な理由としては、聖書の翻訳サイクル、学問研究の進展と日本語・日本社会の変化、『新共同訳』へ対する見直しの要請の3つがある。
これまでの聖書は、『明治元訳』(1887年)、『大正改訳』(1917年)、『口語訳』(1955年)、『新共同訳』(1987年)と、ほぼ30年周期で出されてきた。今回の翻訳事業もこの翻訳サイクルに一致して行われていることになる。また、今回の翻訳事業では、最新の校訂が行われた底本を用いることができるなど、ここ数十年で進展した聖書学、翻訳学などの学問的な恩恵も受けることができる。
プロテスタント・カトリックの両教会で用いられ、専門家からも良い評価を受けているという『新共同訳』だが、「表現が説明的過ぎる」という欠点がある。これは、『新共同訳』の当初の翻訳方針に一般の読者にもわかりやすい訳を、というものがあったためだ。
例えば、詩篇5章9節に登場するヘブライ語「ツェダカー」については、文語訳、口語訳では「義」であったが、『新共同訳』では「恵みの御業」と説明的な翻訳が行われている。途中から教会での使用重視に方針が変更されたが、「説明的過ぎる」部分は残ってしまっている。実際、このために礼典で聖書を歌うこともあるというカトリック教会では、詩篇だけは独自訳を用いている。こうした『新共同訳』へ対する見直しの意見に応じ、新訳では過去の訳で用いられた「義」に戻すことが検討されている。これも「礼拝・礼典にふさわしい訳」という新訳の翻訳方針に沿ったものだ。
■ 原語担当と日本語担当による二人三脚の翻訳
より良い日本語への訳出を目指すため、新訳の翻訳ではこれまでとは異なった翻訳体制が取られている。それは、ヘブライ語やギリシャ語などの原語を日本語に訳す「原語担当者」と、原語担当者が訳した日本語をより良い日本語に直す「日本語担当者」の二人三脚による翻訳だ。『新共同訳』の翻訳では、原語から日本へ語の翻訳を一通り行い、その後、日本語の専門家が最終チェックをするという流れだった。しかし、今回の翻訳事業では、まず原語担当者が原語から日本語に翻訳し(第1稿)、日本語担当者がチェック(第2稿)、さらに原語・日本語の両担当者が2人で再度チェックする(第3稿)というプロセスがある。
一方、最終稿が出るまでには更に多くのプロセスがある。原語・日本語担当者の2人による翻訳を、4〜7人の翻訳者委員会で確認し、翻訳者による最終稿を出す(第4稿)。そして、読みやすさだけではなく、話しやすいか、聞きやすいかを確認するために、朗読チェックをし(第5稿)、教義学や聖書学、典礼学、女性学、日本語学などの専門家による確認が入る(第6稿)。その後、一般信徒らによる外部モニターからの意見を取り入れ(第7稿)、同協会の理事会の承認を得て最終稿(第8稿)が出来上がる。
原語担当者と日本語担当者による二人三脚による翻訳は、2004年に発行され成功を収めた最新のオランダ語聖書の翻訳プロセスから学んだものだという。一方、現在58人の翻訳者が全国で翻訳作業を行っているが、その際活躍しているのが翻訳事業ソフト「パラテキスト」だ。原語と進行中の新訳を比較できることはもちろん、各国語訳、過去の日本語訳のテキストも見比べることができ、さらにネットに接続することで各翻訳者の翻訳状況が瞬時に反映、共有される仕組みになっている。この他、第3稿や第4稿では複数の翻訳者が一カ所に集まって作業する必要があるが、合宿をしたり、スカイプなどの通信サービスを利用して対応しているという。また、翻訳者同士の学び、講演者を招いての学びも行っている。
■ 次世代のための新訳
講演後、参加者からの意見を聞いたり質問を受け付ける懇談会が行われた。この中で、翻訳の周期が短すぎ、「訳が定着しない」「現実の教会から遊離したところで聖書翻訳が進んでいるのではないか」という意見が出た。これに、同協会の渡部信総主事は「私たちが考えているのは次の世代の人々。その人たちはここ(新訳)からスタ―トして行く」と、次世代のための新訳という位置づけを語った。
最新版の訳である『新共同訳』が出されて25年以上経った現在でも、同協会発行の聖書を使用している教会で『口語訳』を使用している教会は25%ほどあるという。『口語訳』の印刷は現在も続けており、新しい訳の聖書が出されても、『口語訳』『新共同訳』といったこれまでの訳は継続して印刷して行く。渡部総主事は「(聖書の訳は)それぞれの年代層に合わせて、自由に選択できるのではないかなと思っています」「全部この新訳を使わなければいけないということではない」と説明した。
別の参加者は、学校で『口語訳』を利用したとき、漢字に振り仮名を振っても学生が意味をわからなかったと語った。「世代のことを考えたら、(聖書の訳を)新しくしないといけない」と、新訳の必要性を語った。
一方、同協会の大宮溥理事長は、新訳を急ぐ理由について、聖書翻訳に携わる神学者や聖書学者といった人材が今後減少するかもしれないという懸念を語った。戦後の日本では、聖書翻訳に携わることができる人材の豊かな蓄積があった。だが、こうした人材の高齢化により今後その蓄積が乏しくなっていく可能性があるとし、次世代のための良い訳の聖書を急いで出したいという事情も明かした。
この他、参加者からは「教会用の聖書だけではなく、一般読者向けの分かりやすい訳を出しては」という意見も出た。新訳の翻訳方針を決める際にも同様に意見が出ていたといい、「本当は(教会用と伝道用の)2つの聖書を作った方がよい」(渡部総主事)が、今回の翻訳作業とは別のものとし、新訳完成後の検討事項になるという。
聖書事業懇談会は来週22日(木)には大阪でも開催される。