[1]序
今回は、ダニエル6章、前半1節から11節をともに。
[2]「彼は忠実で」(1~9節)
(1)時代背景
①世代わりの激動の中で(1、2節)
沖縄の経験からも、世代わりの激動がどのようなものであるか想像できます。しかもここに見るのは、バビロンからメディアへの世界帝国の移り代わりです。国は起こり、国は滅びます。
しかし神の国、そのシンボルとして生かされ描かれているダニエルは、どのような環境の下でも変わらず、生ける神に忠実に仕え生きるのです。
②「メディヤ人ダリヨス」(5章31節)の時世
60代のダリヨスは、4節から9節に見る限り、大臣や大守に思うがままにあやつられている印象を与えます。「みな」(7節)と言われて、最も大切な人物・ダニエルの意見を確かめようとしていません。
また「王よ、あなた以外に、いかなる神にも人にも、祈願をする者はだれでも、獅子の穴に投げ込まれると」(7節)と自分を神の位置にまで引き上げる甘い言葉に飲み込まれています(創世記3章5節、「あなたがたが神のようになり」参照)。
(2)ダニエルの生き方(3、4節)
ダニエルも、この時少なくとも70代に達していたと推定します。しかし彼の姿は実にすっきりした印象を与えます。一章に見た、あの少年時代同様、唯一の生ける神様に一筋に従う生き方です。若々しいのです。
「ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っている」(ピリピ3章13、14節)姿です。
彼は、「きわだってすぐれていた」(3節)と言われています。ではどの点できわだっていたのでしょうか。それは、彼の誠実です。「王が損害を受けないようにした」(2節)とあるように、ダリヨスの高官たちも自分の利益のためには偽りを何とも思っていなかったのです。そうした人々の間で、ダニエルの真実はきわだちます。このダニエルの誠実・真実こそ、彼がダリヨスの信頼を受ける理由であったばかりでなく、人々の攻撃の背後にあるサタンの策略に打ち勝つ道なのです。
ダニエルは真実であると同時に、彼の置かれた持ち場にあって、「忠実で、彼には何の怠慢も欠点も見つけられなかった」(4節)のです。
いわば行政官として、自分の専門分野で良き証をたてています。この点について、Ⅰテサロニケ4章9節から12節、特に11節、「また、私たちが命じたように、落ち着いた生活をすることを志し、自分の仕事に身を入れ、自分の手で働きなさい」。
何であれ自分の専門について、また子弟の教育においても、この教えを実践したいものです。また母なる教会の使命として、教会教育、学校教育と職業教育の生きた関係について正しく理解し実践する必要があります。
(3)ダニエルの直面する戦い
①神のしもべであり、キリスト者である故の迫害、戦い。Ⅰペテロに見る、戦いの段階。
②ダニエルの「神の律法」(5節、ダニエルはこれに従い生きる、22節参照)とメディア人ダリヨスによる律法の衝突。後者は不完全、不安定。キリスト者の抵抗は、神への信従の故です。
この戦いは、長期戦であり、生涯に渡るもの。一度の敗北に気落ちしてはならず、一度の勝利に安心し油断してはならない(Ⅱコリント2章11節、箴言22章6節参照)。
[3]「いつものように」(10、11節、また16、20節参照)
(1)「いつものように」
音楽家、スポーツ選手の日々の訓練から学ぶべきです。霊的生活、祈りにおいても同じく訓練が大切。習慣が品性を生む事実を注意する必要があります。
(2)祈りの訓練、習慣
時と場所を定める。これは自分の弱さを知っているためです。挫折しても、立ち直りそれに向かう基準を持つことが大切です。
「……したい」気持ちがあるかどうかを基準にしてはいけない。
(3)祈りの内容
10節、「祈り、感謝」。11節、「神に祈願し、哀願」。危機的な状況で助けを哀願する際にも、ダニエルの祈りには、礼拝、賛美、感謝が伴います。豊かな祈りの生活です。ぜひ日々詩篇の愛読を。
[4]結び
(1)「いつものように」。日々みことばに従う服従の生活がすべての基礎である事実を教えられます。小さな積み重ねを大切にし、継続して行く歩みが大切です。
詩篇1篇3節。ガラテヤ5章22、23節を注意。これらの箇所で、聖霊の導きにより生かされる、キリスト者・教会の幸いな生き方が木や実に例えられている。木のような生き方、それはまさに「いつものように」と、時間をかけ、希望に満たされ忍耐の日々の歩みの継続につきます。
(2)クリスマスの主イエスは、今日も生きておられる方です。ヘブル7章24、25節に聞きます。
「しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです」
大祭司キリストに執り成し支えられて、私たちも小さな祭司として、ダニエルのように、いかなる時にも「いつものように」祈りつつ生きる者とされたい。
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宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。