私には4人の子どもがいます。男女2人ずつで、男女1人1人の2人が私に似ていて、あとの男女1人1人は妻に似ています。性格、考え方、行動はそれぞれ違ってとても楽しいです。
ある子は、物に対する執着心がなく、毎月もらうお小遣いの額よりも多くの献金を礼拝の時に神様に捧げたり、兄弟や親戚、友達などの誕生日には思い切ってプレゼントを買います。
別のある子は、物を大切にします。よく貯金をし、ほどほどに献金をし、節約します。
物を大切にする子と惜しみなく与える子とどちらがいいか一概に言えませんが、大人になったら、よく貯金をし、心から神様に献金をし、惜しみなく与え、愛され祝福される子どもになってほしいと思います。
知り合いのお子さんは、自分の物を誰にも貸したがりません。がめつい感じで、もらうことは好きなのに、他の友だちに与えることをしません。そのご両親から相談されました。「この子はこんなにケチで、大人になってもこのままだったらどうしようと思って心配しています」
私は、「この子に思う存分与えてあげて下さい。小さな頃に与えられた経験が、大人になった時に人に豊かに与えられる人になります」と話しました。
物に対する執着心のあるなしが子どもの行動に大きく影響しますが、物に対する執着心は決して悪くありません。その子が大人になったら、物を大切にしますし、お金持ちになってもお金を節約する人になります。大切なことは、必要な時に、思いっきり与えられる人になることです。
大人でケチな人がいます。それでも大丈夫。誰でも、神様から徹底して与えられる経験をした人は、やがて与えられる人に変わります。
神様は、惜しみなく、無限に与えて下さるお方です。まずは、神様から受ける体験をして下さい。
「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう」(ローマ人への手紙8章32節)
神様は、惜しみなく与え、空っぽの傷だらけの心を満たして下さいます。すぐに心が満たされる人もいますが、なかなか満たされない人もいます。それでも、最後は必ず満たされます。器の大きさが違うのです。
すぐに満たされる人は、すでにある程度満たされていたか、求める器がそんなに大きくないのかも知れません。求める器が大きい人は時間がかかります。コップ一杯なら、蛇口をひねればすぐに一杯になりますが、銭湯やプールを満たすには多大な時間がかかるのと同じです。
受けて、満たされた経験が、人に惜しみなく与えられる人になります。与える人は与えられますので、ますます与え、ますます与えられて、祝福され、繁栄し、豊かになります。さらに与え続けるので、無限に祝福されます。
「与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである」(ルカの福音書6章38節)
私の4人の子どもを見ても、それぞれ違います。まして人はみんな違います。みんな違って、みんな素晴らしいのです。
互いに与え合い、ケチな人を見ても「ケチな人」と裁くのではなく、「そんな人こそ受ける必要がある人」と考えて、与え、互いに、みんな与えられる人になっていけたら、この世界は素晴らしくなります。
神は一人子イエス・キリストを与えて下さいました。これ以上ないものを与えて下さったのです。キリストよりも、もっと手近で、具体的なものを求める人もいます。もちろん、それも与えられます。大切なことは、神に求めることです。
「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」(マタイの福音書6章33節)
「あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです」(ヨハネの福音書16章24節)
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネの福音書3章16節)
豊かに祝福された一日、一週間でありますように。
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菅野直基(かんの・なおき)
1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッション等、地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での讃美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式等、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。
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