[1]序
ダニエル書2章25節から49節の箇所。31節以下に見る、ネブカデネザル王の夢とダニエルの解き明かしを理解するために、25節から30節の部分を手掛かりとして注意します。
(1)27節、「王が求められる秘密は、知者、呪文師、呪法師、星占いも王に示すことはできません」と28節、「しかし、天に秘密をあらわすひとりの神がおられ、この方が終わりの日に起こることをネブカデネザル王に示されたのです」の対比。
知者、呪文者、呪法師、星占いの無力さとの鋭い対比で、「天に秘密をあらわすひとりの神」(28節)をダニエルはネブカデネザルに明示。
(2)「終わりの日に起こることをあらわす」(28節)。「この後、何が起こるのか」(29節)と繰り返されているように、ここでは、未来のことが問題になっているようです。しかしそれは単に好奇心から出る、未来についての関心ではなく、歴史の統治者である神を中心にした、現に今ここで、神の御前にどのように生きていくべきかを含む信仰生活、礼拝の生活が課題です。
これを、聖書の終末論と呼びます。
(3)ダニエルはネブカデネザル王に対して解き明かす。「あなたの心の思いをあなたがお知りになるため」(30節)とあるように、ネブカデネザル王は自分で自分のことを本当には理解できないのです。彼を知り、彼をさばくお方をダニエルは指し示すのです。ダニエルは、「王を廃し、王を立て」(21節)と、祈りの中で知り、神を賛美していたことを、王の顔を恐れず明言します。
モーセ、パウロなど聖書の人物たちが、世の支配者の前で堅持した態度です。
[2]ネブカデネザル王の夢とダニエルの解き明かし
(1)ネブカデネザルの夢(31~35節)
①「一つの大きな像」(31節)が中心、31節から33節はその説明。
②これとの対比で、34節には「一つの石が人手によらずに切り出され」と、石に焦点が絞られ、像を打ち砕く事実と石が大きな山になり全土を満たすとダニエルは述べています。
(2)ダニエルの解き明かし(36~45節)
①像の各部分が説明し、ダニエルは一連の王国を示します。その中で、「あなたはあの金の頭」(38節)とあるように、バビロンが最初。第2は、メド・ペルシャ、第3の「全土を治めるようになります」と言われているのは、アレキサンダー大王のことで、ギリシャ。そして第4の国(40節)はローマを指すと考えられます。
②そして、解き明かしにおいても、44節と45節に見るように、「一つの石」が中心です。
[3]「天の神は一つの国を」(44、45節)
ダニエルが祈りの中で悟り、賛美において明らかにしているように、「神は季節と時を変え、王を廃し、王を立て」(21節)るお方です。「金の頭」であると言われるネブカデネザル王も、歴史の真の主人公ではないのです。
中心は神が建て給う国です。ネブカデネザルの夢においては、34節と35節、ダニエルの夢の解き明かしでは、44節と45節に焦点が絞られている事実が明らかにしている通りです。
(1)歴史の理解
①「この王たちの時代に」が、いつを指しているのでしょうか。二つの可能性が考えられます。ネブカデネザルの夢の像の4つの王国(バビロン、メド・ペルシャ、ギリシャ、ローマ)のすべてを含むと見るか、最後のローマを指すと見るかです。いずれにしても、私たちにとって未来の時代でなく、過去の時代と深くかかわることは明らかです。
②大切な点は、神が一つの国を建てられること(神の国)と地上の国々の歴史が平行している事実です。しかも世の指導者たちが気が付かない内に、神の国が進展すると教えられます。
③第四の国、つまり、ローマ時代に神の国において決定的に大切な出来事が生じたと知らされます。新約聖書が明らかに宣言している通りです。
「ヨハネが捕らえられて後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べて言われた。『時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい』」(マルコ1章14、15節)
④時、歴史の理解が大切な鍵です。
(2)神の国の特徴
「一つの石」が、神の国を指し示していることは明らかです。44節と45節を中心に、今回味わっている箇所では、神の国の特徴を、以下のように幾つか教えられます。
①神ご自身が
神ご自身が起こされ、建てられる国。
②永遠性、永続性
「その国は永遠に滅ぼされることがなく」、「この国は永遠に立ち続けます」(44節)
③勝利
「かえってこれらの国々をことごとく打ち砕いて、絶滅してしまいます」。勝利者イエス・キリスト。Ⅰコリント15章25節、黙示録11章15節など参照。
④世界的広がり
「石は大きな山となって全土に満ちました」(35節)
[4]結び
困難な状況の中で、ダニエルと友人達は神の国の希望に生かされ、はっきりした歴史の見方をもって日常生活を送り、生涯の歩みを進めているのです。
私たちも、同じ神の国の希望に立ち生きる者として、以下の二つの面に特に注意し前進したいのです。
(1)すでに・いまだ
神は、「すでに」決定的な御業を、主イエス・キリストにおいてなしてくださっているのです。信仰において、神の民は、「すでに」神の国・神の統治に入っているのです。神は、「すでに」私たちを受け入れてくださっているのです。
しかし、主イエス・キリストの再臨の時まで、「いまだ」完全な意味では、神の国はこの地上ではその豊かさのすべてを現してはおらず、悪の力、死の影響を無視したり、あなどることは許されない。注意深く生きる必要があります。
(2)やがて必ず
ダニエルと共に確信できるのです。確信する必要があります。神の国は必ず完成する。主イエス・キリストは、やがて必ず再び来り給う。
「やがて必ず」との確信をもって、ダニエルはネブカデネザルの前に立つ。私たちも、いま主イエスのことばに応答し、主なる神にのみ従い進みます。
「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません」(マタイ6章24節)
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宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。