[1]序
ダニエル書を貫く中心メッセージとして、二、三の点。
(1)ダニエルが直面していた困難。自分を神として礼拝を求めるネブカデネザル王のもとで生きるダニエル。これは、神を認めない世俗世界で生活する私たちの状態に通じるものです。
(2)その現実の中で、天地の創造者である生ける神こそ、一人一人の人間を支え、すべての歴史を統治している事実を示す。
(3)歴史の統治者である神を信じるダニエルが、世俗の世界のなかでどのように生きるかを示しています。
ではダニエル書を読む私たちは、どのように生きることを求められているのでしょうか。
[2]世代わり・歴史を見る目(1、2節)
(1)「バビロンの王ネブカデネザルが」(1節)
ダニエル書1章1、2節は、ダニエルの時代背景を示しています。
まず1節には、「ユダの王エホヤキムの治世の第三年に、バビロンの王ネブカデネザルがエルサレムに来て、これを包囲した」と、紀元前605年と言われるネブカデネザルのエルサレムの包囲について、『いつ』、『誰が』、『何を』と一つの出来事として記しています。
ネブカデネザルによるエルサレム攻略は、この後597年、587年にも繰り返され、ついにエルサレムは陥落し、神殿は破壊され、民の指導層は捕囚の民としてバビロンに連れて行かれます。この事情については、たとえば、Ⅱ列王記24章、25章に見ることができます。
イスラエルの歴史において最も大きな出来事の一つである、バビロン捕囚を背景にダニエルについての記述がなされています。
(2)「主が」(2節)
さらに注意したいのは、2節です。
普通でしたら、1節に続いて、「ユダの王エホヤキムと神の宮の器具の一部とをシヌアルの地にある彼の神の宮に持ち帰り」とだけ記すわけですが、ダニエル書では、「主が・・・彼(ネブカデネザル)の手に渡されたので」と驚くべき事実を伝えています。
この記述は、ダニエルの神、聖書の神がとのような御方であるかを明示しています。イスラエルを支えて下さる神は、同時に、イスラエルをさばく御方です。一人一人を導きくださる神は、全世界を統治なさる御方です。イスラエルの歴史において最大の悲劇と言えるバビロン捕囚も、主なる神の御手の中にある出来事であり、イスラエルに警告を与え続けて来られたのです(申命記28章47、49、58、イザヤ39章6、7節など)。
イスラエルの目先の利益のためだけ、利用されるような偶像とは全く違うのです。またネブカデネザルは自分の力でイスラエルに勝利し世界帝国を打ち立てたと誇りますが(4章30節)、彼も真の主なる御方の御手にある器なのです。
[3]「その少年たちは」(3~7節)
(1)「少年」
4節の「その少年たちは」と言われるのは、6節に見る、ダニエルを初めとする3名を含めた人々です。
私たちはダニエルに焦点を絞って考えて行きます。ここでの「少年」は、15歳位と考えられます。
また1章21節、「ダニエルはクロス王の元年までそこにいた」や6章28節、「このダニエルは、ダリヨスの治世とペルシヤ人クロスの治世に栄えた」には、70年の捕囚が終わる、ダニエルの最晩年についての記述があります。ですからダニエル書には、10代から始まり80歳をはるかに越えるダニエルの姿が描かれているわけです。
ダニエルの人格と生涯は、少年時代から神の摂理の中に導かれ、試練に会いながら忠実に歩み続けて行く中で形成されたものです。しかも少年時代にその土台が据えられていた事実を見ます。幼児期や少年期がいかに大切かを教えられます。
(2)ネブカデネザルの目的
ネブカデネザル王は、エルサレムを陥落させ、指導層をバビロンに引き連れ捕囚とするだけでなく、さらに考え抜かれた計画を立て、自分の支配を強固にしようとします。捕囚の民の中から、4節で描くエリートの少年たちを教育し、「王に仕えるように」したのです。自分を神の地位まで引き上げ高ぶるネブカデネザル王は、バビロン人として考え生きるイスラエルの若いエリートを利用する計画を立てているのです。
まず彼らを、イスラエルの民の交わりから切り離し、王宮に「連れて来させ」(3節)ます。そして「カルデヤ人の文学とことばを教え」(4節)込むのです。さらに「王の食べるごちそうと王の飲むぶどう酒から、毎日の分を彼らに割り当て」(5節)とあるように、少年たちに特権を与えイスラエルの民として苦しみを共にするより、バビロンの王に仕える者として安楽な道を選ぶよう誘うのです。ついには名前をバビロン風に変え、「自分は誰か」、神の民としての意識、アイデンテティーを奪うのです(日本が朝鮮の方々になしたように)。
[4]結び
(1)歴史の見かた
1章1、2節に描かれている歴史を見る目。これに応じた生活、生き方をダニエルの姿を通しダニエル書は指し示している事実を受け止めたい。歴史の統治者である主なる神様を単に認めるだけでなく、その歴史の見かたにふさわしく実際にどのように生きて行くのか。世界の歴史の統治者であり、私たち個人個人の生涯を導いてくださる御方に対して、「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい」(マタイ6章33節)との命令に答えて続けることができますように。
(2)教育について
ネブカデネザル王は、軍事力や政治力だけでイスラエルの民を支配したのではありません。彼は自分の目的のために教育を用いたのです。ダニエルたちは、ネブカデネザルの教育を通して、神の民としての特徴を失う危険に直面していたのです。ネブカデネザルの教育、彼の学校を絶対なものと見てはいけない。
私たちは学校教育を軽く見たり、無視したり、否定したりしません。ダニエルの場合でも、彼がネブカデネザルの養成機関で学んだ事が、生涯を通じて使命を果たして行くにあたり用いられたのは明らかです。これはダニエルだけでなく、エジプトのパロのもとでの教育を受けたモーセの場合も同じです。
公教育を積極的に評価すべきです。しかしそこで行われているすべてを絶対なものとは見ないことが求められています。さらに教育は学校ばかりでなく、何よりも家庭の教育、また教会教育がいかに大切であるか私たちは聖書を通して教えられます。
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宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。