8月9日午前11時02分、追悼サイレンが響き渡る中、祈りがささげられる。
「・・・どうか私たちが、様々な出来事の中にある人に目を注ぎ、人を愛し、人を信じ、人とゆるしあうことができますように。・・・苦しむ人の痛みをやわらげるために働くことができますように。そして、この世の争い事をなくし、共存できる世界をつくることができますように・・・」
長崎に原爆が投下されて62年目となる今年。日本聖公会九州教区主催「平和を考えるプログラム−長崎に立つ2007夏−」が8、9、10日の3日間、日本聖公会・長崎聖三一教会(長崎市大浦町)で行われた。14人の参加者一人ひとりが、被爆者から痛みと苦しみの体験を聞き、不戦の決意を新たにした。
99年の実行委員発足から、今年で8回目。被爆体験を語り継ぎ、戦争が人生にもたらす酷(むご)い現実を次の世代に伝え、世界平和を実現させようと活動を続けてきた。
初日は6歳で被爆した城臺美彌子(じょうだいみやこ)さん(68)が、「戦争は一人ひとりの命をないがしろにしていく、絶対に避けなければならない」「憲法9条は絶対に守らなければならない」と、平和を守るべき理由を参加者に伝えた。
2日目の9日には、逝去(せいきょ)者記念礼拝が行われ、亡くなった被爆者一人ひとりの名前を覚え、被爆の時刻ちょうどに祈りをささげた。
同日午後には、平和公園をはじめ、長崎市立山里小学校(旧山里国民学校)、爆心地公園、浦上天主堂(長崎市本尾町)など、原爆によって破壊された各所を巡り、当時、その地に立ち、天を見上げた人々に思いをはせた。
熱い日差しの中で長崎の被爆地を巡った参加者は、「熱かった。ものすごい日差しの中に立ちながら、汗をかいてヘトヘトになった。その瞬間、測り知れない爆風と熱線が襲ってきたのだと思い、ものすごい出来事だったんだと感じた」と語った。
また、他の参加者は、「被爆を体験された方が高齢のために亡くなり、当時の状況を伝える者が少なくなっている中で、本当にどういう出来事があったか、語り継いでいくことが大切だと思います」と、被爆者の声を実際に聞くことの大切さを実感していた。
「平和を考えるプログラム」実行委員会の柴本孝夫司祭(戸畑聖アンデレ教会)は、「このような小さな取り組みでも大事にしていきたい。本やテレビなどで触れていくことも大事ですが、実際にその時生きて、感じた人の声にしかないものがあります」と語った。
原子爆弾は昭和20年(1945年)8月6日の広島に続いて、9日午前11時2分、アメリカ軍爆撃機によって長崎市に投下された。猛烈な爆風、熱線、放射線により、当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち、約7万4千人が死亡、7万5千人が負傷(原爆資料保存委員会の報告、昭和25年7月発表)。街は壊滅的な被害を受けた。