1964年の夏期聖会が聖書学院で開かれ、東淀川の教会からも碓井君と国松君が参加することになった。彼らは自転車で生駒までやってきた。
午後には近くの喜里池で泳ぐ時間があり、2人も参加した。ところが帰る時間になって、碓井君がいない。そのことに気がついた国松君が、聖会の用事でその場にいなかった私に「碓井がいない」と知らせてくれた。
池に急いだ私は、その辺の山にでも寝そべっているのではと思い、大声で叫んだ。しかし返ってくるのはこだまだけだった。やがて事の重大さに、消防団や警察が駆けつけ、アクアラングを付けて池の中を捜索しはじめた。いつしか夜の闇が覆い、たいまつを灯しての捜索も限度に達し、もう明日にしようと消防団が決めかけた時、アクアラングで潜っていた人々の中から「いたぞ!」という叫び声があがった。一縷の望みをかけて、主にうめきながら祈り求めていた私は、良かった助かったと喜んだ。だが「いたぞ!」という叫びは、単に見つかったということだった。私は彼の冷たくなった身体を必死でさすり続け、「主よ、主よ、復活の主よ」と声も出ぬまま、涙を滴らせながら祈った。
どのように責任を取ればよいのだろう?もう自分の牧師としての使命は終ったと思った。碓井君は北野高校に通う秀才で、東大合格間違いなしと言われていた。もともと人格的にも穏やかだったが、クリスチャンになってからは、その品性はさらに輝いていた。教会の集会の時もいつもリーダー格でみなの世話をし、路傍伝道にもいっしょに出かけていた。学校中がと言ってもいいくらいよく知られた、評判の高校生だった。だが、もう彼はいない。イエス・キリストを信じているから、永遠のいのちをもっているから、天国だと言っても、何の慰めにもならない。息を吹き返してくれ、復活のいのちよ来たれと、祈り続ける私の身体を、優しく引き離してくれたのは、彼の母親だった。「もういいのです。学は満足しています。ほんものを見つけたと、いつも語っていました。あの子はイエス・キリストに出会って救われたのです。天国に行ったのです。先生、顔を上げてください。学が悲しみます。あの子は先生を慕っていました。先生が悲しむのをあの子は喜びません」。このことばに答えるすべは、私にはなかった。私は流れる涙を止めることもできず、母親に語りかける言葉もなかったことを昨日のように覚えている。そして自ら無力を、主の助けのみが支えることを知った。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『天の虫けら』(マルコーシュ・パブリケーション)は、98年に出版された同師の自叙伝。高校生で洗礼を受けてから世界宣教に至るまでの、自身の信仰の歩みを振り返る。