それでも何としても開拓伝道を始めたくて、大阪市東淀川区を伝道地と定め、最初の天幕伝道を試みた。しかし先輩のためにはフル回転した印刷所は、たった千枚のビラを刷ってくれただけ、しかも自分で植字をして作らなければならなかった。資金はゼロだったし、クート師が説教に来てくれたものの、神学生の応援はほとんどなし。一人でトラクトを配り、路傍で声を張り上げて案内した。集会が始まっても、テントの中はほとんど空っぽの状態。そのような失意の中のスタートだったが、その集会で橋梁設計技師の寺尾猛兄が救われ、引き続き熱心なクリスチャンとなった。また美容師をしていた景山敬子姉も救われ、いつも仕事が終わると飛ぶように、集会場である富士保育園に駆けつけてくれた。この二人はやがて結婚し、現在は生けるキリスト一麦大阪教会で、原村秀子牧師の良い指導のもとに導かれている。
学院で教えても給料が出るわけではなく、ただ食事と住まいは保証されていたので、日曜日毎に東淀川へ出かけていた。何となくもの足りなく、先輩の村上好伸牧師としばらく同居させてもらい、やっとのことで伝道地に安い下宿屋を見つけた。そうすると今度は、学院へ教えにいく交通費が大変になった。もちろん帰りにはもらえるのだが、行きの片道分がないのである。
ある時、お金が全然なくなり、思い切って布団を売ることにした。ぺらぺらのせんべい布団で、屑屋が文句を言いながら二十円で買ってくれた。そのお金で何とか東淀川から大阪駅までは行けた。ここから先はどうしよう?聖書には紅海が真っ二つに分かれ、イスラエルの民は乾いた道を行くように渡ったとある。ヨルダン川の流れは止まり、道ができたともある。エリコの城壁は崩れ、水がぶどう酒に変わり、祈れば答えられ、不可能は可能になるとも書いてある。大阪駅のホームで手を広げて祈った。「神様、生駒までの交通費をください。明朝の授業のために、どうしても今晩行かなければなりません。信じます。アーメン」。入れかわり立ちかわり環状線ホームに電車が入ってきたが、お金は入ってこなかった。これでは歩くしかないと、大阪駅から奈良の方角へと歩き始めた。夜の八時だった。生駒に着いたのは真夜中、自分の部屋にそっと入り、翌朝は何食わぬ顔で教室に出て、授業した。当時はだれもその窮状を知る者はなく、十年以上たってからあかしをした。
布団がなくなったので、畳の上に何も掛けずに眠る夜が続いた。背中は痛むし、寒い季節になると震えながら夜を過ごすことも多かった。後年、リバイバルミッションの原田牧師に会った時、健康のために板を敷いて寝ているという話を聞き、私は自然の健康法を実践していたのだと、一人で苦笑いをした。
伝道はトラクト配りを中心にした。何しろ人と対話するのが苦手な駆け出し牧師だ。いくら議論で勝っても、魂を優しく慰めることができない。集会の前に人が来ても、「よくいらっしゃいました」とだけ言うと、始まる時間まで沈黙が続く。お互いに気詰まりで、「今から賛美します」と礼拝が始まるとホッとした。礼拝が終わると、「それではさようなら」だけ。味もそっけもない集まりだった。それでもイエス・キリストを信じて救われた兄弟姉妹は、心から主を愛し、牧師を慕ってくれた。すべては神の恵みだけだ。
やがて、高校生の出口君が救われ、友人の碓井君や、国松君、平島君、新田君兄弟、五十嵐君など、素敵な高校生や中学生が集うようになった。それに連れられるように、中学生の山村さんや布引さん、石田さんも来てくれ、いろいろと手伝ってくれた。その年のクリスマスには、何と七十名近い中学生や高校生が集まり、保育園の小さな椅子に座って、楽器もないのに、音痴の牧師のリードで、クリスマスキャロルを力いっぱい賛美した。
私が日曜学校が好きだったので、中高生に加えて、小学生たちも来はじめた。桂さん姉妹、中井さん姉妹、円さん、海籐さん、遠藤さんたちのグループが、いつも若い牧師の周りにじゃれるように集まり、イエス様の話に心を開いてくれた。
私のアパートに遊びに来る子どもたちは、何もない部屋に驚いたが、家の人には言わないように厳命しておいた。そのうち田中さんや新田さんも加わり、また、寺尾さんや影山さん、井上さんなどと若い女性も来た。さらに原さんや三原さんと高校生も加わり、少しずつ教会らしくなり、夜を徹して福音を語り明かすこともあった。
お金は相変わらずなく、献金も集会所代がやっとという状態だったが、いつも生駒まで歩くわけにもいかず、百貨店の配達をしたりしながら、伝道を細々と続けた。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『天の虫けら』(マルコーシュ・パブリケーション)は、98年に出版された同師の自叙伝。高校生で洗礼を受けてから世界宣教に至るまでの、自身の信仰の歩みを振り返る。