真夜中ごろ
使徒の働き16章25節~40節
[1]序
今回は、「真夜中ごろ」とのことばで始まる25節以下の記事を味わいましょう。パウロとシラスが獄屋の極限状況に投げ込まれながら、その暗黒の中で彼らの身に起こった出来事、また彼らを通し看守と彼の家族の上に及んだ救いの御業を描いています。
[2]パウロとシラス
パウロとシラスの姿に注目。
(1)神に祈りつつ賛美の歌を歌う
パウロとシラスは、不当な訴えにより牢に投げ入れられました。あの「占いの霊につかれた若い女奴隷」の主人たちは、本当の動機を覆い隠し、もっともらしい口実をあげ、パウロとシラスを「町をかき乱す」者として訴えたのです。二人は、当然の権利である調べも受けず、危険人物として地下牢に、しかも絶え間無く苦痛を与える足枷をかけられ眠ることも困難な最悪の状態に投げ込まれました。
このような牢の中で普通聞こえてくるものと言えば、肉体的な痛みからの呻きであり、不当な処置に対する呪いです。しかし今牢の中で聞こえて来るのは、呻きでも呪いでもなく、「真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌う」声なのです。考えられない時に、思いもよらない場所で、最悪の状態に置かれた人々によって、生ける神への祈りと賛美がささげられているのです。
ピリピ教会は、この真夜中の祈りと賛美の中から、11節から15節に見るルデヤ、16節から18節に描かれている「占いの霊につかれた若い女奴隷」、そしてこの箇所で印象深く描かれている看守とその家族たちを加えて誕生し、成長していきました。
このピリピ教会に、パウロは後に、以下のように勧めています。
「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます」(ピリピ4章6、7節)。ピリピ教会にこの勧めを書きながら、ピリピの牢における自分自身の経験をパウロは思い起こしていたに違いありません。
真夜中ごろ、何の希望も持ちえない状態にいたパウロとシラスは、自分たちのために十字架にかかり、罪と死に勝利し復活なさった主イエス・キリストを通して、父なる神に祈っているのです。祈りつつ賛美し、賛美しつつの祈りです。
(2)真の解放
26節には、主なる神が牢の中にまで恵みの御手を差し延べられる様をルカは力強く描いています。
さらに注目すべきは、看守が本当の意味で解放される道を選ぶため、パウロとシラスは牢にとどまることです。そして看守の求めに答えて、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(31節)と、救いの道を明解に宣言します。この福音の真髄をパウロはローマ人への手紙をはじめ彼の手紙で詳しく説き明かしています。
[3]看守と彼の家族
牢中のパウロとシラスの祈りと賛美。ここから始まる奇跡は、看守と彼の家族の立場から見ると、どのように映るのでしょうか。
(1)看守
看守は、目前に展開される驚くべき出来事を通し、「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか」との求めに導かれます。看守の心に生じている、神への従順と福音に対する熱望こそ奇跡です。
(2)看守の家族
看守の心の中に生じた恵みの奇跡は看守の家族へ広がります。パウロとシラスは、看守と家族に主のことばを伝えたのです。
[4]結び
真夜中ごろ、パウロとシラスは神に祈りつつ賛美の歌を歌っていました。十字架にかかり、罪と死に勝利し復活された主イエス・キリスト。主イエスにある救いは、看守と彼の家族へと広がり、「家族そろって神を信じたことを心から喜んだ」のです。まさにイースターの恵みです。
◇
宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。